親鸞聖人
浄土真宗の宗祖親鸞聖人は、戦乱や災害が相次いだ平安時代末期から鎌倉時代にかけて、九十年のご生涯を送られました。
そのご生涯をたずねてみましょう。
そのご生涯をたずねてみましょう。
1. 誕生と出家(九歳)

九歳の時、親鸞聖人は、後の天台座主・慈円のもとで出家されました。それから二十年もの間、比叡山延暦寺できびしい修行と学問にはげまれました。しかし、どれだけ修行と学問にはげんでも、さとりを開く道を見いだすことはできませんでした。
2. 法然上人とのであい(二十九歳)

法然上人のもとで、親鸞聖人は約六年間過ごされました。その間に、法然上人から主著『選択本願念仏集』の書写と真影(法然上人の肖像画)の制作を許されました。また、恵信尼公とであい、結婚されたのもこのころとされています。
3. 越後・関東での生活(三十五歳から六十歳ごろ)

五年後、流罪が許された親鸞聖人は、法然上人の死を知ると、京都には戻らず関東へ向かわれました。そこで約二十年間滞在し、常陸(茨城県)の稲田を中心に、念仏の教えを広く伝えていかれました。
また、この地において主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)を書きはじめられたとされています。
4. 京都での生活(六十歳ごろから九十歳)

その後、関東では念仏の受けとめをめぐって、様々な混乱や対立がおこりました。そのなかで、誤った教えを広めた長男の慈信房善鸞と親子の縁を切るという悲しい出来事もありあましたが、親鸞聖人は、『教行信証』を書きすすめるとともに、終生同朋・同行に手紙や書物を送り、念仏の教えを伝え続けられました。
一二六二(弘長二)年十一月二十八日、親鸞聖人は九十年の生涯を終えられました。末娘の覚信尼公ら家族や門弟たちが、死を看取り、葬儀をおこなったと伝えられます。遺骨は、大谷(京都市東山区)に埋葬され、小さなお墓が立てられました。このお墓が廟堂となり、やがて本願寺(真宗本廟)の御影堂へと受け継がれていくのです。この廟堂に関東(坂東)の門弟たちが参詣し、親鸞聖人をしのび念仏する姿が、後に坂東曲となったと伝えられています。