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公開講座

10月の公開講座
日時 10月23日(月)18〜20時
講師 齋藤 研 氏(三条教区 正樂寺)
講題 「一人(いちにん)の成就」 


人の身を受けて生まれてきたということは希なことです。しかし人の形をして生まれてきても、人と成っているかどうかは別の問題ではないでしょうか。つまり姿形は人であっても、その中身がどうなっているのか、どのような生き方をしているのか。その「人」とは何であるかを仏教では見つめ続けてきました。
 「一人(いちにん)の成就」という講題をお出ししました。「一人」の文字は普通には「ひとり」と読みますので「いちにん」と読むのは耳慣れない読み方だと思います。それを「いちにん」と読ませたのは何故か。そして、その「一人」が「成就」するとはどういうことか。『歎異抄』のお言葉を手がかりに、お話させていただきたいと思います。


聴講料 200円(聴講券12回分 2000円)
会 場 東本願寺会館(北海道教務所)
http://www.shinranweb.com/acc.html
(2017.10.4[Wed])

9月の公開講座
日時 9月5日(火)18〜20時
講師 伊藤 智秀 氏(第4組 明コ寺)
講題 「本願の救い 〜念仏者のすがた〜」 


 『歎異抄』の作者は唯円とされ、その書には唯円が生涯耳の底にとどまるほど忘れられなかった親鸞聖人のお言葉が記されております。しかもそれは、親鸞聖人を通して出遇った如来の本願との値遇であり、そういう意味で『歎異抄』は唯円の御一代記聞書であり、出遇いの書物であると私は受けとめております。
「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」(『歎異抄』第二章)
 ここに「よきひとのおおせをかぶりて」という言葉がございます。換言するならば「よきひととの出遇い」とも言えるのではないでしょうか。
 私自身も学びの中で、多くの先生方と出会う機会をいただき、そのこと自体は希有なることであると感じております。しかしそれも危ういもので、へたをすると出会い得た「よきひと」を絶対化して、その先生にもたれかかって生きようともします。言うまでもなく、それは決して「よきひと」に出遇ったすがたではないのでしょう。宮城先生は「出遇いは、常にひとつの道を歩んでいる人に出遇い、その人を通して、その人が生きている世界、求めているところに出遇うということ」と仰ります。ここに『歎異抄』を出遇いの書といただく私の所以があります。
 先達の教示を通し、あらためて『歎異抄』に学んで参りたいと思います。


聴講料 200円(聴講券12回分 2000円)
会 場 東本願寺会館(北海道教務所)
http://www.shinranweb.com/acc.html
2017.8.5[Sat]

8月の公開講座
日時 8月18日(金)18〜20時
講師 宮本 浩尊 氏(第4組 天融寺)
講題 念仏と空性
   〜「念仏には無義をもって義とす」の意味〜


 『歎異抄』第十条には、「念仏は無義をもって義とす。不可称不可説不可思議の故に」と述べられています。
 一般に「言葉」は、「義(意味)」を持ち、何らかの対象を表現するための手段です。従って、「言葉」は「有義」であり、「可称可説可思議」なものでなければなりません。しかし、親鸞聖人は、「念仏」という「言葉」を「無義」と定義し、その理由を「不可称不可説不可思議の故に」と表現しています。
 このことは、親鸞聖人が「念仏」を、我々が日常的に用いる「言葉」と区別していることを意味しています。では「念仏」は、我々が日常的に用いる「言葉」とどのように違うのでしょうか。本講座では、この問いを「空性」という観点から考えてみたいと思います。


聴講料 200円(聴講券12回分 2000円)
会 場 東本願寺会館(北海道教務所)
http://www.shinranweb.com/acc.html
(2017.8.1[Tue])

7月の公開講座【終了】
日時 7月21日(金)18〜20時
講師 吉田 敦史 氏(第4組 島松寺)
講題 大谷派なる宗門は何れの処に存するか。


 東本願寺が分立したのは関ヶ原の合戦から2年後の1602年です。以来江戸期を通じて浄土真宗を「門徒宗」又は「一向宗」と言い習わしてきました。明治という新しい時代を迎え、念願であった「浄土真宗」という宗名の公称が認められました。更に明治14年には「東本願寺派」としていた宗派名も「真宗大谷派」と改称されたのです。
私たちは、この「真宗大谷派」という名称を何の疑問もなく日常的に使っています。改めてこの大谷派という宗派はどういうものなのか、一体どこに大谷派なる宗派団体が存在するのか、そのことを、東西分派が起こって415年、「真宗大谷派」と改称されて136年、両堂等御修復を含む宗祖の七五〇回御遠忌とが昨年完了し、これから当に立教開宗800年と宗祖誕生850年を迎えようとする時にあたり、蓮如上人以降一種の禁書であった『歎異抄』の再発見という明治の出来事を通してたずねてみたいと思います。


聴講料 200円(聴講券12回分 2000円)
会 場 東本願寺会館(北海道教務所)
http://www.shinranweb.com/acc.html
(2017.7.3[Mon])

6月の公開講座【終了】
日時 6月16日(金)18〜20時
講師 田中 昭親 氏(石川県 小松教区淨昭寺住職)
講題 歎異抄に思うこと(深信と往生)


 『歎異抄』の作者は親鸞聖人の弟子唯円房と言われていますが、正確には作者不詳となっています。また蓮如上人は「為当流大事聖教也」といいながら、「於無宿善機、無左右不可許之者也」と奥書されたのでしょうか。このことによって以前には、『歎異抄』を学ぶことに障りがあったとも聞いています。
 蓮如上人の『御文』は「六字釈」が多く見られるのに対して、『歎異抄』は「深信」にあるように思います。また「往生」を多く使われています。
 『歎異抄』は片仮名であり、特に十章までは短文でなじみ易いようですが、反面、分かりにくいのではないかとも思います。四章の「念仏していそぎ仏になりて」、五章の「念仏を回向して」、七章の「念仏者は無碍の一道なり」等々。


聴講料 200円(聴講券12回分 2000円)
会 場 東本願寺会館(北海道教務所)
http://www.shinranweb.com/acc.html
2017.6.4[Sun]

5月の公開講座【終了】
日時 5月18日(木)18〜20時
講師 本田 優子 先生
講題 アイヌの伝統的世界観と現代社会での意義


大学を卒業してから11年間、平取町二風谷というアイヌ民族の集落で暮らした私は、恩師・萱野茂先生やアイヌの古老たちから、今なお受け継がれているアイヌの伝統的世界観について学ぶことができました。そこには、現代社会に生きる私たちが学ぶべき本質的な教えがあると感じています。その後、大学に職を得た私は、アイヌの若者たちがアイヌ語やアイヌ文化、民族芸能を学ぶためのウレシパ・プロジェクトを学内に創設しました。
今回は、アイヌの世界観についての概説や私自身の体験、現代に生きるアイヌの若者たちの学びの現状についてお伝えするとともに、アイヌ文化が北海道にあることの価値について考えたいと思います。


聴講料 200円(聴講券12回分 2000円)
会 場 東本願寺会館(北海道教務所)
http://www.shinranweb.com/acc.html
(2017.5.2[Tue])

4月の公開講座【終了】
日時 4月14日(金)18〜20時
講師 三浦 崇 氏(札幌別院輪番)
講題 摂取不捨の利益


 丘の町・美瑛・美宙天文台台長も務められた物理学者の佐治晴夫さんは、その著書の中で、ネイティブ・アメリカンのオジブエ族について、次のように語られています。
 彼らは、日常の全ての出来事は例外なく創造主、神の意志によるものであるという絶対的信仰をもっていること。従ってどのような事が生じても、それは神の意志であるとして、全てを丸ごと受け入れる姿勢を持っていること。そして、その背景にあるものは神に全てを預ける謙虚さであり、それを保証するものは、決して自分たちを見捨てることをしないという神への信頼であること。
それを目にした時、『歎異抄』で教えられている「摂取不捨の利益」という言葉を思い起こしました。
 佐治先生は、「オジブエ族の素朴な宗教観」とも言われますが、神への信頼を成り立たせる素朴さとはまた、摂取不捨の利益に目覚めさせる働きに通じるものかと思います。
 「後生の一大事」に目覚めることは、素朴な感覚の中に生きている事を教えられます。


聴講料 200円(聴講券12回分 2000円)
会 場 東本願寺会館(北海道教務所)
http://www.shinranweb.com/acc.html
(2017.4.3[Mon])

3月の公開講座【終了】
日時 3月24日(金)18時〜20時
講師 両瀬 渉 氏(好蔵寺住職、旭川医科大学非常勤講師)
講題 病むこと、生きること
    ―善悪のふたつ総じてもって存知せざるなりー


「健康」であることは、大切で尊いことであり、人々は健康を願います。健康は、私たちにとって「善」なることと思っています。一方、「病気」になることは誰も望んではいませんし、様々な不幸を招いてしまいます。私たちにとって「悪」なることと思っています。
ところで末期がんなどの重篤な病気の人は、死の不安をかかえながら「生と死のはざま」に身を置いて苦悩されています。誰にとっても病気になるという可能性がある以上、この苦悩はすべての人々の課題でもあります。私たちの人生において病気や死は、単に不幸な「悪」なるできごとなのでしょうか。
日頃、医師や看護師を目指している学生とともに学んでいることの一端を紹介しながら、宗祖の「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」という言葉の意味を、あらためて問い直してみたいと思います。


聴講料 200円(聴講券12回分 2000円)
会 場 東本願寺会館(北海道教務所)
http://www.shinranweb.com/acc.html
(2017.3.3[Fri])


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