『北海真宗』巻頭言
現世利益和讃
願力不思議の信心は
大菩提心なりければ
天地にみてる惡鬼神
みなことごとくおそるなり
仏の本願の用きは、私の思いをはるかに超えた念仏を称える心であり、それは私が信じ称えるものではなく、「願作仏心」(弥陀の悲願を深く信じて仏にならむと願う心)と「度衆生心」(よろずの有情を仏になさむと思う心)(正像末和讃・左訓)を内容とした、どこまでも一切衆生を救わずにおけないという本願を私の内に見出したところの大菩提心であります。その大菩提心を全ての悪鬼神は恐れるのです。
一時も一寸も離れず常にある我欲、妄執の心こそ「天地にみてる悪鬼神」であり、それは、無病息災・安全・延命に対しての「願い祈り」という言葉に置き換え正当化し、実は自身がその事に縛られているのです。
「念仏者は無碍の一道なり」(歎異抄)
宗祖の本願念仏は、それら一切が碍とはならず、また碍ともしない信心なのです。ですから「おそるなり」とあるのでしょう。恐れられると言う事は、碍ともしないところにあるのです。
当時中学生であった長男が修学旅行から帰り、家族全員に土産を買って来た。学校で決められた額の小遣いの中から一人ひとりの喜ぶ顔を思い浮かべながら懸命に選んで来たのであろう。その顔は満足気であった。最後の私に渡されたのは、小さな紙袋に入った木製のキーホルダーだった。初めて息子が私に選んでくれた土産は本当に嬉しかった。しかし次の瞬間その思いは落胆と変わった。そのキーホルダーの片面に交通安全祈願と刻印が押されていた。事もあろうに交通安全のお守りとは、それはそのまま引き出しに放り込むように置いてあった。
後に妻が息子の様子を話してくれた。「僕が買って来たお土産お父さん怒っているかな。うちのお寺は浄土真宗だからお守りは要らないんだよね。でもお父さんに何時までも元気でいて欲しいんだ。僕の本当の気持ちなんだよ」
お守りは要らないとしている私の「ただ念仏して」の念仏こそ、当に我がはからいのお念仏ではないか。
真宗の御本尊はどこまでも「南無阿弥陀仏」であります。それは私の南無するところの対象ではなく、南無阿弥陀仏との呼びかけの声にそのままの我が身を据えるその事一つということなのです。宗祖の念仏は「念仏申す」その一点で完結しておられるのです。
机の中のキーホルダーはその事を私に気付かせてくれたのです。
第9組 光専寺 住職 古卿 誠幸
現世利益和讃
天神地祇はことごとく
善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに
念佛のひとをまもるなり
この一首は「南無阿弥陀仏をとなうれば梵王帝釈帰敬す」以下の六首を結んで金光明経により善鬼神の守護を明かすと言われている。しかし何故に「南無阿弥陀仏をとなうれば」、梵王帝釈、四天王、難陀、跋難大龍等、炎魔、五道の冥官、他化天の大魔王等が念仏者を守り近づけずと言われるのか。この六首の中に出てきたところのものは仏道修行の障りをなすものであり、善き事を障害する鬼神のことである。このことを思うにこの世は悪魔に満ちているように思われるが、この世に悪魔をつくり悪魔に迷わされるのは自己の内にある自我愛のつくり出したものである。私は、今このことを思いながら釈尊の成道と親鸞の百日の参籠を思う。
釈尊は二十九才の時、人生を問い出家された。富を捨て、位を捨て六年間の激しい苦行の結果、苦行では正しい悟りを開くことは出来ないと苦行を捨て尼蓮禅河で沐浴をされ、村娘の捧げる乳がゆを食し菩提樹の下に座られ、正覚を得るまでは、この座を立たないと決心され禅定に入られた。釈尊の禅定が深まり仏陀となる正覚が近づいた時、正覚の仏陀の出現を恐れた魔王は魔女をつかわし愛欲の情念で正覚をゆるがそうと試みるが失敗する。魔王は、さらに鬼神をつかわし武器や毒矢をもって百千の大軍で釈尊にせまるが釈尊の不退転の境地はゆるぎないものであった。六首の中にあらわれる魔王その他は人間のあらゆる欲望がつくり出す欲望への誘惑であり、欲望が満たされないことの不安と恐れである。それは自らの内面の愛欲と名利への執着と強欲の心であると知らしめられる。魔とは自己の外にある相の如くに感じられるが実は自己の内なる問題であったことを出家の相をとって釈尊は示してくれている。
親鸞は二十年間、比叡山で「生死いずべき道を求めて」修行なされた。その二十年の歳月は仏になる為の修行であったが、その仏道に破れた。出家仏教者としての敗北の自覚であった。その自覚が和国の教主といわれ、日本国の釈尊としての聖徳太子。又、救世菩薩と示現したもう聖徳太子に最後の救いを求めての六角堂参籠であった。九十五日目の暁、夢の中に「行者宿報にて設い女犯すとも、我玉女となりて犯せられん。一生の間能く荘厳して臨終に引導して極楽に生ぜしむ」という救世菩薩の声を聞かれた。出家の仏道に破れた親鸞の中に釈尊を誘惑せしめようとした魔女の如く女人があらわれた。魔女に誘惑されるということは、在家、在俗になったということである。しかし、その女人は魔女ではなく親鸞に犯され親鸞を極楽に生まれさせようとする願生浄土の相をとった女人であった。魔も鬼神も外からのものではなく内なる自己の相のあらわれであり、愛欲も名利も自己そのものの相である。釈尊に依って「一切の衆生に悉く仏性あり」と示され、我痴・我見・我慢・我愛がつくり出す魔。鬼神の真っただ中に名のり出た仏性、アミダなる「いのち」である。「南無阿弥陀仏をとなうる」時、南無阿弥陀仏によって魔・鬼神その他の私のつくり出したものと、いいかえれば仏道を障碍するものとの戦いが始まる人生となる。信心を得るとは戦い続ける力を賜っていたことの自覚である。「南無阿弥陀仏をとなうる」とは我身の中にアミダなるいのちの用きに感応する感動の言葉として「南無阿弥陀仏をとなうる」という称名念仏が起きるのである。魔王、鬼神がアミダの用きに近づきて近づけない。そのアミダの用きを讃嘆する。その讃嘆することが「守りたもう」ということであろう。
第15組 真宗寺 住職 畠山 明光
現世利益和讃
南無阿彌陀佛をとなふれば
他化天の大魔王
釋迦牟尼佛のみまへにて
まもらんとこそちかひしか
南無阿弥陀仏をとなうれば
他化天の大魔王
幻楽を求める私の中に大魔王が見えた
昨年ある人の枕直しの勤行での事だ。御内仏の引き出しから法名を取り出した。法名は釋尼量宝、一緒にたどたどしい字で書いたメモが出てきた。「かけがえのないたくさんの宝が与えられる有難たい法名」と。
帰敬式を終えた後、同朋会館での会話が思い出された。
「御院主さん、これ、どう云う意味」
「かけがえのない宝物が見つかると云う意味だよ」
「有難たい法名をもらった」
「ところで、かけがいのない宝って何だろう」
「…」
(帰依三宝を期待したが、淡い夢であった)
「お寺に参ったら、きっと見つかるよ。」
「本当かなあー」
私が、私の中で求める安住の地は、何事も思いの如くなる他化自在天であろう。大魔王は、その主にならんと欲する私自身の境地であろう。
この人の法名も、自分の思いから見れば、他化天の大魔王に変質する。自分の欲求を満たすものとして仏を求める我等は、仏に出遇う事はない。
この自我意識が、仏から最も遠い存在である事を知らされるのが、南無阿弥陀の用きである。
釈迦牟尼仏のみまえにて
まもらんとこそちかいしか
仏の前に座する時、未聞の法に遇う
「釈梵護世の諸天、虚空の中にありて普く天華を雨りて、もって供養したてまつる。」(聖典92頁)
釈梵護世の諸天は、仏法護持の天人である。釈尊の御前に、仏法護持を誓う大魔王も心は同じと受けとめる事が出来よう。
観経疏に「我等天人、韋提ニ因ルガ故ニ、未聞之益ヲ聴クコトヲ得ン」(聖教全書483頁)
韋提希とは、単なる個人の名ではない。夢中に安養を求め苦悩する我等の具体的相である
しかも、夢破れても尚、夢の中に安慰を求め仏に背を向ける意識であろう。
“因とする”とは、夢の成就に心安らぐ処を求め苦悩する我等を目覚めさせる事以外に仏存在の意味はない。仏不請の我等に、不請の友となる、とお聞かせいただいた言葉が思い出される。人間の目で見れば、単なるおせっかいに過ぎない。心の所念を知り尽くした時、大悲となる。
夢醒めて自在に生きんと欲す
天人は、天華を雨らし仏を供養する天人である。釈迦牟尼仏の御前の大魔王も同じであろう。仏を仏として見る仏徳讃嘆の心である。
未聞の益、夢幻の中で、自我を絶対の世界として生きてきた、この事が仏の大悲にふれる事によって、自分自身の生命を自覚し、歩む世界が開かれる。この事が南無阿弥陀仏の用きである。
第5組 敬徳寺 住職 中岡 明秀
弥陀経和讃
彌陀の名號となえつつ
信心まことにうるひとは
憶念の心つねにして
佛恩報ずるおもひあり
称は、はかりというこころなり
念仏を「となえる」という時には、声に出してとなえるという「唱」の字ではなく、「称」という字を用いる。「称」という字について、宗祖は、
「称」は御なをとなうるとなり。また、称は、はかりというこころなり。
『一念多念文意』(聖典五四五頁)
と、「はかり」という意味を押さえられている。それは「称名念仏」とは、南無阿弥陀仏と声に出すというだけではなく、「汝を救いたい」という如来の心と、それを受け止める衆生の心が、天秤で重さを量る時のように、ぴたっと釣り合ったということを表している。
分限に目覚める
また、「はかり」ということについて、宗祖は
はかりというは、もののほどをさだむることなり。 『同』(聖典五四五頁)
と注釈されている。「もののほどをさだむる」とは、重さを量り、定めるということであるが、それは、「自分自身がどのようなものか」が定まる、分限を知るということなのであろう。宗祖は「行巻」で「如来の名を称す」(聖典一六九頁)の「称」の字に「軽重を知るなり」という注をいれている。私たちは軽重を知らない。我が身の罪の深さを知らずに、念仏を軽く扱っている。
「汝を救いたい」という如来の大慈悲心と、それを受け止める衆生の心が釣り合うとは、私たちが、「罪悪深重」であることを知り、「煩悩具足の凡夫」と定まることである。そして、その自覚こそ、まことの信心の内実である。
如来の呼び声を聞く
また宗祖は、念仏する人を
名号を称すること、とこえ、ひとこえ、きくひと 『同』(聖典五四五頁)
とおっしゃっている。南無阿弥陀仏の称名は、いつ誰が称えた念仏であっても如来の呼び声である。自ら称えた念仏の声に如来の名告りを聞いていく、「汝を救いたい。己の分限に目覚めよ」という如来の呼び声を聞いていくことが「称名」である。
仏から念じられている我
この和讃では、念仏を称え、まことの信心を獲た人は、つねに心に本願を忘れずに、仏恩報謝の思いがあるとうたわれている。しかし、私たちの日常生活は、一日中、仕事や家事に追われ、また、外からの溢れるほどの情報に関心を奪われて、自分自身を省みることの無い生活である。そのような私たちに、自分の意識によって、つねに本願を憶念するという歩みは出来ない。ただ、念仏申すとき、仏から不断に念じられていたという事実に出遇い、呼び覚まされていくのである。
慚愧と報謝
如来の大悲は、私の在り方の全てを鵜呑みにして受け入れるというのではなく、そこには仏智による人間への厳しい批判の精神がある。けれども、如来の大悲は、私の在り方を徹底して批判されながら、私の存在をありのままに受け止めてくださる心である。その心に触れたとき、慚愧心が呼び覚まされ、その願いに応えずにおれない歩みが始まるのである。
第2組 清浄寺 住職 波佐谷宏昭
弥陀経和讃
五濁惡時惡世界
濁惡邪見の衆生には
彌陀の名號あたへてぞ
恒沙の諸佛すすめたる
戦争末期に、武器を作る鉄が不足してくると、鉄製品の供出ということが、道内の小さな村にまで徹底して行われたが、各家庭を回り、お内仏の文具までも供出を強いたのは、町内会のごく近所の人々であったという。お寺の仏事に熱心であった人々が、お国のための供出にも熱心であったのだろうか。戦後しばらくしても鐘楼堂に梵鐘のないお寺が多くあったと聞いている。極寒の地の兵士のために家庭のいぬねこの毛皮が必要であるとされて、かわいがっていたねこを屠殺場へ連れて行った少年の時の回想も語られている。それには、そのことに何の疑問もいだかず、一生懸命に何か誇らしい行為のように気分が高揚していた自分に、思い出すたびに驚くという。(北海道新聞社『九条やめるんですか?〓〓北の国から憲法を考える』)
五濁ということについては、宮城先生の『和讃に学ぶ 浄土和讃』(東本願寺出版部、一二〇〜四頁)に詳しい。自分が主体的に生きているつもりであっても、その時代社会が濁って不透明であるならば、時代に流され、思想の歪みや過ちを自覚できないことを「劫濁」で表わされている。
「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里はすてがたく、いまだ生まれざる安養の浄土はこいしからずそうろうこと、まことに、よくよく煩悩の興盛にそうろうにこそ」(聖典六三〇頁)と宗祖は言われる。苦悩の旧里とは、苦悩の故郷、つまり無明のことであると、教えられている。「無明煩悩われらが身にみちみちて」(聖典五四五頁)と言われるように、わが身に事実であるということは、どのようなきれいごとも、どれほど取りつくろってみせても、みな崩される場に立たされるということである。ものごとを知ると世界が広くなるように思うが、そうではなく、知れば知るほど、世界が狭くなる。知ってる自己が拡大していくからである。如来の智慧は一切智と言われ、それは無智とも言われる。
人生には目的はない。何のために生きているのか分からないということは決して無意味ではない。大事な意味がある。それを分かったつもりにしてしまうことが危ない、と教えられる。答えを見出すための問いではなく、何のためにと問うことに意味がある問いである。無明という自己が、今初めて問題になる場に立たされているのである。「五濁悪世のわれらこそ」(聖典四九六頁)とか、「五濁のわれらがために」(聖典五三六頁)という宗祖の言葉は、五濁悪世を自己として出会った表現であり、法にうなづかされた言葉である。
五濁悪時悪世界という表現は、『唯信鈔文意』に、「よろずの善のなかより名号をえらびとりて、五濁悪時・悪世界・悪衆生・邪見無信のものに、あたえたまえるなり」(聖典五五五頁)と言われ、また、「釈迦よく五濁悪時・悪世界・悪衆生・悪見・悪煩悩・悪邪無信の盛なる時において」(聖典二一七頁)、「六悪とは、一に悪時、二に悪世界云々」(聖典四四五頁)、正信偈にも、「五濁悪時の群生海、如来如実の言を信ずべし」(聖典二〇四頁)とある。
凡夫は凡夫のまま救われる。凡夫のままが救いである。凡夫の自覚の所に如来まします。凡夫道が見つかったということが救いではなかろうか。仏道とは凡夫になる道である。凡夫が何かになるのではなく、凡夫は凡夫のままでよいという広い世界に帰らせてもらう。凡夫の大地に帰る。そこは、如来を根拠となす世界であり、一番如来に近い場所であり、如来とともなる場所だと言えるのではなかろうか。
第4組 極楽寺 住職 巌城 孝憲
弥陀経和讃
諸佛の護念證誠は
悲願成就のゆへなれば
金剛心をえんひとは
彌陀の大恩報ずべし
諸仏の護念證誠
僧侶に成り立ての若かりし頃、毎日の法務の繰り返しに疑問を感じたことがあった。先祖供養、死者供養そのものと思える月忌参りに明け暮れる寺院生活に飽き飽きしていた。特に留守のご門徒の誰も参る者のいない仏間において一人で読経することに大きな疑問と空しさを感じていた。真宗とはこんな慰霊と鎮魂の宗教ではないと力んでいたのであった。
それから数十年を経た先日、法務を手伝っていただいている若い僧侶が月忌参りから帰ってきて、あるご門徒さんの仏壇の前にこんなメモ書きがありましたと、持ってきてくれた。
「お寺さんへ
おはようございます。
あいにく今日は平日なので、一緒にお参りが出来ません。
今後も留守が多々ありますが、よろしくお願いいたします。……○○家一同」 このメモ書きを読みながら私は数十年前の自分のことを思い出していた。
ある先生が研修会において「誰もいないお内仏の前でお参りをすると、そんなことは無意味であると感じるのでしょう。でもそこの家の人は誰もいないけれども、自分は留守にしているけれどもお荘厳をし月忌参りの用意をして、お寺さんを迎えているご門徒さんの心と願いに、あなたは本当に応えていますか?お経の配達というけれど、配達なら何かを置いてくるはずです。あなたは何を届けてきましたか?」と、私の心を見透かしたように厳しく問われたのであった。
自分の思いや考えを中心に立てて、他を推し量って評価する限り、気がつかない大きな世界がある。私が誰かに何かをしてやるのではなかった。私に先立って私に願いをかけている広く大きな世界が在ったことに気がつくのに、随分と時間と犠牲を費やしたものだと知らされた。
金剛心
金剛心とは文字通りには「何ものにも動じない堅い心」と言うことであろう。最近、あるプロ野球選手が著した「不動心」という題の一冊の本が話題になっている。『「広く深い心」と「強く動じない心」すなわち「不動心」を持った人間でありたい。』と。「動かざること山の如し」という言葉を出すまでもなく、私たちは何ものにも揺るがない固い信念によって生きることを生き方の理想としている。しかし、その堅固の心が自分自身を固め、自己の正当性を主張し他者に耳を貸さない時、その生き方、在り方が限りない対立と差別を生じ、まさに地獄を作り上げていくことは、具体的な例をあげるまでもないことであろう。宗祖はさらに「信心すなわち一心なり、一心すなわち金剛心、金剛心は菩提心、この心すなわち他力なり」と、金剛心は私の心ではなく他力のはたらきであることを明確にされている。
「諸仏の護念証誠」「金剛心」は何処までも私の自己中心的な在り方を根底から問い返し、自分を明らかにするはたらきであります。
第17組 廣縁寺 住職 伊藤 篤
弥陀経和讃
十方恒沙の諸佛は
極難信ののりをとき
五濁惡世のためにとて
證誠護念せしめたり
「称讃不可思議功徳一切諸仏所護念経」という経名を持つ阿弥陀経は、釈尊が十方三世すなわち、過去現在未来のあらゆる時、あらゆる方向、無限の広がりの中にまします諸仏が讃嘆せられた不可思議功徳たる名号念仏の法を讃嘆し、諸仏も又釈尊が「末世」時を経る事において必ず向かっていく方向が壊であり滅であり(劫濁)、その中に起こる思想により世が乱れ(見濁)、煩悩に身を煩わし心悩ます(煩悩濁)、その只中に生きるしかない衆生は(衆生濁)、本当に生きるという命を見失う(命濁)、その中にあって極めて信じがたい念仏の法をお説き下さった事を「常共讃嘆」し、衆生念仏すれば必ず往生するにちがいないと、誠実の言をもって証明し、衆生が信心の失せぬように護り下される。
宗祖は、厳しい御自身の現実を生きていく中で、いのちの依りどころとなる本願念仏に出会えたよろこびをお示し下さったのです。
今年三月二十七日のテレビでクレイジーキャッツの植木等さんが亡くなった事を知った。私が子供のころ、高度成長時代の日本を代表するコメディアンであった。以前の東本願寺同朋新聞にも紹介されてあったが、父親の徹誠氏は真宗大谷派の僧侶であり、反差別運動、反戦運動に深く関わりその活動の為に投獄された経験もあるそうだ。絶対平等が人間社会の根本であるとの信念で、息子の名を「等」としたという。青島幸男さんの作詞であるあの有名な「スーダラ節」の楽譜を渡されたとき、この曲を歌う事により、ジャズミュージシャンとしての自分の人生が変わってしまうと悩み、父親に相談した時「この曲は親鸞聖人の心に通じる」と諭されて歌うことを決意したという。そして「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズはどこまでも、明るく、軽く歌いとばしてある。
繰り返し、生み出し続ける地獄・餓鬼・畜生の心を持ち、どこまでも自分を正当化し、人間と生まれながら人間を見失い、全てが同じ「いのち」を生きる者でありながら、それらを物化し利用し終わると捨て去っていく。決してそういう自分に開き直っているのではない。しかしその事さえも見えなくなっている。そこに「濁」という事があるのであろう。宗祖は一時も一寸も離れること無き身と、その事をどこまでも悲しみ泣き続けていかれた。その私をして悲しみ続けてくるものこそ「悪重く障り多きもの」(総序)と呼びかけてくる如来の発遣であり釈迦・諸仏であり十方恒沙の諸仏の称名と聞いていかれた。
そこに「だからこそ、われ阿弥陀仏に南無するものなり」という宗祖九十年の歩みを共に歩ませていただくのです。
第9組 光専寺 住職 古卿 誠幸
弥陀経和讃
恒沙塵數の如来は
萬行の少善きらひつつ
名號不思議の信心を
ひとしくひとへにすすめしむ
親鸞は九歳の時に比叡に上り、その後二十年間仏道修行の生活を送った。その比叡を下りるということは何を意味しているのか。よくいわれているが如く、比叡の仏教は堕落していて修行ができなかったといわれているが、私はそうは思わない。親鸞は真剣に生命をかけて悟りの道を求めたに違いない。恵信尼の便りの中にある「生死いずべき道」を求めて生命がけであり、その求道のきびしさは周囲を気にすることはあっても振まわされることはなかったと思われる。親鸞の求めた悟りの道が二十年間の修行の中では全く見出すことができず苦悩の中に比叡を下り、六角堂に参籠されたと思われる。仏の教えを信じ、一心不乱にする修行も堂僧といわれる修行も親鸞には全く救いにも悟りにもならない苦悩の日々であった。六角堂の祈願、九十五日間の参籠は「全ての人が救われる」と説く法然のもとに足を運ばざるを得ないものであった。
「全ての人が救われる」とは親鸞が救われることにおいて「全ての人が救われる」仏の教えでなくてはならない。親鸞は法然のもとに百日の間、雨の日も風の日も、いかなる大事があっても通い続けた。法然の前に座す親鸞には自己の努力や修行において悟り得ぬこの身、この生命の空しさ以外に何もない姿をさらけだした苦悩の日々であった。法然は阿弥陀の本願は一切衆生には何の条件も要求もしない弥陀の救済を説き、それが親鸞を法然のもとに百日間通い続けさせた。しかし、親鸞の悩みはこの百日間の中にも起こった。それは「信じる」という条件が問題になった。何も要求しない弥陀の本願を「信ぜよ」というならば、本願を「信じる」という条件がつけられたことになる。それでは全ての人が救われるということにはならない。弥陀の本願は全ての人々のところに信じようが信じまいが、すでに用き届いている事実への自覚。自覚の念仏でなければならない。自覚はめざめであり、「めざめ」は私達の努力・修行ではなく、すでにあるものにめざめることである。めざめるとは「ただ念佛」の生活である。私の生活を貫き超えて弥陀が名のりとして用いていることのめざめであり、私の善根や努力・修行ではない。
そのめざめ(自覚)こそ「弥陀にたすけまいらすべしと、よき人の仰せこうむる」生活になる。私は今、法然上人と親鸞聖人が本願の中で称名する相がおもわれる。その称名は無上仏にさせたいという無上仏(真理真如)からの一方的な用きであり、その無上仏の用きを釈尊は無量寿、無量光(智慧)と頷き、阿弥陀と名づけた。私達の生命、私達の生活の中に用き続ける阿弥陀如来は法蔵菩薩の相をとって私達の苦悩の生活の重きを担って荷負して下さる。その重担を荷負するとは私達の生命、生活に何かの条件や何かを要求するのではなく、私達の生命、生活そのものが私達の生命、生活を貫き超えた無量寿、不可思議なる智慧に出遇いをさせる縁となる。その縁に生きてる人、念仏生活をしているよき人の教えをこうむる私の生活が始まるのである。その教えをこうむる生活は法蔵菩薩が願力成就の倶会一処として私の生命、生活に用き、その法蔵菩薩に往生の生活(往相)と導き、その往生の生活の中に浄土からの還相として私の生活に用きかける還相の菩薩を領受する生活が起こるのである。ガンジス河の砂の数程(恒沙塵数)の如来が阿弥陀なる用きをほめ、すすめる。
自己の努力・修行、自力に破れた筈のものが、なお持ち続ける自己の正当性(自我愛)を破り嫌い、名号不思議の信心は即ち、捨てず選ばず常に用いている弥陀のまことの心(信心)である。そのまことの心(信心)の用きを恒沙塵数の如来がひとしく、ひとえにすすめていると親鸞は私共にすすめている。親鸞は信を訓して、ワレラ、シュジョウノシンハ、ミダノ、ガンヨリ、オコルナリと示している。
第15組 真宗寺 住職 畠山 明光
弥陀経和讃
十方微塵世界の
念佛の衆生をみそなはし
攝取してすてざれば
阿彌陀となづけたてまつる
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
―仏より最も遠い存在の自覚―
“私、これからお寺に参るよ。自分のために聞きなさい、と言われたんだから。”
何気なく参加した本廟奉仕、二泊三日の生活を通して、促されるものがあった。
出発前“やっと仕事から解放されたわ。これからは、自由に楽しく過ごしたい。”と言っていた。
「十方微塵世界の」宗祖は、コマカナルチリと左訓しておられる。最も仏より遠い存在、仏願に背く者にまで、と言う意味であろう。
仏は、我々一人ひとりの上に、自らの過ぎし日(因位)を見て、目覚めを促している。
外なるもの(仕事)から解放されても、内なるもの(自分の思い)に縛られ苦悩する。
私の世界で思いつく事は、その時々を快楽の中で生きると言う事で、苦悩からの逃避しかない。この様な我等の生き方を、仏より最も遠い存在、一闡提と言うのであろう。
摂取して捨てざれば
阿弥陀仏となづけたてまつる
―世界が一変する―
「そくばくの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」(聖典640頁)
法蔵菩薩は、自分の思いを一歩も出る事の出来ない我等の上に自らの因位を見る。同時に、世自在王仏との出遇いによって、そくばくの業より解放された謝念があろう。自らの遇い得た法をもって、我等の中に法身を没する。我等が法にふれた時、新らたな世界が開かれてくる。「摂取不捨」は、求道心の具体的歩みで語られるものであろう。
今このひとの“お寺に参るよ”と言う言葉は、本廟を見た時、“昔の人よく建てたものだねぇ。”と、感心している時は、単なる建物に過ぎない。
ふと、“何故、建てたのだろうか。”と、言う問いが興ってくる。建てた人の願いを問う。さらに、二泊三日の生活を通して、私の願いを聞くために建てて下さった、と転じられていった。としか、言い様がない。
阿弥陀なるいのちを生きる
宮城先生からお聞かせいただいた言葉が、響いてくる。
「蝉と蛇の脱皮と言う事で、蛇は脱皮する毎に、今迄より大きくなる。しかし、生きる世界は変らない。」
よく、仏法を自分の生活にとり入れて、と言う事を聞く。自分の世界に役立てようとすれば、仏法は消える。残っているのは、我聞けりと言う自負心だけであろう。
「それに対して、蝉脱。暗い土の中で生きていた蝉が、広い大空を飛ぶ。生きる世界が一変する。」
夢を追い、不安や不満、空しさから逃げようとしていた自分の生き方が、根底から転回される。
不安を縁として、自分の生きる世界が問われてくる。生涯、自分自身を問わずにおれない大悲の世界に生まれ出る。
安田先生は「凡夫が阿弥陀仏をまともに見れば、目がつぶれるのだ、南無と頭が下がったところに阿弥陀仏はいる。」と、お教え下さっている。
第5組 敬徳寺 住職 中岡 明秀
讃阿弥陀仏偈和讃
佛光照曜最第一
光炎王佛となづけたり
三塗の黒闇ひらくなり
大應供を歸命せよ
今年の一月に、札幌市内のあるデパートで、星野道夫写真展があった。極寒のアラスカの自然と野生動物の生態を、鋭い感覚の写真と文章で発信し続けて、人間の作ってきた文明社会というものに対する静かな批判を与えてくれた人である。その没後十年の写真展ということで、実に大勢の老若男女が作品に見入っていた。
「子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。」(『星のような物語』)言葉にならないような雄大な風景とか静寂な情景とか、そこにおいて個人的なものが限りなく消滅してしまいそうな中に、その光景に出会いえた感動が起こる時、何かいのちの原風景とも言うべきものを感ずるのは、太古の時代から人々は感動を同じくしてきたに違いないという、いのちを貫いてあるものを感じ、エネルギーを感ずるからなのであろうか。
司馬遼太郎氏は、ご自身を親鸞聖人の播州門徒と言われるが、弘法大師空海にひかれた人である。氏のご高説によると、古代からの日本文化を担ってきたのは、知的で美的感覚が繊細な弥生人の系統であり、血液型はA型が多く、関西を中心とする文化圏がそれである。ところが、東北地方を中心に縄文人による文化圏がもう一方にあって、それは大地と火といのちとエネルギーにあふれており、B型の血液型が多く、非常に魅力的な文化であるという。空海は唐の長安に留学して、唐に伝来されたばかりのインド直伝の密教に触れ、その密教というのが縄文文化のように呪術的にエネルギーあふれるもので、空海をして異形の僧たらしめた思想であったという。これからの時代は、大地と火といのちとエネルギーあふれる縄文人系統の文化の時代だと言われている。(『日本人の原型を探る』)
しかしながら、司馬遼太郎氏が、親鸞聖人の浄土真宗の教えを弥生人の系統であると単純に決めてしまっている点は、親鸞理解を大きく見誤っていると思われる。宗祖にとって、越後の、そして関東の、文字をも知らぬ「いなかのひとびと」(聖典五五九頁)との出会いは、かつての縄文文化圏の人々との出会いであり、吉水教団の仏教から全人類の仏教への念仏の普遍性を問われる、非常に大きな意味を持つ出来事であったのではなかろうか。
「よしあしの文字をもしらぬひとはみな/まことのこころなりけるを/善悪の字しりがおは/おおそらごとのかたちなり」(聖典五一一頁)と言われる。群生海や群萌とかの名は、たとえ天変地異に右往左往し、権力者に生活が蹂躙されたりはしても、決していのちの願いを見失うことなく、いのちの願いに生きようとする存在の名である。そこには、大地といのちと本願力があふれているのではなかろうか。頭で仏法を求めるのが聖道門仏教、生活で仏法を求めるのが浄土門仏教であると言われる。単なる知的理解ではなく、生きることそのことが問いとなる生活の仏教である。
「光炎王仏」とは十二光仏の第五である。地獄・餓鬼・畜生という三塗の黒闇をひらくゆえ、光炎王仏とある。その仏を真に供養すべき大応供として見出したことは、燃え上がる炎が、分別はからいから起こる煩悩の作る世界を離れて、この身を生きている自己の自然・いのちへの目覚めを促し続けて止まない世界を開くことを意味しているのではなかろうか。
第4組 極楽寺 住職 巌城 孝憲
讃阿弥陀仏偈和讃
清淨光明ならびなし
遇斯光のゆへなれば
一切の業繋ものぞこりぬ
畢竟依を歸命せよ
無対光
この御和讃は、曇鸞の『讃阿弥陀仏偈』の「又、無対光と畢竟依となづく」という文を意訳するという形で作られている。無対光とは、阿弥陀仏の光明は、諸仏とは比べようのない優れた光だという意味が押さえられる。それは、諸仏と比べて、ずば抜けて優れているということではなく、そもそも比べることが出来ないということである。
阿弥陀仏の光明は、第十二願(光明無量の願)に
たとい我仏を得んに、光明よく限量ありて、下、百千億那由他の諸仏の国を照らさざるに至らば、正覚を取らじ。(『無量寿経』 聖典十七頁
)
と説かれているように、諸仏の国を照らす光である。諸仏の国を照らすとは、十方の衆生の国土を諸仏の国土として照らし出すことである。そこには、ただ衆生を不憫に思うということだけでなく、やがて仏の覚りを開くべきものとして尊重する、諸仏として見いだすという精神がある。
阿弥陀仏の光明は、衆生を目覚めさせ、諸仏として生み出す「はたらき」である。それ故、「諸仏を生み出すはたらき」と、「生み出された諸仏」とは、比べることが出来ないのである。
業繋
宗祖は「業繋」の文字に「罪の縄に縛らるるなり」と左訓されている。罪が人間を縛るわけではない。罪を犯したという自らの「思い」に縛られるのである。私たちは、犯した罪の重さを感じる時、自分自身を責め、時に自分の存在そのものを否定しようとする。このように自分で自分を責めるのは、善でありたい自分の思いと身の事実が一致していない、自分で作った罪を本当に我が事として受け止めて、担うことが出来ないからであろう。
また、私自身、自分の過ちを意識したとしても、心の中では常に、自分を正当化し、本当に頭が下がることがない。そういう私が、罪を犯して苦しむのは、罪を作り続ける我身について苦悩しているのではなく、過ちを犯したことによって、自分が思うように生きにくくなったことを困るということであろう。
遇斯光
私たちは分別によって作った、閉じた世界の中で、善悪・優劣を決め、他を裁き、自分自身の存在そのものをも否定していく。阿弥陀仏の光明は、私たちがどんな在り方であろうと、仏になるべき存在として尊重し、迷い私たちに寄り添って、一人も見捨てることなく、目覚めを促し続けている。
「業繋ものぞこりぬ」とは、この「慈悲と智慧」の光明との出遇いによって、迷いを迷いと知り、罪を作って生きてきた事実に本当に頭が下がり、自らの業を生きるものになることである。
畢竟依
この御和讃では、全ての者にとって究極の依り処である、阿弥陀仏を「畢竟依」という名をもって私たちに示している。そして、宗祖は名号を通して出遇う光明のはたらきから、「帰命せよ」という呼び声を聞き取っていかれたのである。
第2組 清浄寺 住職 波佐谷 宏昭
讃阿弥陀仏偈和讃
光雲無碍如虚空
一切の有碍にさはりなし
光澤かふらぬものぞなき
難思議を歸命せよ
日常生活において、私たちはいかに慣れと無自覚の中に漫然と生きているか。自分の思いを中心にして生きる生活の中にあっては、「いのちの感動」という感覚をいかに困難にしているか。
この冒頭の和讃は「讃阿弥陀仏偈和讃」の第四首目であるが、この和讃を含む「弥陀成仏のこのかたは」で始まる六首の和讃は私たちにとっては最も親しみのある和讃である。おそらくは誰もが毎日の勤行で一度はいただいている和讃であろう。しかしながら、あらためてこの和讃を目の前にしてその意味を尋ねてみると、日頃の自分がお聖教をいかに疎かにいただいていたのか思い知らされた。
阿弥陀如来の光明の徳を讃えて「願生偈(帰命尽十方無碍光如来)」をつくられた天親菩薩、「讃阿弥陀仏偈(光雲無碍如虚空)」をつくられた曇鸞大師、そしてそれらを自身に引き当ててこの「讃阿弥陀仏偈和讃」をつくられた親鸞聖人の「いのちの感動」を感ずることなく和讃をいただいていたのではないか。それには「声聞とは仏陀(宗祖)の言葉を利用する者である。」という先人の厳しい指摘が聞こえてきそうである。
先日、私の関わっている大谷幼稚園において報恩講が勤められた。園児達が「ののさま」にお花を捧げる献花のリハーサルの時に、司会進行をする先生が次のような新鮮な質問をしてくれた。「ののさまにお花をあげるというべきか?それともののさまのおそばにお花をあげるというべきか?」というものであった。問われた私はこれまで考えたこともなかった質問であったために、一瞬答えに詰まってしまった。
「仏さま」を特別な能力を持つ実体的存在として考えることが一般的な解釈となっている。さらには「仏さま」は何処に存在しているか?私にとって必要か?ということが問題となる。私たちの生活の拠り所である人間の知恵で考える(思議する)と、一切を対象化して自分の前に立てて、自分の物差しをもって量り是非を論じ、深い闇をつくる。それが有碍ということである。
思議し有碍なる私たちが自分の思いに先だって存在をすでに許されている世界、それが如虚空といわれる浄土の徳である。虚空とは一切の存在を保ち、支え、包む世界をいうのである。尽十方無碍光如来の光明の徳(光雲)に照らし出されて、初めて思いがけずに(難思議)自分の身の事実を知らされる。こんな自分が限りなくいのちを潤す光を被って(光沢かぶる)、すでに存在を許されてあった。そのことの深い感動が和讃となって表現されていたのでありました。
今日、私たちは様々な場面において他者を許すとか許さないということには敏感である。しかし自分がすでに許されてこの世にあったという事実には極めて鈍感である。
第17組 廣縁寺 住職 伊藤 篤
諸仏の護念証誠
僧侶に成り立ての若かりし頃、毎日の法務の繰り返しに疑問を感じたことがあった。先祖供養、死者供養そのものと思える月忌参りに明け暮れる寺院生活に飽き飽きしていた。特に留守のご門徒の誰も参る者のいない仏間において一人で読経することに大きな疑問と空しさを感じていた。真宗とはこんな慰霊と鎮魂の宗教ではないと力んでいたのであった。
それから数十年を経た先日、法務を手伝っていただいている若い僧侶が月忌参りから帰ってきて、あるご門徒さんの仏壇の前にこんなメモ書きがありましたと、持ってきてくれた。
「お寺さんへおはようございます。あいにく今日は平日なので、一緒にお参りが出来ません。今後も留守が多々ありますが、よろしくお願いいたします。・・・・・・○○家一同」このメモ書きを読みながら私は数十年前の自分のことを思い出していた。
ある先生が研修会において「誰もいないお内仏の前でお参りをすると、そんなことは無意味であると感じるのでしょう。でもそこの家の人は誰もいないけれども、自分は留守にしているけれどもお荘厳をし月忌参りの用意をして、お寺さんを迎えているご門徒さんの心と願いに、あなたは本当応えていますか?お経の配達というけれど、配達なら何かを置いてくるはずです。あなたは何を届けてきましたか?」と、私の心を見透かしたように厳しく問われたのであった。
自分の思いや考えを中心に立てて、他を推し量って評価する限り、気がつかない大きな世界がある。私が誰かに何かをしてやるのではなかった。私に先立って私に願いをかけている広く大きな世界が在ったことに気がつくのに、随分と時間と犠牲を費やしたものだと知らされた。
金剛心
金剛心とは文字通りには「何ものにも動じない堅い心」と言うことであろう。最近、あるプロ野球選手が著した「不動心」という題の一冊の本が話題になっている。『「広く深い心」と「強く動じない心」すなわち「不動心」を持った人間でありたい。』と。「動かざること山の如し」という言葉を出すまでもなく、私たちは何ものにも揺るがない固い信念によって生きることを生き方の理想としている。しかし、その堅固の心が自分自身を固め、自己の正当性を主張し他者に耳を貸さない時、その生き方、在り方が限りない対立と差別を生じ、まさに地獄を作り上げていくことは、具体的な例をあげるまでもないことであろう。宗祖はさらに「信心すなわち一心なり、一心すなわち金剛心、金剛心は菩提心、この心すなわち他力なり」と、金剛心は私の心ではなく他力のはたらきであることを明確にされている。
「諸仏の護念証誠」「金剛心」は何処までも私の自己中心的な在り方を根底から問い返し、自分を明らかにするはたらきであります。
伊藤篤氏(7月号)
恒沙塵数の如来
親鸞は九才の時に比叡に上り、その後二十年間仏道修行の生活を送った。その比叡を下りるということは何を意味しているのか。よくいわれているが如く、比叡の仏教は堕落していて修行ができなかったといわれているが、私はそうは思わない。親鸞は真剣に生命をかけて悟りの道を求めたに違いない。恵信尼の便りの中にある「生死いずべき道」を求めて生命がけであり、その求道のきびしさは周囲を気にすることはあっても振まわされることはなかったと思われる。親鸞の求めた悟りの道が二十年間の修行の中では全く見出すことができず苦悩の中に比叡を下り、六角堂に参籠されたと思われる。
仏の教えを信じ、一心不乱にする修行も堂僧といわれる修行も親鸞には全く救いにも悟りにもならない苦悩の日々であった。六角堂の祈願、九十五日間の参籠は「全ての人が救われる」と説く法然のもとに足を運ばざるを得ないものであった。「全ての人が救われる」とは親鸞が救われることにおいて「全ての人が救われる」仏の教えでなくてはならない。親鸞は法然のもとに百日の間、雨の日も風の日も、いかなる大事があっても通い続けた。法然の前に座す親鸞には自己の努力や修行において悟り得ぬこの身、この生命の空しさ以外に何もない姿をさらけだした苦悩の日々であった。
法然は阿弥陀の本願は一切衆生には何の条件も要求もしない弥陀の救済を説き、それが親鸞を法然のもとに百日間通い続けさせた。しかし、親鸞の悩みはこの百日間の中にも起こった。それは「信じる」という条件が問題になった。何も要求しない弥陀の本願を「信ぜよ」というならば、本願を「信じる」という条件がつけられたことになる。それでは全ての人が救われるということにはならない。弥陀の本願は全ての人々のところに信じようが信じまいが、すでに用(はたら)き届いている事実への自覚。自覚の念仏でなければならない。自覚はめざめであり、「めざめ」は私達の努力・修行ではなく、すでにあるものにめざめることである。
めざめるとは「ただ念佛」の生活である。私の生活を貫き超えて弥陀が名のりとして用いていることのめざめであり、私の善根や努力・修行ではない。そのめざめ(自覚)こそ「弥陀にたすけまいらすべしと、よき人の仰せこうむる」生活になる。
私は今、法然上人と親鸞聖人が本願の中で称名する相がおもわれる。その称名は無上仏にさせたいという無上仏(真理真如)からの一方的な用きであり、その無上仏の用きを釈尊は無量寿、無量光(智慧)と頷き、阿弥陀と名づけた。私達の生命、私達の生活の中に用き続ける阿弥陀如来は法蔵菩薩の相をとって私達の苦悩の生活の重きを担って荷負して下さる。その重担を荷負するとは私達の生命、生活に何かの条件や何かを要求するのではなく、私達の生命、生活そのものが私達の生命、生活を貫き超えた無量寿、不可思議なる智慧に出遇いをさせる縁となる。その縁に生きてる人、念仏生活をしている良き人の教えをこうむる私の生活が始まるのである。
その教えをこうむる生活は法蔵菩薩が願力成就の倶会一処として私の生命、生活に用き、その法蔵菩薩に往生の生活(往相)と導き、その往生の生活の中に浄土からの還相として私の生活に用きかける還相の菩薩を領受する生活が起こるのである。ガンジス河の砂の数程(恒沙塵数)の如来が阿弥陀なる用きをほめ、すすめる。自己の努力・修行、自力に破れた筈のものが、なお持ち続ける自己の正統性(自我愛)を破り嫌い、名号不思議の信心は即ち、捨てず選ばず常に用いている弥陀のまことの心(信心)である。そのまことの心(信心)の用きを恒沙塵数の如来がひとしく、ひとえにすすめていると親鸞は私共にすすめている。親鸞は信を訓して、ワレラ、シュジョウノシンハ、ミダノ、ガンヨリ、オコルナリと示している。
畠山明光氏(5月号)
真実明に帰命せよ
親鸞聖人はこの和讃に左訓を続けておられる。
智慧の「智」の左訓に「あれはあれ、これはこれ」と分別して思ひ計らふによりて思惟に名づく。「慧」はこの思ひの定まりて、ともかく働かぬよりて不動に名づく。不動三昧なり。
「有量」には、よろづのと左訓し、「諸相」には衆生なりと左訓し「有量」は世間にあることはみな量りあるによりて有量といふ。仏法はきわ、ほとりなきによりて無量といふなりと左訓し、「真実」の「真」に真というは偽り、諂らわぬを真といふ。「実」といふは必ずものの実となるをいふなりと左訓された(原文はカタカナ、漢字「カッコ」は筆者)。
私達煩惱具足の凡夫は生活の中心に自我愛を立てて生活している。その結果煩惱具足の凡夫もあれはあれ、これはこれと自我愛の上に分別し自己中心になるが故に身を煩し心を悩ます生活となる。その煩惱具足の凡夫と衆生を見定めて、あなたはあなたであればいい、花は花であればいい、鳥は鳥であればいいと煩惱の働きに動かされることなく聞き続けているその聞きを智慧というと親鸞は感心したのであろう。
過日大分で酒酔い運転で車をぶつけ、ぶつけられた車は橋から河に転落。母親も父親も三人の子供を助けようと全力を尽くしたあの力は法蔵菩薩の魂であったと私は感じた。我が身を捨て、我が命を捨て、我が戝(損得)を捨てた法蔵菩薩の魂があの父母を動かしている。あの父母の宗教は何であるのか私は知らない。何の宗教であったとしても、又無宗教であったとしても私はあの父母の働きの中にアミダなる聞き法蔵菩薩魂を感じた。三人の子等は命を失った。ぶつけた人への恨みも深かろう。恨みが深ければ深い程、子等に対する悲しみも大きくなるだろう。父母は助けることができなくて「ごめんね」と子等に生涯謝り続ける相が私は想われて私の心をしめつける。今生に謝り続ける親が真に許され救われるのは死した子等と再会する倶会一処の世界においてであろう。酒酔い運転をした者も自我愛の結果なのであろう。その罪は今生で裁判によって刑が決まったとしても仏の教えでは不飲酒戒を破り不殺生戒を破った結果、等活地獄に落ちそこには人間の訂いきれない苦と時間が流れるという。加害者の罪の深さと被害者の悲しみを知らさんが為の仏の教えであろう。人と生まれて人間中心の社会。自己中心、自我愛の生活は偽りと諂いの生き方になる。その我々の生命に聞き(廻向)、我々の生命に根づいている如来の寿に背き、自我愛を自己と思う偽りに目覚めた時、慚?と讚嘆の世界が聞かれて虚偽の我が身に真実の実がなるのである。親鸞はこのことこそ「必ずものの実になる。」といわれ煩惱具足の凡夫の私に実をなさしめるその聞きにうなづく時、如来の言葉として「真実明に帰命せよ」と親鸞は私共に示してくれたと私は頷いている。
畠山明光氏(06年12月号)
無辺の極濁悪
無辺の極濁悪であることの自覚は「今」生きている世界において体験しているということがなければ救いを求めるということはおこらない。また今生し、濁悪を感じるその中に過去世においても濁悪の歴史を経てきた自覚においてこそ救いを求めることがおこる。地域の流れを超えてインド、中国、日本と伝わってきた濁悪を救わんとする本願の歴史はインドにはインドの歴史・文化・民族があり、中国には中国の歴史・文化・民族があり、日本には日本の歴史・文化・民族があったが、その歴史・文化・民族・時代を超えて濁悪なる世界、濁悪なる衆生を同じく斉しく救わんとする本願の用き。阿弥陀経に説く、劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁の五濁悪世。老病死を見て世の非常を悟り、救いを求めざるを得ない願いがおこった。濁悪の中にあって求めずにいられない願いが衆生に問うた。
親鸞聖人御誕生八百年のテーマが「生まれた意義を生きる喜びをみつけよう」であった。このテーマは五濁し、生きる私共の課せられた願いであり、私のいのちに問われたものであった。濁悪を体験しているということにおいて問われてくる用きが「汝自当知」「汝自らまさに知れ」、何を知るのか、「(人と)生まれた意義と生きる喜びをみつけよう」という用きを知る。時代、国家、文化、民族をこえて、いいかえれば個人社会、国家のエゴをこえて、一人に問われた問いではないのか。エゴの問題として仏の教えでは不殺の戒を説く。他の生命を殺し利用してしか生きていけない衆生に不殺生戒を説く。殺し利用した生命が私のいのちと倶会一処の世界を示し、願生浄土を説く。殺生せずに生きられない痛み、悲しみの中の倶会一処、願生浄土を説く。人間と生まれた私に対して告発し、問い続ける用きこそ浄土真実の行。その浄土真実の行にめざめることが人と生まれた意義であると私は頷く。思想、主義をこえて「殺すことなかれ」。殺さずに生きておれないことに理由をつけ、エゴがつくりだす濁世に浄土真実の行が与えられ、「唯」、ただこのこと一つと選択した如来本願の行が開かれた。如来本願の世界はエゴをこえて殺生し、利用した生命と一つにとけ合える世界。地獄、餓鬼、畜生のない世界。平等なる世界。その浄土の世界を衆生を為に具体的に示し、浄土往生について「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」と、よき人法然上人を通し、七高僧の説を信ずべしと親鸞聖人は言われる。七高僧の本願の歴史を通して釈尊の出世本懐こそ五濁の世、無仏の時に弥陀の本願を説くことであると信知した親鸞聖人。親鸞聖人は釈尊の出世本懐が弥陀の本願を説くことであったが本願に遇ってみれば釈尊以前に己に説かれていたのだと。「弥陀の本願まことにおわしませば釈尊の説教虚言なるべからず」と語る。釈尊が弥陀を称揚することは諸仏と共に称揚する証しである。その弥陀の本願の用き、「今、いのちがあなたを(私を)生きている」ことの確認が七百五十回の親鸞聖人の御遠忌であると思う。
畠山明光氏(06年10月号)