あなたは、与えられたいのちとどう向き合う?
「いのち」
18歳 A・H
たくさんの人が行きかう中で
いのちも動く
季節が変わる度に
新しいいのちが生まれる
一日でたくさんのいのちが
生まれ死んでゆく
その繰り返し
この世に全てあるものは
いのちを持っている
それを生かすか殺すかは
自分次第
だから壊れやすいもので
尊いものなんだろう
何故いのちはあるの
たくさんの人で
地球が溢れてしまわぬように
地球が崩れないように
人が生きられる時間が
決まっているんだろう
あなたは与えられたいのちと
どう向き合う?

青少年教化部門少年研修部会における新規教化事業として開催されました「U(アンダー)-19の集い」において、「いのちの声を写そう!」という写真入りの詩集が作成されました。これは、「いのち」をテーマとして、参加者が使い捨てカメラを持って街に出て写真を撮り、その写真に参加者自身が詩をつけていくという画期的な試みでした。スタッフと参加者の信頼関係から、多くの素晴らしい写真と詩が生まれました。
このことばは、その詩の中からある女子高生が書いた詩の一節を抜き出し、教区教化テーマとさせていただいたものです。いのちに向き合った女子高生の澄んだ眼と、そのことを感じ取ったスタッフの感性を信じ、我々僧侶の発想を排除してえらばせてさせていただきました。
本山の御遠忌テーマである「今、いのちがあなたを生きている」は、仏法の立場から人間を言い当てた言葉です。言うならば、如来からの呼び掛けであります。しかし、この教区教化テーマである「あなたは、与えられたいのちとどう向き合う?」とは、いのちという課題を前にした女子高生の純粋な感性からこぼれてきた一人の人間の言葉です。女子高生から全ての人間に投げ掛けられた問い掛けであります。
すなわち、如来の呼び掛けと、人間の問い掛けであり、この御遠忌テーマと教区テーマは互いに呼応していることであります。「今、いのちが」と言われた「いのち」も、「与えられたいのち」と言われた「いのち」も解釈するものではなく、感ずるものであると考えるからであります。「いのち」を感ずる場は、知識・学習の場ではなく、お内仏を中心として身をあげて行う真宗門徒の生活の場そのものであると言えます。ともにその生活の場において「いのち」と向き合っていこうではありませんか。