今月の法語 「観仏本願力 遇無空過者」
「死ぬことが 情けないのではない 空しく終わる人生が やりきれないのだ」 浅田正作
或るお寺の掲示板の言葉です。ずいぶん前から知っていた言葉でしたが、今更ながらドキッとしてしまいました。
何年か前、若い坊さんを対象にした研修会にスタッフとして参加した時、「空しいってどういうことですか?」と質問され、「金庫の前で餓死するようなものです」と答えたのを覚えています。
質問者は納得していた様子でしたが、考えてみると、その金庫には何が入っていたのでしょうか?お金を貯めることに必死になって餓死したのか、実はお金など入っていなかったのか、お金はあるけど食料不足により買うことができなかったのか、それともお金も食料もありながら「生きるという意味」が見つからなかったのか…
そもそも、金庫は金品だけをしまっておくものではないはずです。他人に犯されたくない貴重なものを保管するところですから、自分にとって大切にしているものをしまっておく場所なのでしょう。(思い出だったり、夢だったり)
或る人は、時価数千万円もするという茶碗を貸し金庫に預けているそうです。その茶碗を大切にする余り、茶碗は人の目に触れることもなく、ましてや茶碗の役割すら果たすことがないまま茶碗は眠り続けるのでしょう。
人間のもつ閉鎖性から、金庫の中身のもつ本来のはたらきや輝きを奪い、その前で生きる意味を失い終わっていくということは、自分の大切なものを守るあまり何重にも鍵を掛け、不信と欺瞞のなかで心を閉ざしつづけるあり方なのでしょう。それは自らの輝きまでも失う姿です。大体が与えられたものの中にいるにもかかわらず…
「給食費を払っているのだから『いただきます』とは言わせないで下さい」
こんなニュースが茶の間を賑やかせたのを思い出します。「お蔭様」はどこへ行ったのでしょう。
いろいろな考えがあっていいと思いますが、なにか空しい…