最近発刊された書籍をご紹介します。
題名は「もう一つの親鸞像『口伝鈔』講義」(大法輪閣)。筆者は第20組中標津町法薗寺のご住職、義盛幸規氏。
親鸞聖人のお言葉を伝える書物としては弟子の唯円が書かれた『歎異抄』が大変有名ですが、実はひ孫の覚如上人が書かれた『口伝鈔』の中にも、同じエピソードやお言葉がたくさん出てきます。しかし、生涯一念仏者としての立場を貫かれた唯円と、これから本願寺を中心とした教団を作ろうとしていた覚如上人とでは、同じエピソードを題材としてもニュアンスが違っているのが興味あるところです。
また、『歎異抄』では見ることのできない親鸞聖人の行実もあり、なかなか原文では読みづらいところも、丁寧な解説と現代語訳で、非常に読みやすい内容となっています。
今まで『口伝鈔』に関する書籍は少なく、入門書としても最適な本書は定価2400円+税のところ、割引価格の2200円にて教務所で取扱っております。お寄りの際は、ぜひお買い求めください!!
『毎日新聞』2013年04月07日(日)「今週の本棚:想像ラジオ=いとうせいこう著 中島岳志 評」
声に耳を澄ませば・・・死者は生きている
あの日、津波が去った後、高い杉の木の上に一人の男が引っかかった。DJアーク。赤いヤッケ姿で、姿勢は仰向けだ。
彼は自らの死を認識しないまま、人々の想像力を電波にラジオ番組を流し始めた。それが「想像ラジオ」。リスナーの多くは死者だが、生者にも届く。大切なのは、生と死の二分法ではなく、聞こえるか聞こえないか。
現代は、あっという間に死者を忘却する。までるで忘れることが、社会を前に進める唯一の道であるかのように。何もなかったように事態にフタをして、次に進もうとする。
「いつからかこの国は死者を抱きしめていることが出来なくなった。それはなぜか?」-それは、声を聴かなくなったから。
しかし、「想像ラジオ」のリスナーは、死者の声に耳を傾ける。DJアークの声は、イヤホンから水滴のようにつたい、世界をつなぐ。死者と生者が手を携え、一歩一歩、前に進む。
時に「想像ラジオ」の音は、言葉にならない。声にもならない。しかし、人々は意味を聞く。言葉にならないコトバが、そこには存在する。
死者とは一体だれか。彼らは生者とは別の「霊界」に住んでいるのか。そこは、この世とは切り離された別次元の領域なのか。
そうではない。死者の世界は、生者がいなければ存在しない。「生きている人類が全員いなくなれば、死者もいない」。両者は切り離すことのできない、密接不可分の存在なのだ。
生きている我々は、大切な人が亡くなると、喪失感を味わう。その人の空白に絶望し、生きる希望を失う。しかし、二人称の死は単なる喪失ではない。必ず我々は、死者となった他者と出会い直す。生者同士の頃の関係とは異なる新たな関係が生まれる。
だから、死者は生きている。そうとしか言いようがない。
DJアークは、言葉を紡ぎながら、そしてリスナーの声に耳を傾けながら、徐々に事態を把握していく。大地震がやってきて、津波にさらわれたこと。濁流に飲み込まれながら、杉の木に引っかかったこと。そして、もう息をしていないこと。
彼は、放送を続けながら、どうしても「あること」が気になる。それは、妻と息子と連絡が取れないことだった。
二人の声が聞こえない。どうしても聞こえない。二人は「想像ラジオ」のリスナーなのか。
DJアークは、生者に向けて声を届けようとする。妻の名前を叫んでみる。しかし、反応はない。
生者が死者の声をキャッチするのは、悲しみが湧く時だ。それは、不意にやってくる。あとは耳を澄ますことができるかどうかだ。
この悲しみこそ、死者のささやきのサイン。「本当は悲しみが電波なのかもしれないし、悲しみがマイクであり、スタジオであり、今みんなに聞こえている僕の声そのものなのかもしれない」
DJアークは、リスナーから励まされる。「想像せよ」と。その想像は、生者の心に悲しみを芽生えさせることができるか。想像と想像が重なる時、死者と生者は出会うことができるのか。
ラストシーンに、心の奥底から涙があふれた。
フィクションは、リアルを越えたリアルに迫る。荒唐無稽なシチュエーションこそが、現実以上の現実をあぶりだす。これが文学の力だ。
ポスト3・11の文学に、ようやく出会えた。間違いなく傑作だ。
相馬移民と二宮尊徳 〔太田 浩史著〕
教務所にて頒布しております。
福島第一原発がある一帯は江戸時代、天明の大飢饉で人口の大半を失い、その復興のために移民が行われたところです。移民のほとんどは北陸はじめ各地の真宗門徒でした。そして二宮尊徳翁の報徳仕法と真宗門徒のお講を通じての聞法力が、数千町歩の荒地を美田に変え、50年以上の歳月をかけて見事な復興をなしとげたのです。
被災地ではようやく人々の生活への支援が効果をあげつつあります。心への支援、文化への支援、何よりも信仰への支援がまだ行き届いておりません。この書に表れた尊いご先祖の魂が、そうした心への支援の一助となることを切に願う次第です。
『相馬移民と二宮尊徳』刊行のご挨拶より
是非、ご一読を!
同朋教化部門幹事 圓淨貴之