私にとっての聞法一遇

vol66. 寺澤 三郎(教化本部長)
「大事な事が土寸と落ちている場所。これが、お寺という場所です」
 仏教の勉強をしてこなかった20代の私の耳に、その言葉は衝撃的に飛び込んできた。「寺」という漢字の上下を解体し「土寸」と読ませて、仏法の大切さを明確に感じさせてくれた先輩念仏者の言葉である。
「寺に落ちている大事な事って何なんだ?」なぜか、その問いに体を鷲掴みにされたことを記憶している。
その人は、また、次の言葉を残してくれた。
「僧侶というのは、如来に背を向けている最も危険な場所で法話をしているということを忘れないでほしい」
少しだけ仏教を勉強するようになって泣く泣く法話をし始めた頃、またしても背筋が伸びるどころか、背骨がそり返るくらいの感覚を覚えた言葉である。当時、住職が亡くなり、26歳の私が住職を継ぐことになった。その時、お祝いの言葉として私に贈ってくれた言葉である。
 この2つを私に教えとして伝えてくれた人は、もういない。
 48歳を迎えた今「聞法とは、積み重ねるものではなく、繰り返すことである」ということを思っている。積み重ねる聞法で賢者になっていこうとする私に、南無阿弥陀仏と念仏申しながら如来に背をむけていく私に、ひとたび、ひとたびの聞法、繰り返しの聞法が、その無明性を教え破り続けていく。そして「南無阿弥陀仏を依り所に生きていこう。仏道に共に帰ろう」と南無阿弥陀仏が私に愚者としての歩みを開き続けるのである。
このことを憶うとき「生涯の日暮らしを共に念仏申し聞法者として生きて欲しい」という先人念仏者の願いとの出あいが底流にあるということに、私は心震えるのである。
仏・法との出あいは、必ず僧伽・人との出あいから開かれ続けていく事柄であり、歩みであるということを、亡きその人との思い出に深く感じ得ながら筆を擱く・・・。
vol65. 片岡龍一(差別問題研究部会)
2019年末以来続く新型コロナ禍は未だ収束する事なく続いているが、状況は変わりつつあり、組の会議などもようやく対面式で行われるようになってきた。振り返ると旭川では医療機関で大規模なクラスターが発生した事もあり、寺院でも各法座の休止を余儀なくされ、昨年は報恩講もまん延防止重点措置の日程に掛かり、例年のように勤める事が出来なかった。自坊勤めの参詣のいない本堂で、改めて人が集まるという事は寺院の活動の中心であり、"いのち"である事を教えられるような日々であった。
 北海道教区で私は差別部門アイヌ民族差別研究部会に所属させていただいているが、部会は活動が始まって以来zoomによる学習会が続き、未だ対面式での開催が出来ていない。来年には大谷派北海道教区150年の歩みを、アイヌ民族差別の視点から文章化にした物を製本する計画で作業が進行中であるが、インターネットを活用しながら互いに考究し研鑽を積んでいるところである。製本までに残された時間は多くはないが、北海道の寺院に身を置く者として聞法の出発点になるような物を作る事が願われている。教区において広く共有されるような課題となる事を念頭に部会員と共に進めていきたいと考える。
 我々は"聞法一遇"を教区教化活動のテーマとしていただいているが、私は一遇の一の字を不二(二つとない)と捉え、部会の活動を通してまたとない聞法の場を与えられている事を大事にしていきたいと思う。
vol64. 熊澤 覚(差別問題研究部会)
 私にとって聞法一遇とは何か。今回、とうとう私が担当することとなった。今回担当した時期がちょうど年末年始に近い為、この時期になるといつも思い出すのは祖父である前住職の姿である。
 大晦日の夜、中学生になった頃から、仲の良い友人5,6人に声を掛け、お寺に集まり、除夜の鐘を鳴らそう!という体裁で朝まで遊ぶ口実を作っていた。(※大晦日だからと友人たちの家族も大目に見てくれていたようだ)
 やんちゃな私たちは、除夜の鐘をついてから自由時間となり、時にはゲームをして盛り上がり、時には鬼ごっこやかくれんぼをして過ごしていた。そして遊び疲れた私たちは、3時か4時ぐらいになるとゴロゴロ横になり、各々寝るのがルーティンであった。
 このルーティンには続きがあり、必ず朝になると「カーン、カーーン」というキンの音で目が覚める。続いて「帰命無量寿如来」と祖父の甲高いお勤めの声で始まった正信偈が響いてきた頃、「そろそろ解散するか」というのがお決まりであった。
 その頃は何にも気に留めていなかったが、高校3年の時に祖父が亡くなり、20歳を過ぎたある時の年末に母から「いつも朝6時にあんた達の様子を心配して見に行っていたんだよ」と聞いた。
 今思えば、7時から始まるはずのお朝事が6時に始まり、「何時まで遊んでいるのだ!そろそろ帰れ!」と、怒ることもなく、ただひたすらに仏徳を讃嘆(孫の目にはそう映る)していた祖父の姿は忘れられない。いや、もしかすると心の中では多くの葛藤を抱いていたのかもしれないが…。
 とにかく私にとって聞法一遇とは、祖父の姿が脳裏から離れない。事あることにお念仏申していた姿や勤行にいそしむ姿は、私に「お前も一緒にお念仏をいただいていこう。」と、念仏の大道を勧める「よきひとの」姿として絶えず用き続けていく。
vol63. 巌城孝順(死刑制度問題班)
十年ほど前、真宗本廟同朋会館で学ばせていただく縁があった。全国から本廟奉仕に来られる方々と、寝食を共にしながら聞法させていただくなかで教えられたことがある。いつも通り自己紹介が終わり事務所に戻った時、教導の先生から指摘を受けた。
「もうお前の自己紹介は聞き飽きた。過去の自分の過去紹介ではなく、今のお前を紹介してくれ。」
そう言われた時言葉が出てこなかった。今の自分は何を問題にして生きているのかを考えることなく生活していた証拠だった。その言葉は今でも記憶に残っており、ふとした時に思い出すことがある。
現在死刑制度問題班で学び、色々な方に遇い、お話しを聞くなかで自分の考えがわからなくなり右往左往することがある。
裁判を傍聴し被疑者を見た時や、死刑未決囚の方とお遇いしお話を聞くなかで、縁が整えば自分自身があちら側に立っている可能性もあるのだということを教えられる。殺人により大切なご家族を失った方のお話しのなかで「軽々しく死刑反対と口にしないでほしい」という言葉を聞いた。罪を償う機会を奪う国家による殺人が死刑制度だが、もし自分の家族が殺されたら私は何を思うのか。自分がどういう考え方で生き、どんな感情を抱く人間なのかわからなくなる。私たちの人生は何が起こるかわからない。悲しみの声を聞かせていただくことしかできないが、心が揺れ続ける自分とは何か、どういう存在なのか。お聖教に聞き続けていきたいと思う。 
vol62. 手捲稜介(少年研修部会)
最近とある漫画を読んだ。その漫画は中世後期のヨーロッパが舞台であり、キリスト教の教えが生活の中心となっている。その教えの一つである地球の周りを太陽が回っている「天動説」から、宗教的異端とされながらも、太陽の周りを地球を含む惑星が回っている「地動説」を学者たちが時代を超えて伝承していく物語である。
願いを聞き、感動し、またその願いを誰かが聞いていくこの物語は、天文学と仏教という違いはあれど、釈尊亡き後、七人の高僧たちによって親鸞聖人の時代にまで届いた感動に似ているように思えた。
『ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。』(真宗聖典p.150)
実は自分も一人ひとりとの出遇いはとても大変な出来事であるはずなのに、感動できない生き方しかしていないように感じる。
教化本部に所属させていただいて二期目になるが、会議の際、いつも部会の他のメンバーの発言に感心させられる。自分は昔から劣等感を感じやすい人間である。しかし、他人に対して純粋に「頭がいいなあ」「かっこいいなあ」ではなく、心のどこかで「それが面白くない」と思う自分の正体は優越感の塊だと教えられた。人に評価されたいがためにその部分だけ切り取って、本当にその人と出遇おうとしていなかったのである。
これまでの部会の教化活動の中で、小さい子に向けた御法話を御講師の方が話されているのを私も聞かせていただいているわけであるが、その中でそういった「人と出遇おうとしない自分の姿」がはっきりと照らし出されたことである。
如来の前では大人も子ども関係なく「同朋」という共に法を聞く仲間であることを教えられる。そこから、一人と出遇う歩みが始まり、そして自分に出遇っていくのではなかろうか。
『仏法に遇い、人に遇い、自己に遇う。』
現北海道教学研究所所長のお言葉と共に「聞法一遇」を考えさせていただいた。
vol61. 奥村 翔(研修部会)
先日、自坊において「みんなの寺子屋」というお寺を会所として地域の方々やご門徒の皆さんと学ぶ講座を開催した。この度は「認知症」について社会福祉士の方を講師としてお話を聞かせていただいた。講義の最後にイギリスの老人病棟で重い認知症を患っていた老婦人が書かれた手紙であり、彼女が亡くなって遺品整理をした担当看護師が見つけたお手紙を紹介していただいた。『目を開けて、もっと私をよく見て』という題の手紙であり、冒頭には「何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの」という問いかけから始まり、自分に色々と指示をする看護師に対し「目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見てはいないのですよ」という認知症を患った老婦人の叫びの内容であった。
この手紙を聞き、私は3年前に亡くなった祖母を思い出した。祖母は晩年、認知症を患い、だんだんと私のこともわからなくなっていく中、「自分のことがもうわからないなら、お見舞いに行く意味がない」とそのように考えてしまった。そして、私はだんだんとお見舞いから足が遠のいていった。
私は日々、色々な人との関わりの中でその人をその人として尊び、出会えているだろうか?老婦人の「目を開けて」という声は色眼鏡でしか出会えていけない私に対し、呼びかけられているたしかな声であった。「あなたは目の前の人と出あっていますか?」
vol60. 矢田真之(原発問題班)
10月に住職襲職法要を勤めさせていただき、30代で光寿寺第5世住職を襲職した。
このことが決まった3年前からご門徒の方々に「住職交代はまだ早いのではないか?」と言われてきたが、その度に私は以前ある先輩僧侶から「住職交代は若いうちにしておく方が良いよ」と言われたことを思い出していた。その理由を尋ねると「若い住職はご門徒さんから文句や苦情を言ってもらえるんだよ。間違ったことや寺に対する要望は若い住職になら言えても、年配の住職には言いたくてもなかなか言えないもんでしょう?若い住職は周りが育ててくれるんだよな」と言われた。

 人の成長はたくさんの経験や失敗の積み重ねの中でなり得るが、そこには少なからず落とし穴もある。正信偈にある「驕慢心」はおごり高ぶり、他人の話を素直に聞けなくなった人の姿を指す。これまで38年の人生の中で「できていたつもり」「知っていたつもり」の「つもり」の部分を幾度も気付かされた経験があるがいずれもそれは他者からの指摘や、時には私自身しばらく頭を悩ませるような厳しい言葉によってであった。そしてその根底にはおそらくこれまでにいただいた法座の御縁や、諸先輩方の言葉に出あってこその気づきであると考えている。もしも仏法に触れるということが私の人生に無かったとすれば、きっとご門徒からの苦言は私にとって、ただの嫌味として消化していたかもしれない。
vol59. 武樋法文(ハンセン病問題班)
 「そこで導師は修行僧たちに告げた。「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」これが修業をつづけて来た者の最後のことばであった。『ブッダ最後の旅』」
 先日、押入れの片付けをしていたら、ふと目に留まったものがあった。当時は何も思いもせず、何気なく仕舞ったのであろう。旅行のお礼の手紙として送られて来たものである。平成26年5月13日の消印が押されていた。月日が経つのも早いものである。
 師を持つ、師と出会うということを大学卒業以来筆者は課題としてきた。振り返れば、会っている瞬間にはその人を師と思えていなかった。気付いて来れなかった。今このコラムを書きながらふと、瞼を閉じれば声が聞こえてくる気がする。「よろしくお願いします」と。
 讃歌『みほとけは』に「さやかにいます、わがまえに」や讃歌『光の中に』に「親鸞さまは、おわします」などと歌詞にあるように、今現在説法という形で姿を現して下さっておられる。その人を通して弥陀、釈尊そして親鸞聖人に出遇えている。過去のことばではなくして、今をともに生きる言葉として常にあり続けている。そういう手紙である。
 その方は、もういない。今、手紙は、額縁に入れて大切にお寺の中に飾られている。
vol58. 霜田龍秋(少年研修部会)
「深く頷き、頭が下がる」
教えに出遇うとは、そのような経験だとお聞きしたことがあります。住職という立場上「そんな経験をしたことがあります、だからこの道を歩んでいます」
と言いたいわけですが、残念ながらそんな経験をしたとは言い切れない自分がいます。
食べるため坊主として働いている、と言えばネガティブに聞こえるかもしれませんが、それはそれで難しく、だからこそやりがいも感じるので、仕方なく働いているわけではありません。
けれど、なんとなく宙ぶらりんで「このままでいいのかな」と思いつつ、かといってこのままじゃダメだと劇的に思っているわけでもないという、なんとも始末の悪い文章ですみません。
ただ、未熟ゆえ目の前の仕事をこなすので精一杯な日々ですが、それが不器用なりの学びの時間だとも感じます。それを続けて、いずれ見えてくる世界もあるのかな、と自分を肯定したり、また否定したりを繰り返す日常を過ごしております。
分かったふりをせず、かといって開き直りもせず、時には背のびもしながら
「目の前の人と真摯に向き合う事」
もう一方では
「勉強する事」
その両方を片寄る事なく大事にできたらと思いますが…そううまくもいきません。私の場合、人と向き合う事もですが、やはり勉強する事が圧倒的に足りてないなと反省しております。
教えに触れなければ生活の中に釈尊や親鸞聖人の言葉が響いてくることはないと思いますので、いっぱいいっぱいの生活の中にこそ教えに出遇うチャンスがあると思って…勉強します。
vol57. 野村弘耀(少年研修部会)
数年前のご門徒の方との話である。その方は癌を患いながらも入院することなく自宅にて余生を過ごしていたおじいちゃんであった。私はそのおじいちゃんの事が大好きだった。私の祖父は生まれる前に亡くなっており、失礼な話かもしれないがそのご門徒のおじいちゃんの事を本当の祖父のように慕っていた。だから、そのお邪魔するのがすごく楽しみであった。話したい事が沢山あり、伺う度に一時間以上話していた記憶がある。だが、お会いする度に癌は進行していた気がする。でも、その方は辛そうな姿を見せることなく気さくな感じで接してくれた。「俺が死ぬまでに嫁さんを見せてくれよ」といつも冗談交じりのような感じで言っていたのを今でも思い出す。

その方が亡くなる一か月前「来月は住職に来てもらいたい」と言われた。そして、住職が伺った何日か後にそのおじいちゃんは亡くなられた。住職にどんな話をしたのか聞いたら、自分が亡くなった後の事や、法事の時の事などの話だったようだ。

私はその話を聞いたときに、とある先生に教えていた

『前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え』

という言葉を思い出した。私たちは普段の生活の中で「死」というものから目を背けて生きているが、そうではないのだと。生老病死の問題は、皆が平等に向き合わなければならない「いのちの事実」なのだということを、後の世に生きる私たちへの呼びかけてくださる言葉なのである。その呼びかけに私たちがどう向き合い、どう応えていくのかが問われているのでないだろうか。

今年はその方の七回忌の法事があった。私にとって、大切な仏さまからのメッセージをご遺族と共に聴聞していく大切な場であった。そして、その仏縁によってこれからも私が向き合うべき「いのちの事実」と対峙していきたいと思う。
vol56. 宝喜智明(研修部会)
 私は以前からたまに、「なぜ教えを聞くのか」ということを考えます。安田理深先生は、「教えというものは、ないものを与えるものではない。本来あるものを自覚せしめるものが教えである。本来のものは、他人から貰うということはできない。(中略)自己そのものを他から貰うことはできない。ただ教えられるということが必要なのである」(『安田理深選集』 第15巻上 274頁)と言われています。
 私が北海道教学研究所の研究員だったときに「師友に出あう」ことの大切さと、「師とは眠らせない、友は酔わせない」存在であると教えられました。しかし、当時の私はその言葉にいまいちピンときていませんでした。今思えば、自分の力で歩めるという思いや、自らが問題を抱えている存在であるということが見えていなかったからだと思います。しかし、私は教えられなくても大丈夫な人間であるという勘違いや、どうせやっても意味がないと自分に言い訳するところに立ち止まらせずに、歩むことをうながしてくれる教えや人との出あいはかけがえのないものであると感じます。また同時に、教えや師友を求める私であるのか、どう出あっているのかということが問われてきます。
 私は教えを聞く理由を他に求めます。誰かのために何かのために、または僧侶であるから義務として聞かなくてはならないのだと考えます。しかし、大切なことは教えを聞く理由を自己に見いだせるか、教えを聞かずにおれない私であるかどうかではないかと思います。そして、聞法生活によって自らの問題を知らされ、自己そのものを、本来を回復することこそ大切なことなのだと教えられます。
vol55. 佐々木順道(企画部会)
ユキ子さんの「住職さん、歳いくつになった?」の問いかけに、私は「○○歳です。」
続けてユキ子さんは「若いね。私はこの先短いけど、住職さんは人生これからだね。(笑)」

私より50歳年上のユキ子さん宅に月に一度、月忌参りに伺ったときの定番の会話である。

ユキ子さんは若い頃から、ほぼ欠かすことなくお寺に来てくださった、聞法者である。
そういう背景もあり、月忌参りでの会話にいつも違和感を持っていた。
何度か「私も限られた生命ですし、いつ死ぬかわからない。こうやって会話できるのも今日が最後かもしれないですよ。私は仏教からそのように教えていただいています。」と問いかけたこともあった。
しかし、ユキ子さんは微笑みながら「若いね。人生これからだね。」

体調を崩し数年間、施設で過ごし2022年8月、ユキ子さんは100歳で逝去した。
枕勤めで久々にユキ子さんと対面した。手と頬に触れさせてもらい、お礼を申し上げた。人生の重みを感じた。
自宅に帰り、棺書のため筆を執りながら、ユキ子さんとの対話が蘇ってきた。

何度も繰り返し、私に微笑みながらの問いかけは、それはユキ子さんがこの私を見抜ぬき、心配してくれていたものであったのだと気づかされた。
私から滲み出る態度に、「いつ終わるかわからない限られた生命と言いながら、あなた全く焦っていないでしょう。本気で悩んでいますか。のんびりしていますね。」と。

慶讃テーマが我が事として響いてくる。
生まれた時代を超えて、共に「南無阿弥陀仏」とお念仏もうしてきたユキ子さんから、精一杯、本気で「人と生まれたことの意味をたずねていこう」と、私はいま呼びかけられ続けている。
vol54. 竹村貴士(差別問題研究部会)
「骨をうずめるつもりで、ここに来なさい」
前大谷専修学院長竹中智秀先生が、専修学院入学試験の面接で私にかけてくれた言葉である。そのときは、この言葉が何を意味しているのか、さっぱりわからず面接室を出たが、それから16年、この言葉の意味をかみしめている。
 ここに居たくない、そう感じてきたことは数えきれない。今、私がいる場所を「居場所」とすることができない、それをずっと悩んで生きてきた。悩んできたというのは、今いる場所を自分の思い描く場所になるように必死になってきた、しかし現実はそうはならないということに悶々としてきたということ。
 「居場所」とは、一体何だろうか。気をつかわずに安心していることができる場所のことなのだろうか。親子であろうが、夫婦であろうが、気をつかわない相手などいない。目の前に“人"がいる限り、何かしらの気配りは必要である。
 以前、先輩住職からこんなことをいわれた、「仏法を聞いていて、居場所がないなんて、おかしいぞ」と。余計に「居場所」がわからなくなった。
 気をつかわずに、自分の好き勝手ができて、安心していられる場所は「居場所」なのではなく「地獄」なのだと、教えを聞くことを通して気づき始めた。
 骨をうずめるつもりの覚悟、これほど難しいことはない。だけど、「ここに来なさい」と呼んでくれている声が、私の覚悟の前にある。呼んでくれている、あなたしかあなたを生きられない、そして、あなたがいる場所をあなたが生き切ること、それがあなたの“居場所"になるのだと。
vol53. 河野了俊(少年研修部会)
これまで何度も「聞法」という言葉を耳にしてきた。「聞法」とは一体何か?と辞書で調べると大体は「仏の教えを聴聞すること」と出てくるのである。大学を卒業し自坊に帰ってくると「我々真宗門徒の一番のお仕事は聞法である」「聞法が大切なんだ」と何となく感じていた。
私の先生がある時「ホンモノの念仏者になれ」と教えて下さった。その時は「ハイ」と答えたのであるが、後から「ホンモノの念仏者ってなんだ?」と考えていた。私はそれについて「ホンモノの念仏者」=「講義や法話を真面目に聞く者」なのだと考え、それから組や教区の研修会等には出来るだけ出席し、講義の中で紹介されたお聖教の言葉に線を引きノートを細かくとるよう心掛けた。
先日、雑談の中である先生に「河野は話を聞き流している」と言われた。私は咄嗟に「そんなことないですよ」と答えた。なぜそのようなことを先生が仰ったのかは確認してはいないが、それから「聞き流している」という言葉が頭から離れなかった。なぜならば私はいつでも話を真面目に聞いているという自負があったからである。特技の欄に「話を聞くこと」とでも書こうかと思うくらいであった。
その時、ふと以前聞いた「仏法は我が身に引き当てて聴聞するのです」という言葉を思い出した。改めて今までの自分の仏法聴聞の姿を思い返すと、子どもが親に褒めてもらいたくて頑張ってお手伝いをするように、ホンモノの念仏者になったと褒めてもらいたい一心での、いわば「パフォーマンス」だったように思う。「ホンモノの念仏者になれ」という言葉は、聞法しているフリをしている自身の本当の姿を言い当ててくださる言葉であった。
しかし、「我が身に引き当てて聞法する」ということがどれほど難しいことであるかということを考えさせられる。どれだけ聞法の場に出遇っても、自分自身を「その通りでありました」と引き受けていけない姿がここにある。
私が一番苦手なことは「聞」であり、最も出遇えない人は自分自身なのかもしれない。
vol52. 金倉翔央(少年研修部会)
第16期北海道教学研究所が発足してまもない頃、当時の教研所長が言っていた言葉を最近ふと思い出した。それは、「自坊の法要での法話は、寺族がいの一番に聴聞しに行きましょうや。まず、そこから始めましょうや」という言葉である。それを私は「本当にその通りだな」と、頷きをもって聞いていた。その言葉を聞いた研究集会からほどなくして、自坊で永代経の法要が勤まった。お勤めの後、法話が始まるという際に私は間衣に着替え、さぁ聴聞に……行く前にアイコスを吸っていた。3回ほど水蒸気を肺に入れると、先ほどの教研所長の言葉が思い起こされた。今ならまだ法話の始まりに間に合う。そう思いながらも私は動かず、その一本が終わるまでアイコスを吸い続けた。当然、法話には遅参してしまっている。

確かに私は、先述した所長の言葉を頷きながら聞いていた。しかし、現実として自分の身は、勤行後にニコチンを求め、そのために法話の席に遅参するという「体たらく」な姿であった。しかも、言われた言葉を思い出したのに、それでもなお、そこから動こうとしなかったのである。その事実に直面したときに、私は自分が情けなくなり、禁煙を始めた。何とか今でも続いており、禁煙期間は3年8ヶ月を過ぎた。

聞法というのは、聞いたことをただ頷くというだけでは、恐らく聞法として十分ではないのだと思う。頷いて、その言葉が記憶されるということは大切である。しかし、確かに頷いて聴聞したことなのに、厳しい日常生活の中においては、この身が頷けないということもあるだろう。私自身、身で聞くということの難しさを痛感させられている。聞かせていただいたことがこの身に承服できないことは、本当に悲しいことである。その深い悲しみときちんと真向かいになってこそ、変わる、転ずるということがあるのではないかと思う。変わる、転ずるということが起こったときには、それは聞いて頷くというよりも、聞こえてきて頷くことなのではないだろうか。

聞法したことを、この身が頷けない悲しみや痛みを誤魔化さずに抱え、その悲しみや痛みに響いて聞こえてきたものに頷く。その出遇いが「聞法一遇」ではないのだろうか。
vol51. 吉田隆徳(青年研修部会)
今年第一子を授かり、その愛しさに自然と頬が緩むような喜びを感じる一方で、忙しなく過ぎていく日々に空しさを感じることがある。私は幼いころから結婚をして子どもを授かるということを幸せの理想として夢見ていた。だからこそ今の自分の心境は不思議なものであった。家庭を持てば揺るぎない生きがいを持ってどんな苦難も乗り越えていけると期待していたのである。しかしそれは夢であったのだろう。
私が教えに向き合うのはそのような上手くいかない生活に何かを求める時である。つまり、家族に腹を立てたり生活に不満を持ったりすることは自分がおかしいからであって、そうではないまともな自分が与えられるような気がしているのである。しかし縁によってどんな思いが出てくるかわからないと教えられているのである。親鸞聖人においては縁によって湧いてきた「思い」に対する善悪ではなく、「身」に対する深い眼差しがあるのではないか。宿業の身であり、いずれの行もおよびがたき身と頷かれているのである。そうと知れば今度はその身に立とうとし、そこに立てば何かがあると思うほどすでにそうである身に頷けないのだろう。
空しさ、悲しみ、苛立ち、不満の種を身に具えている人生なのだろう。私はいつもわが身を聞くと言いながら思いに対処するように教えを聞いてきたように思う。わが身は自分ではわからないからこその聞法であるが、自分ではわからないということがわからないようである。
vol50. 黑萩貴仁(靖国問題研究部会)
私は入寺する以前、地元の社会福祉協議会に勤めており、高齢者への健康づくり推進事業として簡単な運動教室を行っていました。ある日、「迷惑をかけると思いますが、参加できますか。」と二人の親子が尋ねてきました。私は「大丈夫ですよ。一緒に運動しましょう。」と答えました。そのお子さんは軽度の障がいを抱えており、上手く体を動かすことや他の参加者とお話することができませんでした。私は「何とかしたい!」と思い、その子を特別扱いするようになりました。どんな時でも「すごいね!上手だね!」と褒め、過剰に拍手をして盛り上げ、他の参加者と馴染めるよう常に寄り添いながら試行錯誤を繰り返した結果、運動も少しずつできるようになったり、周りと談笑するようになったりと温かく楽しい運動教室となっていきました。しかし、その子をサポートすることで、参加者や職場の上司から褒められ、気持ち良く悦に浸っている自己中心的な私がおりました。私が特別扱いしていたのは、その子のためではなく、「自分が開催している運動教室」と「私自身」が褒め称えられたいがために、その子を利用していたのではないかと考えさせていただきました。温かく楽しい運動教室になっていたのは、きっとその子のお陰でありました。
ある先輩が「仏法は私たちの日々の出来事を通して、具体的な私たちの事実を照らしてくれる」と語っておられました。私は何度照らされてもすぐに見えなくなってしまいます。見えなくなるからこそ、聞き続けていくという事が大切ではないかと思います。
vol49. 畠山智光(研修部会)
 私にお念仏の教えを勧めてくださった人を「よき人」というのでしょう。私がお念仏の教えに出遇わせていただいたことを振り返ってみると多くの先生や友人、祖父母、両親、姉、ご門徒の人たちなど有縁の人たちが思い起こされます。私たちの人生には数多くの出あいがあります。その出あいから、お念仏の教えにふれ、本当の自分自身と出遇っていくことの大切さを教えられます。
念佛とは「今」の有り難さを見出す智慧
これはお寺のお座敷に飾られている金子大栄先生のお言葉です。私自身とても大切にしている言葉です。

私の子供たちの通う保育所では退所式の時、お世話になった先生に手紙を書くというイベントがあります。子供の書いたその手紙をふと読ませてもらうと、とても胸が熱くなりました。その手紙は「ありがとう」の言葉であふれていました。

  「色々な鬼ごっこを教えてくれてありがとう。お友達と一緒にたくさん遊んでくれてありがとう。先生がお遊戯を教えてくれたから、見にきてくれたみんなが喜んでくれました。ありがとう。(中略)。(最後に)僕の先生になってくれてありがとう」
 
子供はこれから小学校へ入学していく、そして、保育所での生活を振り返った時、お友達がいた、いつも寄り
添ってくれた先生がいてくれた、そのご恩の深さにふれた時「ありがとう」の言葉があふれてきたのだろうと思
います。私自身を振り返ってみると、好きか、嫌いか、損か、得か、役に立つか、立たないかなど自分の「もの
さし」を中心とし、その「ものさし」を絶対に間違いのない一番正しいものだと何よりも大切にしておりました。

しかし、それは私のそばにいる人たちを見失い、独りよがりで、私自身を疑わずに生きる私の姿を子供の手紙が
教えてくれました。私のあり方はとても悲しいものでした。

「よき人」との出遇いは、すぐそこにあったのです。 
vol48. 太田融哉(少年研修部会)
先日、足に激痛が走り、目が覚めた。あまりの激痛に起き上がるにも時間がかかる。これまで経験したことのない痛みであった為、病院に行く決意をした。

医者「骨に異常はありませんね。これは痛風でしょう。血液の数値も色々と悪いですね。これから生活習慣を改めて、アルコールとか油濃い物の摂取を控えて下さい」

私「え…、どのくらいなら飲んでも大丈夫ですか?」

医者「え?話聞いてました?控えて下さい。又来週来て下さい」

私「…はい」

〜数日後〜

医者「その後どうですか?」

私「治りました」

医者「治ってないですよ。これから薬を毎日飲んで、引き続き節制して下さい」

私「あ、薬飲んでれば、お酒飲んでも大丈夫って事ですか?」

医者「ん?話聞いてました?節制して下さい。また薬なくなる頃来て下さい」

自分に都合の良いように聞こうとする私。

浄土真宗の歴史においては、聞法後の「座談」というものを大切にしてきた。それは複数人で共に聞き、聞いたことを語らうことで、自分の聞いた事を他の人と共有し、都合良い聞き方をする危うい私に「聞き間違い」を気付かせるためであると思う。共に聞き、共に語らうことで「正しい教えを聞く」ことができるのではないだろうか。
しかし、病院の診察室にはこれからも一人で行くことになる。なぜなら妻には、「薬を飲んでいれば酒も大丈夫」と伝えているからである。
このコラムが妻の目に触れないことを願う。
vol47. 中村裕恭(原発問題班)
30年前、当時流行っていた貧乏旅行で私は大阪空港から3時間の中国上海の周辺を訪れました。安宿を泊まり歩き、周りはほぼ中国語のみ。数日間は新鮮でしたが、すぐに日本語が恋しくなっていました。

ある朝、揚子江を散策中「こんにちは」と話しかけられ振り向くと2人の男性が近づいて来ました。私は「怪しい!」と思い警戒しましたが、話してみると2人は日本語を勉強したいとのことでした。そのまま2人は観光ガイドをしてくれるようになり、いつしか時間はお昼になっていました。お礼に食事でもと彼らの知る食堂へ向かいながら心の中で「3人でも2千円程度で済むだろう」と思っていましたが、会計はなんとその10倍!支払いを拒否していると、店の中にいた2人の仲間に囲まれ不穏な雰囲気に…。仕方なく支払いを覚悟した矢先2人から「支払いは日本円でほしい」と言われ複雑な気持ちで言われるがまま支払いをし、店を出ました。後で知りましたが、当時庶民は外貨への両替が禁止されていたため、旅行者などから直接手に入れなければ海外には行けず、また税金を払っていない外国人には商品の価格を高額にする場合もあるとのことでした。

別れ際2人から「日本に留学するのでまた会おう」と言われたことも腹立たしく思っていると、そこへ数人の浮浪児達が駆け寄ってきました。そして2人はポケットから小銭を渡し、浮浪児に施したのです。結局、彼らは日本への留学を夢見る普通の人達だったのです。ところが私は、怪しんでみたり、いい人だと思ってみたり、腹を立てたり…。

帰国後、先輩から「邪見驕慢(勝手な思い込みばかりで、おごり高ぶる)だな」と言われ「まさに、おっしゃる通り」と我が身の在り様に頭が下がった時の事が、今なお失敗しては思い起こされます。
vol46. 斉藤友明(死刑制度問題班)
先日、自分自身に嫌気がさす出来事があった。些細な事で…「この子の為だ」と我が子を厳しく叱りつけた。ただ問題は「この子の為だ」と叱っている自分にあった。ふと冷静に考えると「そもそも…こんなに叱る事か?」と。そう思う理由もあった。叱りつけた時、明かに自分の個人的な感情(ストレス)が入っていた事に気付いたのだ。自分のストレスの捌け口かの如く、子の些細な行動を通常の五割増しで叱りつけてしまったのだ。しかも「この子の為だ」と、もっともらしい大義名分まで作り上げて。「父さん最近少し疲れていて…イライラしてた。何も大声で叱りつける事ではなかったよね。父さんが悪かった。ごめんね。」と素直に子に謝れない自分が余計に惨めだった。そんな時、大学時代の恩師の雑談が頭をよぎった。「君たちの心にはな、それぞれ自分だけの物差し(定規)が入ってるんや。毎日毎日その物差しで物事を測り続けている。損か得か。幸か不幸か。楽か苦か。ただ問題はな、自分が常に測り続けているその物差しの目盛りは正確ではないと言う事。その時の状況や感情でコロコロと物差しの目盛りが変わるんや。自分の物差しの目盛りが不正確だった事に気付かされた時、初めて我が身を知らされるんや。そこに仏法があるんや」と。恥ずかしながら大学時代は恩師が何を言わんとしているのかが理解できなかった。「定規?目盛り?心に?」と。感情一つでコロコロ変わる自分の心の目盛り。子の些細な行動にも、自分の感情や都合一つで怒ったり笑ったり惨めになったり。子を通して親が我が身を照らされる。仏法に出遇えるのは何も特別な環境下ではない。むしろ日常の生活の中に仏法に出遇うご縁があるのだと8歳の我が子に改めて思い知らされた。
vol45. 平 祐紀(研修部会)
昨年の大晦日に我が家のボイラーが壊れてしまい、朝からお湯を使うことができなくなりました。

大晦日にもかかわらず地元の業者がすぐにみてくれたのですが、10年くらい使っていたもので、買い替えなければならない状態でした。普通でしたらすぐに新品のボイラーを取り付けてもらって解決するところですが、今のご時世、どこの業者をあたっても物がなく、部品すら無い状況。いつ入るか全く見当がつかないとのことです。真冬ですし、特に困ったのが風呂でした。多少のお湯はガスで沸かせますが、風呂となれば無理があります。今は地元に銭湯もないので、仕方なく車で20分くらいの隣町まで通うことにしました。「感謝」の反対は「当たり前」だと御門徒に話している私が、日常の何もかもが当たり前になっていました。年明け10日くらい経ったとき、中古が見つかり、新品が届くまでリースで使えるようになりました。割高ではあるものの、お湯が出ることにこの時はただ喜びと感謝しかありませんでした。

それから数カ月、その感謝が日ごとに薄れていきます。「いつになったら新品が届くんだろう?」、「リース代が高い!」などと愚痴ばかり。お湯を使えることの感謝がもはや当たり前になっています。

現在、YouTubeで「正信偈」の講座を学ばせていただいていますが、ある先生の講義の中で、「邪見、憍慢なあなたしかないということ。しかし、大悲の呼びかけも悲しきかなあなたには届かない。邪見、憍慢な者がどこか他人事のように思っている」と話されました。

聞法の度に気づかされても、すぐに邪見、憍慢な心に覆われてしまう私。自己中心に生きている私に、終わりなき聴聞が求められていると痛感しています。


vol44. 大沼 含(ハンセン病問題班)
5年以上前のことであるが、ある先生から「君の学ぶ姿勢は答え探しを楽しんでいるようだ」とご指摘いただいたことがある。その当時は、なぜ先生が私に対し、そのようなことを言われたのか意図が全く分からなかった。しかし、ここ数年、教区で社会問題を学ばさせていただく中で、なぜ先生がこのようなことを私に言われたのかと考えさせられることがあった。

社会問題は全般的にどのように考えたら良いのかわからない場合が多いし、学び知識を増やすことで、スッキリせずモヤモヤしたような思いになることがある。そのモヤモヤをどのように解消してくれるのか?手っ取り早くGoogle検索で信用できそうな意見を見てみる。もっと手っ取り早く済ませるならyoutubeでそれについての意見を見てみる。そして何となくわかったつもりになって、とりあえず終了でそのモヤモヤをスッキリさせる。このような経験は私だけでなく読んでいる皆さんもないだろうか?

インターネットは様々な情報を早く気軽に手に入れることが大きなメリットとしてあるが、デメリットとしてはそれに頼りすぎると自分の頭でものを考えない癖をつけてしまうことになるのではないだろうか。それでは先生に言われたようにモヤモヤに対する「答え探し」を楽しんで行っている状態になってしまう。
 冒頭に紹介させていただいた先生のお言葉は、そのような私に「安易に答え探しをしないでそのモヤモヤを大切にしてほしい、しっかりと自分の頭で考えて欲しい」という願いが込められているのではないかと考えさせられた。
vol43. 泉 清香(企画部会)
子どもの頃からとにかく音痴で、声明にはかなりの抵抗感があった私は、大谷派教師資格の取得条件として、お寺に帰っても絶対に法務はしないという約束を取り付けていた。後期修練を終える頃、今お寺に帰っても自分にできることは何もないと不安だったが、先生に「あなたの仕事は勉強することだから、お寺に帰って勉強しなさい」と言われ、声明はムリだけど勉強ならできるかもと思ってしまった。

ところが、組の学習会等、勉強する機会はたくさんあったのだが、わかったという感じが一向にしない。こんな調子で、僧侶をやっていていいのか今でも不安である。特に子どもが生まれてからは日常の雑多に追われ、本を開けば寝てしまうような生活をしていて、これならできるかもと思った勉強は、全くと言っていいほどできていない。一方、こんな私に熱心に声明を教えてくれる先生方と、一緒にお稽古してくれる仲間がいて、苦手であることに変わりはないが、何とか一通りの法務はできるようになった。おかげで勉強できていない罪悪感は少し軽減されている。

「聞法一遇」は学習会や法座の中だけで起こることではないのだと思う。「勉強することが仕事」という言葉に支えられながら、それができない理由ばかりを積み重ねているような毎日であるが、研修会に出るときはいつも、自分がハッと目を覚まし深く頭が下がるような言葉との「一遇」があるといいなぁ、という淡い期待を捨てきれずにいる。
vol42. 楠 宏生(研修部会)
聞法のなかで出会うことは、自分自身の本当の姿に出会うことに他ならない。それ故に、仏教は自覚教とも言われる。仏教では、「凡夫」が自己であると教えてくださっている。しかし、自分自身が凡夫であるということがわからない。言い換えれば、私は人間として生きているということの尊さがわからないということである。これほど悲しく痛ましいことは無い。そのことを最近、亡き恩師の姿を思い出すたびに感じられ、私はこれまで一度も生活の中で聞法していないことを思うのである。

私は、いよいよ行き詰った時、「どうせ人間なんて…」「どうせ自分は…」、「どうせ…どうせ」とばかり言って、いよいよ自己の思いに沈んでいくばかりである。しかし、先生は「どうせ」というような態度をとられることはなかったように思う。仏の教えを通して、いつでも、どこまでも深く自身の心を見つめられていたように感じてやまない。そして「凡夫が自己」を悲しんでおられたように思う。先生は、聞法生活の中で、機の深信を生涯にわたって尽くされ、南無阿弥陀仏を真実の自己として人間業を尽くし、いのちを生きられたのであります。

お念仏をもうす時、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」という法蔵願心が先生の声となって聞こえ、同時に「如来智慧海 深広無涯底」という声となって、ただ聞法しなさいと「どうせ」を生きている私にいつも呼びかけてくださっている。
vol41. 白山靖久(少年研修部会)
「あなたは人殺しよ」

強烈なこの言葉は、私の友人の母が双子の妹から投げられた言葉である。友人の母は事故を起こしてしまった。スピードを出していたわけでもないし、違反をしたわけでもない。左折時に死角に入った人と接触してしまったのだ。被害者の男性は認知症を抱えていた90歳を過ぎた老人であった。家族が目を離したほんの一瞬の間に家を出たという。そして事故が起こった。すぐに救急車を呼んで病院へと運ばれたが、打ち所が悪くそのまま亡くなってしまった。そして冒頭の言葉を投げられたのだ。

友人とは高校生の頃からの付き合いで、友人の母は実の息子のように私を可愛がってくれていた。私もそんな友人の母をあだ名で呼び、実の母のように慕っていた。事故を起こして暫く経った後、電話にてそのことを知らされた。それからしばらくして友人の母を訪ねてみた。酷く落ち込んでいる様子であった。少し酒を飲み交わし、事故について、妹から言われたことや遺族のこと。そしてこれからどうしていいのかわからないと相談を受けた。私は今、僧侶として生きている。そんな友人の母を慰め、少しでも元気になってほしいと聞きかじった言葉を並べていた。ふと友人の母の顔を見る。何とも表現し難い表情を浮かべていたが「何も届いていない」ということだけがわかった。偉そうに説教をしていた私は、目の前にいる人がどんな顔をしていたのかをずっと無視していたのだ。「今言ったことは全部忘れて。正直俺にもどうしていいかわからない。わからないから一緒に考えて悩んでいこうな」私は友人の母の顔を見てそう言い直した。「うんうん」と涙をぽろぽろ流しながら私の手を握ったその顔を私は忘れられない。

聞いてきた教えを、自らを立てる武器にしていた。生活という実践の場に置いて「共に」という最も大切なことが抜け落ちていた。寄り添い合い、共に悩める者同士が生きていける世界を友人の母の眼差しから教えられたような気がする。
vol40. 道房 潤(靖国問題研究部会)
「聞法一遇」という言葉を目にした時に、真っ先に思い浮かんだ言葉は、大谷大学の授業で延塚知道先生が話されていた言葉であった。

授業の中で先生は、先生ご自身が大学に進学する際、父親に「たとえ人から褒められる人生を歩いたとしても、仏法がわからなければ、本当に自分の人生を生きたことにならない。だから大谷大学に行って学んでほしい」と頭を下げて頼み込まれたこと、また先生の師である松原祐善氏が病に伏し、激痛を伴う治療を受けた際に、「この痛みもいただいたものであります。生きることも病気も、死ぬこともすべていただいたものであります」とおっしゃったことを話されていた。

 今の私たちは、人から褒められる人生を目指し、都合の悪い「老・病・死」から目を背け、遠ざけようとしている。しかしどんなに遠ざけても、「老・病・死」は必ずやってくる。仏法に出遇わなければ、やがて人生を終えていくときに「こんなはずではなかった」と言って終わっていくしかないのだろう。逆に言えば、仏法に出遇えれば、どんな人生であっても自分の人生として歩めるということなのではないか。

 その具体的なあり方が、「老も病も死もすべて私自身にいただいたものである」と積極的に引き受けて生き抜かれた松原先生のお姿なのだと思う。自分にとって都合の悪いことも「いただいたもの」として引き受けていくその言葉に衝撃を受け、そのように言える人に成りたいと思ったことが思い起こされる。
vol39. 芳藤啓順(研修部会)
「おかげさまで本堂・会館・庫裡の御修復を無事終えることが出来ました。しかし、いくら建物がきれいになっても、これから皆様と仏法を聞いていく場所とならない限り、本当の意味で御修復が終わったとは言えません。」
コロナ禍の影響で一年遅れとはなったが、6月4日から6日にかけて自坊の報恩講兼125周年記念法要がお勤まりになった。この言葉は6月4日に行われた記念式典での住職の挨拶の一部分である。
私が北海道に来たのが2017年。その時点で住職と125周年記念事業の相談がはじまり、2019年から委員会を設置し、4年間にわたり御修復事業や法要の内容等を話し合ってきた。つまり、今までの私の北海道での生活は常に125周年のことが頭にあった。それが終わったという事で、これで一息つける。そんなことを思っていた時に住職のこの言葉が不意に頭をよぎった。
確かに、事業としての125周年は無事終えることが出来たが、これからも日常生活は続いていく。この「125周年」を次へ繋げなくてはならない。次へ繋げるにはやはり皆と仏法を共に聞いていく事が必要であると思う。せっかく御修復した本堂も人が集わなければ、聞法道場として御修復したとは言えない。
しかし、日常生活で気づけば楽な方、楽な方へ流されていく自分がいる。そんな私を立ち止まらせてくれ、大切なものを思いださせてくれる方々とともに、これからも聞法していきたい。
vol38. 森口惟香(少年研修部会)
「自分はどうなんや」
この言葉は学生の時、ゼミの先生に言われた言葉である。
大学4回生の時、将来の仕事をどうすべきか悩み、家族と揉めた時期があった。
私はこの苦しい状況を何とかしたい一心でゼミの先生のところを訪ね、泣きながら愚痴を言い続けた。先生はずっと黙ったまま私の話を聞き続け、冒頭の言葉を一言だけ言われた。
私はその言葉にハッとし、驚きのあまり涙も一瞬で止まった。どこかで自分にとって都合の良い言葉を期待していたのかもしれない。私が苦しいのは他の人や周りの環境のせいであって、「自分は悪くない」と外ばかりに目を向けていた私が、先生の言葉との出遇いによって、自分自身の姿を確かめようとしていなかった事に気付かされた。
大学を卒業し十数年が経ち、色々な研修会等でお話を聞かせていただき、そのたびに自分自身の事を言い当てられているようで耳を塞ぎたくなることが何度もある。しかし、日々の生活の中で、聞いたことを忘れ、知らず知らずのうちに周りがどうだとか、他の人のせいにして過ごしてしまっている自分に「自分はどうなんや」と言われたことが頭をよぎる。
今回、この「聞法一遇」のコラムを書くにあたり、私にとっての聞法の場は、教えとの出遇い、人との出遇い、そして自分自身を知る大切な場であると改めて考えさせられた。
いまだに、毎日の生活の中で「聞いたつもり」「わかったつもり」になっている私であるが、「自分はどうなんや」という師からの問いかけを心に刻みつつ、これからも歩み続けていきたい。
vol37. 佐藤 雅法(青年研修部会)
私が京都の大谷大学の学生のころ、共働きであった両親の代わりに私を長い間育ててくれ、見守ってくれていた祖父が亡くなった。
祖父は亡くなる約1年前に熱中症で倒れ、それから半寝たきりの状態になってしまった。当時私は京都に住んでいたため、祖父に会いに行くことは出来なかったが、「だんだん祖父が寝床で過ごす時間が増えていっている。認知症が進み、筋力や体力が低下していっている。」という連絡を親からもらい、とてももどかしい気持ちになったのを今でも覚えている。
5月の連休の際、祖父に会うためにすぐ実家に帰った。その時はまだ少しは歩くことができ、私の事も覚えていた。だが、このままでは状態が悪くなる一方だと思い、祖父に「外に桜が咲いているから一緒に散歩がてら見に行こう。」と提案し、一緒に外に出た。
長い距離ではなかったが祖父は辛そうに歩いており、連れ出したのを後悔したが、帰りしなに私に「こんな体になって良かった。こんな体になったからこそ、お前がよく顔を見せてくれるようになった。昔みたく一緒にいれる時間が増えた。」と語りかけてきた。その言葉を聞いた私は、今まで部活動や受験勉強等を理由に、お世話になっていた人をないがしろにしていた申し訳なさや後悔等、様々な感情が溢れ出し、涙を流してしまった。
そんな祖父の言葉から人との出あい、そしてその時間の大切さに気付かされた。だが、実際に今現在、私は本当に人との出あいを大切に日々過ごしているのであろうか。出あいを通して教えられる事を大切にしているのであろうか。
これからも様々な出あいがあるかと思うが、自分自身の姿を問い続けていきたいと思う。
vol36. 森口 至(死刑制度問題班)
あるご門徒さんのお宅に月命日で伺った時のことです。
「こんなはずでなかったなぁ」
お勤めが終わると、そこのご門徒さんが少し笑いながらこう言いました。私は「どうしたのですか?」と尋ねました。するとその方は、今まで自分が健康に気を配った生活をしてこなかったことや、健康に気を配っていたはずの妻が脳梗塞になったこと、そして今の生活の現状について話してくれました。不意に出てきたあの一言は、「まさか妻の方が先に病気になって、介助生活が始まるなんて思いもよらなかった」という思いから出てきたのでしょう。
 しかし、その方は介助生活の中で気付かされたことがあると言うのです。「仕事をしている時は自分が生活を支えて、妻子を養ってきたと思っていた。でも妻の介助をしながら、家事を一から教わり、その家事を行う生活をしてみて、今まで随分妻の世話になりながら生活していたことに気付かされた」と語っていました。
 私たちは自分の一番身近な人の姿が見えていないのです。もっと見えていないのは自分の姿なのでしょう。「自分こそが正しい。自分のしてきたことは間違っていない」という思いに執われて、周りを傷つけながら、時には自分自身を傷つけながら生きているのです。
 ご門徒さんは続けて笑いながらこう言いました。「料理を作っている時、妻に『何をもたもたしてるの!』と言われて、腹が立って言い返してやったんだ」と。そのご門徒さんの話しを通して、私自身の本当の姿と生活がここにあることを教えられました。
vol35. 辻内野悠(研修部会)
「まず結論から先に言え」。社会人になってその会社の会長に強く言われた言葉でした。
苦手な上司に何か報告する時にまず思うことは、どうすれば怒られないか機嫌を損ねないかということでした。こちら側としてはまず言い訳を聞いてもらって、次に自分の努力の過程を報告して、最後に結論を言いたい。伝える結論はいいものではないから。そして聞いている方は結論だけが関心事であるから前講釈はいらない。そういうことが当たり前になると怒られ慣れて、物事を端的に処理する習慣が身についていったような気がします。
けれど部会では何か行事毎に所感を発表したり意見を述べあったり、研修会でも座談会やオリエンテーションなど人の意見に耳を傾ける機会が多いように思います。動機や過程をとても大切にし、そこに研修の本質があるかのようなそんな気さえします。しかし結論後回しの長い会議や「〇〇させていただいている」「〇〇から願われている」など真宗特有のふわっとした言い回しの着地にむず痒さを感じたり、なかなか前に進まない会議の場を否定的に感じたりするのは、自分自身がそういう場に向き合えていないからであり、意見や所感を求められても正直あまり何もないことが多く、無理やりひねり出している現状で、法を聞くことも人や場に出遇うこともできていないのではと思います。「聞法一遇」は法を聞けず誰とも何とも出遇えていない私にとって遠くにぼんやり見える言葉だと感じました。
vol34. 金光多真美(企画部会)
お寺生まれでも、真宗門徒の家でもなかった私が「法話」というのを聞いたのは、結婚して初めての定例法話会だった。
仏教のことなど何も分からず、親鸞聖人や阿弥陀如来についても全くの無知であった。
一人の人に出遇い、たまたまお寺に嫁いできたが、毎朝本堂と御内仏のお朝事に自分もお参りしなければならないことには驚いた。
結婚したのは12月半ばで、朝の本堂はすごく寒かった。ストーブが2台あるのに何故火がついてないのだろう?恐る恐る聞いてみると、「ご門徒さんからお預かりしている大切なお金を、自分たちのお朝事のためになんか使えないでしょう。」と言われた。
あれから25年、今はそのことに頷くことができる。

「聞法」も予期せぬことであったが、わからない中でも時々法話を聞いて鳥肌が立つことがあった。言葉では説明できない何かに心を震わせられた。
法を聞く場を与えられ、親鸞聖人の教えに出遇い、数々の自己と対面させられた。
「学んだことの唯一の証は、何かが変わることである」という言葉を思い出す。
学ぼうとして教えを聞いてきたのではない。教えを聞く場に座らされただけなのに、歳月を重ねて私の中に大きな変化がおこっていた。いや、おこされたのだろう。
長い間、自信の持てないままに悶々とお寺で生きてきたこの私にも、弥陀の本願が届いている?!
何に自信が持てなかったのだろう。
坊守は何をするべきで、何をしてはいけないのか、いつも曖昧で、立派な坊守像に縛られて、そこからかけ離れていると感じる自分を見捨ててきた私であるが、生活の場で教えを聞き、教えに触れた人に出遇わせていただく、お念仏の生活そのものが坊守の仕事なのだと今思っている。
vol33. 圓淨和之(ハンセン病問題班)
先月、とあるご門徒のお宅の月忌参りに伺った。そのお宅は高齢のご夫婦がお二人で暮らしているのだが、その日はご主人の姿が見えなかった。「あれ?父さんは?」と聞くと、「実は大変なことになっててね…」と奥さん。事情を聞くと、私が昨年の12月にお参りに伺った数日後、ご主人が町内の方のお通夜にお参りに行ったまま行方不明になってしまい、警察に捜索願いも出したが未だに何の音沙汰も無いという。今年に入ってから暫く月忌をお休みしていたため、知る由もなかった。
 そのお宅に今月も伺い、何か進展があったか聞くと、奥さんが「誰に言っても信じてくれないんだけどね、父さん帰ってきたの」という。が、ご主人の姿は何処にも見えない。よく話を聞くと、どうやら奥さんは高齢のせいもあってか、ご主人が帰ってきたと思い込んでいるらしい。
 その話を聞いている内に、思わず込み上げてくるものがあった。そのご夫婦とは20年弱、ほぼ毎月顔を合わせてお茶をいただきながら他愛もない話をしてきた。また、私の「副住職就任報告法要」には、わざわざ遠方からお参りに来て下さったご恩も感じている。そんな方の弱っている姿がとても悲しく感じられた。
 しかし、その時である。その悲しい感情と同時に私の中には「この話、法話で使える」という思いが起こってきた。「お前は目の前に悲しんでいる人がいるのに、その状況を自分の為に利用しようとするのか。それで人間と言えるのか」という声が聞こえた気がした。背中に寒いものが走るのを感じた。
 佐野明弘氏は、第十八願成就文の「聞其名号」の「聞」を「きたりてきこゆ」と表現された。仏の御名を称える響きの中に、人間として歩んでいける道を聞いてゆけということであろう。教えに我が身を聞いていかなければならない私であることを再確認した出来事であった。
vol32. 鷲山 舞(原発問題班)
いつも不思議に思う事がある。それは、ご法話をいただくと過去の自分との出会い直しができることである。先日、ある研修会のお話を聞いた時も、過去の自分を振り返らせていただくことができた。
私が特別養護老人ホームで介護職員として勤めていた20 代の頃、祖母が認知症を患い私の勤め先へ入所することになった。遠方に住んでいたため年に数回しか会えなかった大好きな祖母のお世話ができる事を、私はこころ待ちにしていた。仕事上、認知症を患った方を中心に世話をしていた私であったが、まさか祖母が私の事を認知できなくなることは無いだろうと思っていた。しかし現実はそんな甘くなかった。
 ある日突然、祖母が私に「どなたですか?」と聞いてきた。「私」が忘れられてしまった。この現実に、悲しみと戸惑いの感情が入り乱れた。あまりのショックに、その後は毎日のように真っ先に祖母のもとへ駆け寄っては、「おはよう おばあちゃん 舞だよ」と声をかけるようになった。それは、私が孫であることを先に祖母に認識してもらうことによって「どなたですか?」とはもう二度と尋ねられたくない、という抑えられない自分の感情を示す行動だった。 今から思えば、その時、祖母はどのように感じていたのだろうか。孫だという事を認識し躊躇なく「おはよう 舞ちゃん」とほほ笑みかえす時もあれば、孫だとわからないまま、名前をよんでくれていたこともあったのかもしれない。そう考えると祖母の心の中には、孫の事を忘れてしまう不安と、忘れている事を私に気づかれたくない恐れの中で、私に微笑み返してくれていたように感じる。そんな不安と恐怖の葛藤の間で祖母が日々私に微笑み続けてくれていたと想うと、不思議と涙が零れる。亡き祖母と交わしたこんなやりとりは、時間を経て今、新しい記憶としてわたしの宝になった。
vol31. 古卿自然(青年研修部会)
後輩と飲みに行ったある晩のことを思い出す。楽しい会話に二時間という時間があっという間に過ぎていった。今日は楽しい夜だったと思いながら、後輩に「楽しかったよ、ありがとう」の一言。するとその後輩から思いがけない一言が返ってきた。「先輩、二時間ずっと愚痴言ってましたね」と。驚いた。同時に恥ずかしさと申し訳なさが込み上げてきた。全くもって愚痴など言っていたつもりはなかった。
愚痴を言ってしまったということを、世間では生活の中での些細な出来事として片付けていくのであろう。しかしこの些細な出来事の中に私自身の問題が全て包まれていると教えてくるのが仏の教えではないだろうかと頂いている。関係世界しか生きられない私が、現にその関係世界を無自覚にも濁し生きている。この自覚という「一遇」をいただいたとき、仏の教えを聞かざるをえない、尋ねざるをえないという立脚地に立たしめられる。
 私は愚痴を言う為に生きている訳ではない。しかし私の存在が課題とならなければ、一生涯が愚痴で終わってしまう。私は何を課題とし、どこに向かっていくのか。自分の思いによっていつも迷子になり、人間の根本的な願い「ともに」ということを見失っている私に、「今日も一緒に聞法しましょう」と聞法の場が生活の真っただ中に開かれている。
 「学ぶ必要のないひとを仏といい、学ぶ必要があるものを凡夫という」
vol30. 黒川莉衣(少年研修部会)
恥ずかしながら、私はお寺の娘でありながら、法話を聞く場を遠ざけてきました。そんな私が「聞法一遇」という言葉を聞いた時に、何を書けるのかと思ったのが正直な気持ちです。

しかし、これまで聞いてきた法話の中で心に残っている言葉があります。それは「亡き人の想いに導かれたご縁」という言葉です。普段は時計を見ては早く終わらないかなと思い、お話を聞き流してばかりいた私が、不思議とその言葉だけは今でも私の中にとどめられています。

私は仏教系の学校には行かず福祉関係の大学を出た為、仏教の教えも作法も全く分からないまま得度を受け僧籍をいただきました。今では、衣を着て法務に携わらせていただいていることでありますが、ここまで歩んでこられたのは、亡くなった祖父と祖母の姿、想いがあったからなのです。

「亡き人の想いに導かれたご縁」というよりも、私にとっては「亡き人の想いに導かれた道」ではありますが、法話を聞いた時に初めて今の自分にあわせていただいた気がしました。もしかしたら私は、得度もする事もなくただお寺の娘というだけで全く別の人生を歩んでいたかもしれません。今私が歩んでいるこの道は、紛れもなく祖父や祖母が導き照らしてくれた道だなと思いました。

お寺離れする人が多い中、聞法するご縁にあう人が少なくなっているというのが現状だと思います。そのような中で私は、祖母が誰よりも前に座り真剣に聞法していた姿を思い出します。その姿を見習い、これからもこの道を歩んでいきたいと思います。
vol29. 九谷 量(死刑制度問題班)
本年の節分も無病息災を願い「鬼は~外、福は~内」と豆まきをしている様子がニュースで流れた。新型コロナウイルス感染が社会問題となる中でアマビエなる妖怪の存在も知られるようになった。個人の除災招福を願い、身を守ることに思いを強くすればするだけ他との分断・分別がより深まり、私たちに一層の不安を抱かせていくように思える。
先般気づかされた言葉がある。「無関心」という言葉である。マザーテレサなど多くの先人がこの言葉に関しての名言を発しているが、無関心とはどういうことなのか。辞書等で調べてみると、
無関心・・・心にかけないこと。興味を持たないこと。(広辞苑)
英訳では「indifference」と「apathy」とある。apathy(アパシー)の語源は「ギリシャ語のa=~でない(否定の接頭辞)とpáthos(感情・情熱・苦痛)を組み合わせた言葉」(ウィクショナリー/他)とあり、感情・情熱・苦痛を失った状態を無関心と表された。私が気になったのは、苦痛を失っているということは情熱をも失っているということである。それは苦痛苦悩を通して、人間とはなにか?という問いを失っていることだと先人たちは受け止めたのではないだろうか。除災招福という個人的な享楽への関心のみの生活で、苦痛・苦悩を見失っては人間は生き切られないことをこの言葉から教えられるのである。
年末に今年の世相を表す漢字一文字が発表され話題となるが、台湾でも行われている。2018年の一文字は「翻」という言葉であった。「ひるがえす」とは、自分の思いが廃れ今までの態度を突然改めることをいう。台湾語で「翻身」というと「立ち上がれ」という意味だそうだ。
無関心で自己都合的な自分自身に遇う。一見とても苦しく眼を背けたくなる。しかしそこが人間の課題であったと立ち上がった人に遇い言葉に遇い、心が響き、開かれることがあるのであれば、私自身が本当に求めていたことが何かに気づかされるのではないだろうか。ある幼児が「おにあーそぼ」と言った。
vol28. 奥田隆道(靖国問題研究部会)
「仏の教えは頭で理解するのではなく、体で感じるんだ、五感で感じるんだ」
 大学時代の恩師からいただいた言葉である。入学した当時は初めて習う仏教学や真宗学に対し、右も左もわからず、片っ端から本を読んでただひたすらに、仏教の知識を頭に詰め込んでいた。しかし、恩師の言う、体で感じるという意味が全くわからず、その言葉の真意を確認できないまま、大学を卒業してしまった。
 自坊に戻ってきて、様々な研修会に参加させていただいた。しかし、私自身が研修会へ自主的に参加したことはない。いずれも、先輩方に促されてのことだった。私が研修会等で聞いたことをまとめたノートを読み返すと、先生方が書かれたこと、私が話を聞いて心に響いたことなどが箇条書きで書いてある。とある研修会で「仏の教えは、私の真の姿を映す鏡です」と、ある先生が話されていた。この話を聞いて、私は今まで仏の教えを自分の勝手な解釈で、理解していたつもりになっていた。そういった自分の都合でしか物事を判断できない私を、仏の教えが鏡となってこの身を映す。それが恩師の言葉とつながり「体で感じる、五感で感じる」とは愚かな私自身に遇うことを意図した言葉だったのかなと受け止めている。
私にとって仏教を学ぶことは、己を知ることである。仏の教えが光となって私を照らし、本当の姿があらわになっていく。これからも誰かの手にひかれ、聞法の場に身を据えながら、恩師の言う「体で感じる、五感で感じる」仏教を尋ねていきたい。
vol27. 澁谷界雄(差別問題研究部会)
お寺の向かいに一軒の御門徒宅がある。
その方が私の二人の子どもに毎年欠かさずお年玉を持ってきて下さる。入寺してからだからざっと13年になろうか。
あらためて月命日に伺った日に御礼を述べた際、御門徒はこう言われた。
「私たち兄弟が子どものころ、先代の住職さん坊守さんに、お正月にお年玉を貰っていたので、そのお返しではないんですが・・・」。
思い返せば、ここ13年の間、御門徒からはそのお話を繰り返し聞いてきたはずだった。しかし、それを意識することなく通り過ぎて(すどおりして)きた自分であった。
お寺で聞かせていただいてきた「恩」という言葉がある。お年玉をいただいたという果だけを喜んでいた私に、そこから更にもう一つ、このお年玉をいただくに至る背景、因をいただく。そのこころをいただく。それを「恩」というのだと。
十数年の月日を経た今年、その言葉の深い背景と意味がようやく思い知らされる。はじめてわが身に光が差し込んだのだった。私の口から思わずお念仏が出た。
10年ほど前に、あれこれと答えを欲しがる私の質問に対して、ある先生から「あなた、勉強していないでしょう。その年にもなって、そんな受け止めしかできないのですか・・・」といわれたことがあった。
今、その先生の言葉がよみがえる。本当のことだ。稚拙で幼稚な私。出遇っていても「すどおり」している私。この年になっても、恥ずかしいなあ・・・。
そんな、こんなで、あれも、これも、ナンマンダブツ、ナンマンダブツ。
vol26. 泉敬之(研修部会)
 真宗の学びを続けていくと、傲慢な心が起こってきます。先生方を評価する様になりました。あの先生の話は面白い、あの先生は分かりづらいと勝手に言っています。大学時代、博士課程の先輩と一緒に講演を聞きに行った時の事です。講演会が終わった後に、研究室で先輩に感想を言いました。「あの先生はわかりづらいですね」と言ったところ、先輩から(優しい表現をしますと)「君は何を聞いていたんだい」と叱られました。先輩が聞いた話を聞くと、先生が悪いのではなく、私の聞き方に問題があった事がよくわかりました。
 これも大学時代の思い出ですが、大谷大学の講堂にて行われた講演会で、音楽やミュージシャンの写真を紹介する先生がいらっしゃいました。先生は英語の“listen"と“hear"の違いを教えてくださいました。どちらも「きく」と訳されますが、音楽をきく時には“listen"が使われ、人の話をきく時には“hear"が使われるそうです。“listen"は耳できく、漢字にしたならば「聴」です。“hear"は心できく、漢字にしたならば「聞」です。このような使い分けがあるようです。
 たくさん聴いて知識を積み上げていく事は出来ますが、その量によって「聞」に変わる事はないように感じます。聞法一遇は、一生に一度の体験ではなく、聞法の時に何度でも信の初一念、はじめの一歩に帰っていける事だと思います。
vol25. 波佐谷見英(青年研修部会)
まだ小学生の頃、住職である父親に連れられて、組・教区で行われていた子ども会に参加していた。その当時の事を思い出してみると、関わっておられたスタッフの方々に迫力を感じていたように思う。それは何事にも全力で、真剣に取り組んでいた姿だ。
 今私は、組・教区などで青少年教化に携わらせていただいている。そこで出あう方々は、大人、子ども関係なく全力で向き合っているという姿がある。なぜそこまで全力で向き合えるのか、青少年教化に関わり始めた頃は疑問に感じていた。
 そこで気付いたことは、その方々も諸先輩方から様々な形で「熱」が伝わり、大切な願いを教えられていたという事である。場にかけられた願いが受け止められ、そして人を通して伝わってくる。そんな背景があるように思う。伝わってきたことが、その人の「熱」となり行動となっていった。また周りが感化され、その「熱」がこれまで脈々と伝わってきたのだろう。
 今まで、うまく事が進むようにとやってきた私にとって衝撃的なことであったと同時に恥ずかしくもなった。何事にも、歴史・背景があり、そこまで伝わってきたという事だ。その事を外してはいけないように思う。その歴史・背景から何を学び、大切にしていくのか、このなかなか動きが取れない時だからこそ、これまでに大事にされてきた姿、言葉に少しでも触れながら歩みを進めたいと思う。
vol24. 新保友絵(企画部会)
法話はいつも耳を塞ぎたくなる。なぜなら、取り繕っている自分を見抜かれ「あなたのことを言っているんだよ」と言われているようで、だんだんと顔を上げられなくなるのだ。けれど、私はそんな時間がなぜか心地良い。普段の生活の中で、このとんでもない私の本質が指摘される場はない。いい人に思われたい、NOと言わない、争いはしたくないなどと取り繕っているのだ。
聞法の聞というは、言葉につかまれる・身が頷くと教えていただいたことがある。法話を聞き、言葉につかまれ、いつまでも身に残る感覚が私にはあっただろうか…。思い出せないということは、おそらく、聞いているつもりで聞いているからだ。ひとたび日常の場に戻ると「わかっちゃいるけどやめられない」と、こんな感じである。教えからどんどんかけ離れ、自分自身に目を背けていく生き方をしているようで苦しい。
学生の頃、大人になったら働いたお給料で自由に楽しく暮らせるものだと思っていた。いざ大人になると、嬉しいことはほんの少しで苦しいことの連続であった。だからこそ聞くということが大切なのだろうか。いや、苦しいからこそ聞こえるのかもしれない。この苦しさが決して無駄にはならないと断言はできない。けれど、苦しいからこそ、聞こえるもの見えてくるものもある。これからも、聞法に教えられ、自己に目覚めさせていただく、出遇い続けさせていただけるチャンスを見逃さないようにしたい。
vol23. 金谷智晃(原発問題班)
 大学を卒業後、帯広別院に奉職して間もない頃の私は、何も分からないのに知ったようなふりをして周りの言うことを素直に聞かず、言い訳ばかりを繰り返していた。そんな私を見かねた先輩から一枚の紙を渡された。その紙には「人間を尊重するということは、相手の話を最後まで静かに聞くことである。」(安田理深)と書かれていた。今回「聞法一遇」のテーマを聞いたとき、ふとこの出来事が私の中で思い返された。
 人間を尊重するとは一体どういうことなのか。自己肯定の強い当時の私にとっては理解できない言葉であったが、学びの中で教行信証の一文である『「慙」は内に自ら羞恥す、「愧」は発露して人に向かう。「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧」と名づく。「無慙愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。慙愧あるがゆえに、すなわちよく父母・師長を恭敬す。』(真宗聖典p257~p258)との言葉に出あった。
 「自らを恥じ、頭が下がるところに人間同士の関係が築かれていく」というこの言葉は、他に認められたいために自分を大きく見せようと躍起になったり、人の話をしっかりと聞かず、相手を否定することで自身を正当化する在り方は、自己を顧みることなく関係を断絶し、独りよがりな生き方になるのだと教えられた。
 今では聞くことの大切さを教えられつつも、聞くことの難しさをより一層感じさせられる毎日を送らせてもらっている。
vol22. 岩城昌(ハンセン病問題班)
 私の聞法の歩みのきっかけとなったのは中村量空氏の著作『複雑系の意匠 自然は単純さを好むか』です。中村氏は物理学者であると同時に、印度学仏教学会の理事をされた方です。
 この書籍で私は、人知の及ばないものは無いと思っていた「人知」によって、「人知の及ばないものがある」と証明されたのが20世紀の数学や物理であった、と知りました。
 そして、この書籍の後半部分では華厳経に知見を求めており、そのことは「物理学の最先端にいる人が仏教を称讃している」と私は強く感じました。
この本に出遇うまでは、仏法とは、私にとって非科学的なものでした。しかしながら、そうではないのだという思いが起きたのです。
 さて、話は変わりますが、私が親鸞さんの教えに知的好奇心ではなく、心を寄せるようになったきっかけは、教学研究所退所式の日の出来事です。
まもなく閉校式がはじまるという時、教室に1人残っていた亀谷所長に、最終講義の時に気づいたことを質問したところ、教室の法輪(十字名号)を示しながら
「それが如来のはたらきです」
と示して下さったことは、重力を発見したニュートンのように、如来のはたらきという言葉が示す内容を知った気持ちになったことです。
 それからは、聖典を開くときには、「何を伝えようとしているのか」ではなく「これを伝えようとしているのか」という読み方になり、だからこそ「知的好奇心」ではなく「心」を寄せられているのかと思います。
vol21. 阿知波大潤(少年研修部会)
 「聞法一遇」の「聞く」と「遇う」という語が気になり、その漢字ついて調べてみました。
まず、「聞く」という漢字を辞書でひくと、自然に聞こえてくる音や言葉を聞く、という意味があるそうです。それに対してもう一つ良く使われる「聴く」には、注意深く聞くという意味があるそうです。また、一遇の「遇う」という漢字ですが、このあうには偶然あう、たまたまあう、といった意味があるそうです。
 その上で、私自身の生活を顧みますと、法座や研修の場で聞かせていただいたお話をふと思いだし、自分の姿や立ち位置を考えさせられることがあります。注意深く丁寧に聞いた仏教の教えが生活の中で響いてくる。そして、そのことは決して必然ではなく「たまたま」出遇うことができた世界なのだと。このことを「聞法一遇」と呼ぶのではないかと思うのです。

 教区教化に携わるようになってから、よく「教化者意識」という言葉を耳にするようになりました。これは、自分が聞いてきた仏教の教えを他に押し付けるようなあり方を示しているのではないでしょうか。
 先日WEB開催された『青少年担当者研修会』の講義の中で「教化は如来に任せなさい」というお言葉がありました。私自身、悩んでいる人を見ると、僧侶として、仏教の教えを使い、救ってあげたいと思ってしまいます。
 しかし、自分が教えられた言葉を持って他者と向き合おうと思っても、寄り添いきれない私の姿が照らし出されるのです。
教化に携わる一人として、教化者としてではなく、一聞法者として歩みを進めて行きたいです。
vol20. 山本了(青年研修部会)
「住職、ちょっとこれ見てくれないか」
お参りが終わってお茶を飲んでいた時、御門徒のKさんが古い木箱を大事そうに抱えてやってきた。中には神社からもらったお札が複数入っていたと思う。よく見てみるとどれも長寿という言葉が書かれていた。何故同じようなお札が何枚もあるのかと尋ねると、Kさんは末っ子で兄と姉がいたが皆若いうちに亡くなっていったという。そう話しながら嬉しそうな顔でこう言われた。

「もう確かめようもないことだけどさ、きっと亡くなった親父もお袋も願っていたんだろうな。この子だけはせめて長生きしてくれって。だとしたら、俺の人生は願われてきた人生だったんだな。それが78歳でようやく分かった」と。
その時、願われてきた人生という言葉は忘れられないものになった。

今年息子は10歳、娘は7歳になる。あっという間に2人とも大きくなった。彼らに願うことはただ自分らしくいきいきと生きて欲しいということだ。そんなふうに思われているなんて本人たちは分からないだろうな…と思ってばかりいたが、そんな私もまた願われてきたのだ。自分では気がつかなかっただけで、いつも家族や友達、先生方、御門徒さん…無数の誰かと何かに支えられながらずっと歩んできたに違いない。そう思うとなんだか胸が熱くなる。私は願いをかけられた身だということを念じながら今日も人と出会っていきたい。
vol19. 曽我隆信(研修部会)
先日、祖母が亡くなった。幼い頃遊びに行っては、庭で秘密基地を作って遊んだり、祖母と一緒に寝たりする事が楽しみで、よく泊まりに行っていたのだが、歳を重ねるにつれ、年に一回行くかどうかという位だんだん疎遠になっていった。
祖母が近くの施設に入ることになり、母は毎日のように会いに行っていたのだが、私は数えるくらいしか行かなかった。車椅子に乗ってつらそうにしている祖母の姿を見ることが、私は正直辛かったのである。

そんな祖母の通夜説教で御導師が、祖母は口癖でよく「ごめんなさい」と言っていたことにふれて、そのごめんなさいという言葉の裏には、ありがとうという意味も含まれていたのではないかと話された。そう言われてみると、いつも祖母が何もしていない私に対して「たかちゃん、ごめんね」と言い、そこで私は「なんもなんも」と返していた事を思い出し、同時にそのやり取りの背景など、様々なことを思い出したことである。

「ごめんね」が口癖だったことや、その言葉にありがとうという意味も含まれていたなんてことは少しも考えたことはなかったが、「ごめんなさい」の一言から忘れていた当時のことを沢山思い出し、祖母とまた出遇えたと感じたことである。

おばあちゃん、会いに行かないでごめんなさい。
vol18. 黒田覚祐(企画部会)
「かわいいよ」
この言葉に、打ちのめされた。今から十数年前、ある女性に言われた言葉である。
私は、その女性から「妊娠しているのだけど、生んだ方がいいかな?」という相談を受けていた。「生んであげられるのなら、生んであげな。」と何の気なしに言ったことを覚えている。
それから暫くして、電話で生まれたという知らせをくれた。そして、会話の最後に生まれた子が「脳性マヒ」だったことを教えてくれた。その時、私は「生んであげな。」といったことで大変な人生を歩むのではないか、自分の発言がその知人女性の人生を変えてしまったのではないかと感じ、悶々としていた。数年後、その女性に思い切って「子育てはどう?」と聞いてみた。私は心の中で「大変だよ、しんどいよ。」という言葉が返ってくると思い、身構えていた。しかし、第一声は「かわいいよ。」という上の言葉だった。その時の衝撃は今でもはっきりと覚えている。私の中にある差別心や思い込み、自分の保身という姿を突きつけられた瞬間であった。
今までさまざまな聞法の場で、話として聞くだけで自分に疑問を持たない、教えを教えとして聞かず、自分を守る矛と盾として利用している私の姿が浮かびあがった。あれから、何度、同じような聞き方をしてきたのだろう。
教えと私のあり方が一つ一つ出遇ってゆく。これを確かめながら歩んでゆきたい。
vol17. 浅野世央(原発問題班)
私が30歳の時、一つの転機が訪れた。それは当時勤めていた寺院を辞め自坊に戻ることになったことだ。8年間お世話になった場所を離れる一抹の寂しさを感じていたそんな折、御門徒の男性から個人的に送別会をしたいとのお誘いを受けた。その方はストレートに物を言う方だったので、会食の時には新人の頃のダメ出しから、今後気を付けた方がいいと思うこと、そして少しは成長を感じたことを延々と語られた。その言葉は厳しくも新たな出発の餞として語ってくれる、このような関係性が持てたことが何よりもうれしく感じた。
2件目のお店ではその方が松山千春の「大空と大地の中で」を歌っていた。その選曲に意図があったかは分からないが歌詞の中にある「歩き出そう明日の日に 振り返るにはまだ若い ふきすさぶ北風に 飛ばされぬよう 飛ばぬよう」はその時の私の心に刺さるものがあったことを今でも思い出される。
 今回このコラムを考えるにあたり様々な過去の大事な出会いを思い返した一つであるが、今になって思うのは「状況が違っていたらどうだったのだろうか?」ということを考える。退職時ではなく普段の時のダメ出しならば私は餞として聞けただろうか?人の歌を聴きながら自分の心境に照らし合わしていただろうか?同じ言葉であっても発する人が違えば私は頷けただろうか?
 私にとってありがたく嬉しい出来事だったことに間違いはないが、あらためて深く考えると自分が問われ、今が問われる。
vol16. 秋山智(死刑制度問題班)
人と会うことのできる場所に身を置かせていただいている。

自分の人生の分岐点はどこにあったのか、そんなことを考えて過ごしていると言っていた青年がいた。

どれだけ悔いてもやってしまったことは消えない。人の命を奪うことは取り返しのつかないことである。しかし…真摯に反省する彼の様子を見て、また、彼の決して恵まれたとは言えない生い立ちを考えると、このまま彼を殺してしまって良いのか。私は疑問に思うようになった。

他方、先般、全く逆の、ご自身の大切な家族を殺された方のお話を聞く機会があった。人を殺すような者は特別な価値観を持っている。自分の家族を殺した者の更生を私は求めないとおっしゃっていた。あなたの家族が殺されたとしたらあなたはどう思うかと問いかけられた。

いつも私はわからなくなる。何を聞いて良いのかわからなくなる。何も言えずに、このことを口に出してしまってもよいのだろうか。それともこれは聞く人を傷つけてしまう言葉だろうか。考え込んで何も言えなくなる。

親鸞ならばなんと応えるだろうか。それとも黙って何も答えないだろうか。お釈迦様ならばどうだろうか。

私は祖師の言葉を模範解答のように出したくなる。しかし、宗教的な言説をもって先回りして解答を指し示すようなことはやめて欲しいと訴える人に出会っていたことを思い出した。

関われば関わるほど、知らずに過ごしておけばよかったと思うことが増えていく。けれども、聞くことができる場所に今、私は、いる…。
vol15. 畠平諭(ハンセン病問題班)
「あなたの学びは、如来・聖人から遠ざかっていく学びです」

 研修の場で、ある先生から言われた言葉です。唐突にそう言われた事に瞬間的に怒りを感じながらも、私の学びの本質を見抜いた言葉であるようにも思えました。
 私の過去を思い返してみると、中学生の頃からか、知識や経験で自分を立派な善人と仕立て上げ、一方で他者をどこかで見下しながら生きてきたように思うのです。時にはそういう自分が嫌になり、違った生き方をしたいと思うこともありました。
 縁あって僧侶となった現在も、いつの間にか仏語の知識と経験を握りしめて自分を立てる一方で、出来ない者を否定していく事を繰り返し、その為に聖人の言葉や念仏をも利用してきたのでした。その事実を指摘され、いつまで経っても同じ事を繰り返し、成長のない自分が許せず、悔しさと情けなさを感じたのでした。
 そんな私の姿勢が、きっと目に余ったのでしょう、数年後に同じ先生から言われた言葉です。

「退転しかない、そう言えるようになったら楽なんだけどな」

廊下での何気ない立ち話の中で、不意に飛び込んで来た言葉が私を捕らえて離しませんでした。自分の努力次第で何とかなるとでも思っていないか、と私の慢心を厳しく教えて下さっているように聞こえました。
 学問をして成長を続け、退転しない者に成らなくてはならないという心が、私を雁字搦めにしていたのでしょう。その事に気付かせ、そこからの解放を願って私に発せられた言葉であったように思います。まさに私にとっての「聞法一遇」の瞬間でありました。
 雪化粧をした御堂の屋根。百数十年の間、何を守り、何を荘ってきた屋根であったのでしょう。背を向ける私に「御同行」と呼びかける声が聞こえる。
vol14. 足利智文(靖国問題研究部会)
今回、教区教化テーマとして「聞法一遇」という言葉が提示されました。「聞く」ということを大学の卒業論文の主題としていた私にとって、本テーマは大変親しみを覚えると同時に、重要な問いかけを私に促してくる言葉だと受け止めています。

思えば真宗の教えに触れて以来、ずっと「聞」ということの大事さを教えていただいてきたように感じます。大学へ入学した年、自坊の報恩講に出講いただいた先生に「わかったつもりになって教えを聞いていないかい」と問われたことがありました。もう十五年以上前の出来事ですが、恥ずかしさで身の縮まる思いをしたことが鮮明に思い出されます。真宗学を聞き始めて幾許かが経ち、少しずつでもわかってきたと、大変な思い上がりをしていた私を窘めてくださった最初の問いかけでした。

また、学生生活の終わりに際し、ゼミの先生から、「法を聞きて能く忘れず、見て敬い得て大きに慶べば、すなわち我が善き親友なり。このゆえに当に意を発すべし」という『大経』の一節を贈っていただきました。私の論文テーマが「聞」だったからこの言葉を選んでくださったのかとも思いましたが、後にこの一節が先生にとって大切な意味を持っていたことを知りました。誰にとってもこの一言こそが聞法の道標になる、だからこそこの一言を大切にしてほしい。そのような重要性をこの法語から聞かせてもらっています。

「耳が二つに口一つ多くを聞いて少しを言うため」
vol13. 澁谷真明(差別問題研究部会)
先日、地元の小学校の子どもたちがお寺に来てくれた。地域の気になる場所をいくつかピックアップし、グループに分かれてその場所を訪ねる、「町たんけん」授業だ。お寺の由緒や歴史から始まり、普段どんなことをしているのかといった質問を受けながら楽しいひと時を過ごした。
子どもたちからの色々な問いに答えているうちに、本山の修練で教わった金子大栄先生による住職の心得を思い起こした。それは、お寺に住まいする者にとって大切なことを順々に説くものである。
五か条あって順番に、一に早起き。二に掃除、三にお勤め、四に勉強、最後に法話だったと記憶する。
先師が教えるのは、聞法とは生活の一部の作業というようなものではなく、生活を基礎づけ、その人の生活全体の表現に直結する営みであるということだ。
冒頭に述べた「町たんけん」授業の後、小学生たちからお礼の手紙を受け取った。その一つには次のように書かれていた。

お寺を見せてくれてありがとうございます。お寺に鐘や畑があるなんてびっくりしました。これからもお寺の先生(阿弥陀さま)のため、そうじをがんばってください。ぼくもいつか手伝いにいきます。

授業の最後、小学生たちは、お寺の鐘を一人ずつ撞いた。そのどれもが、素直でまっすぐな響きで思わず合掌。ピカピカの子どもたちのおかげで、あらためて聞法の原点に還らせてもらいつつ、一期一会の出遇いを味わわせていただいている。
vol12. 小川大授(少年研修部会)
「聞法一遇」。このテーマに触れた時、私自身「聞法は大切だ」と言いながら、なぜ大切なのか、何を聞かねばならないのか、ということを確かめている
だろうかということがふと沸き起こってきた。宗祖は『教行信証』信巻において
「しかるに『経』に「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心あることなし。これを「聞」と曰うなり。」(『真宗聖典』p.240)
と教説されている。我々は、本願を法蔵菩薩が立てなければならなかった所以(生起)と、その本願が成就された姿(本末)を聞くことを教えられるのである。
 北海道に帰ってきて12年になる。その間、たくさんの不可思議なる出遇いを賜り、その出遇いに促されてたくさんの聞法の場に出させていただいた。思い返せば、それらの場に伴う座談や攻究の時間には、色々な人から叱咤と激励の言葉をかけられたことである。その内容に共通することは「あなたは頭で教えを理解しようとしていませんか」という問いかけであったように思う。
「教区教化テーマについて」という文章の中で、寺澤本部長は「『聞法』は、『仏の教えを聴聞すること』です。それは、仏の智慧、つまり如来の目・耳・心によって、あらゆる事柄を、私が見・聞き・受けとめさせていただくことです」と仰られている。
「一遇」という言葉に願われるように、我々は出遇いによって聞法ということを促され「如来の目・耳・心」をいただくのである。先達の数々の言葉を顧みる時、どこまでも自らの人間心でその教えを掴もうとする無明煩悩の我が身を報らされることである。
教区教化に携わる御縁をいただいた今、改めて私の「聞」という姿勢が問われている。
vol11. 秦智秀(青年研修部会)
昨年、五十年以上お寺で聞法され続けてきた御門徒が御命終をなされた。物心ついた頃の記憶にも残るその方は、私にとって祖母にも近い存在であった。思えば、寺を継ぐということを嫌がっていたにもかかわらず、自坊に帰ってきてから八年が経とうとしている。ふと、私をここまで歩ませしめたものは何だったのかと思う。

「聞法とは、積み重ねるものではなく繰り返すものである」
ある先生の言葉である。この言葉に、その御門徒の方のお姿を思い出す。五十年以上の年月を、その方は繰り返し聞法され続けてきたのだろう。そのお姿を思い返すと、教えを知識として積み重ねるのではなく、教えの中で聞こえてきた問いを大切にしながら、繰り返しその問いを問い尋ねているお姿だったように感じられる。きっと私は、その聞法を繰り返す御門徒のお姿に背中を押されながら歩んできたのだと思う。その意味では、そのお姿に出会わなければ、寺を継ぐということを嫌がっていたままだったのかもしれない。教えの言葉から大切なことを教えてもらうということがあるが、きっとその教えの言葉だけでは歩むことができない私なのだと思う。

「聞法一遇」という言葉を思う時、私にとって聞法の場所は、教えの言葉に出遇う場所であるということと同時に、聞法をする御門徒のお姿に出遇わせていただく場所であった。その方が座り続けた一番左後ろの参詣席を見るたびに、そのお姿を思い出しながら、これからも背中を押していただいていくのだろう。
vol10. 佐々木香織(企画部会)
私は現在、母校である札幌大谷中学・高等学校に宗教科担当教員として勤めています。
中学校へ進学する際に地元の公立中学校ではなく、札幌大谷高等学校附属中学校(当時)に入学し、6年間お世話になりました。そして、多くの先生や仲間と関わる中でできた夢を成し遂げるために、自分の進路を大谷大学に決めました。
大学卒業を目前にしたころ、ゼミでお世話になった先生から「いつか君の夢を実現してほしい」という言葉をかけていただきました。以前に私が母校で働きたい、そして、それを目標に大谷大学に進学したのを先生にお伝えしたことがあり、その言葉を忘れずに気にかけていただいたのだと思います。
卒業後、私はその夢を実現し、母校に勤めることができました。勤めて数年が経ち、慌ただしく過ごしている日々の中で、ふとした時にその言葉が再び目に入ってきました。改めて読み返すと、その言葉の「夢」とは単に「教師」という仕事を指しているのではなく、「なりたいと感じた気持ちを忘れていませんか」「今のあなたはどこに向かっていますか」と問われているのだと初めて気づきました。
今もその言葉は自分の目に届くところに飾っています。日々の業務に追われて大切な事を忘れてしまいがちな私にいつも問いかけてくれています。一人ひとりを大切に、これからも生徒と共に多くのことを学んでいきたいと思います。
vol9. 鳥毛浄生(研修部会)
コロナ下になってから二度目の報恩講をどのようにお迎えするか、ご門徒さんたちと相談をして、感染対策をおこない、規模縮小、時間短縮の日程でお勤めすることになりました。報恩講をお迎えするために、ご門徒さんたちと境内清掃をしていた時の会話です。

私:コロナウイルスのせいで、いつものように報恩講が勤められなくて困りましたね。
ご門徒:そうだね。でも、やることはいつもと同じだよね。
私:・・・。

私としては、どう考えても例年通りとはいかない中、いつもと同じではないという思いのまま報恩講をお迎えしました。
しかし、結願逮夜に拝読された『御俗姓』の「毎年の例時として、一七か日のあいだ、形のごとく報恩謝徳のために、無二の勤行をいたすところなり」という蓮如上人の言辞に、毎年日時を定めて、報恩謝徳のために二つとないお勤めをしてきたのが報恩講の歴史であると知らされました。また「ただ、人目・仁義ばかりに、名聞のこころをもって報謝と号せば」と続き、さらには「水に入りて垢おちずといえるたぐいなるべきか」との言辞に、背筋が伸びる思いをしました。
以前、「報恩講というのは教えとの出会いの意味と、日ごろの生き方を毎年確かめる」最も大切な御仏事であると教えていただきました。まさに、その意味でご門徒さんの「やることはいつもと同じだよね」という言葉が、報恩講がお勤まりになり、今になって胸に響いてまいります。
vol8. 宮本尊文(社会問題研究部会)
今日札幌は記録的な大雪だった。早朝から雪かきをしながら「生きるって大変だ!」という思いの中、あらゆることに翻弄される自分を感じつつ、あらためて彼を偲んだ。

2021年2月滋賀県で大学時代の友人が亡くなった。死因は「自殺」。

私や他の友人に訃報が届いたのは4月になってからだった。それに至る経緯は不明であるが、コロナの影響が無かったとは言い難い。その日、数名の共通の友人と電話で話をした。私が亡くなった彼と最後に会ったのは6年前である。部活のOB会の時だった。
大学を卒業して、仕事に就き、結婚して所帯を持ちそれぞれ全く違う環境で生活をしていた。関西近郊に住み、たまに彼と会っていた友人たちは近況もある程度把握し、訃報にも悲しみを感じていた。しかし、何年も彼に会えていない遠くに住んでいる私たちの反応は若干違う様に感じた。もちろん驚きはあったが、冷静だった。中には「あいつは絶対にしてはいけない事をした」と怒りにも似た感情を持つ友人もいた。

複雑だった。

北海道でも10月より緊急事態宣言が解除され、規制緩和処置のもと様々な行事が対面で行われている。人と直接会って話をする。その必要性を改めて考えさせられた。そんな中、亡くなった友人のことが頭に浮かんだ。「会えていない」「お葬式にお参りしていない」「遺影を見ていない」「他の友人たちと直接あって偲べていない」…

「会えない」ことで彼の「死」を「死」と見ることの出来ない、「いのち」を「いのち」と見ることの出来ない私の問題が露呈された。
vol7. 相河朋昭(社会教化部門)
たとい大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなうなり
(『浄土和讃』)
 この年末になると「一年というのはアッという間だ。」という会話を毎年のように話しているように思う。違う言い方をすれば「この一年、私は何をしてきたのだろうか?」という自己への問いかけではないかと思う。朝から目まぐるしく起こってくる出来事に追われ気づけばもう年末である。『浄土和讃』に「たとえ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて」とあるように時間を割いて聞法する場に身を据えるということは、世界に満つる火をこえていく心がなければできないとうことであろう。
 報恩講を中心に寺院では、春秋永代経法要、御正忌、教区定例法座などの仏事を勤めているが、寺院の取り巻く環境が急速に変化する中で、「今まで通り」や「例年の如く」ということがまかり通ることがない。ましてやコロナの時代になり益々変化を求められるようになってきた。教区定例法座の巡回中に寺院のご住職さまや坊守さんとお話をさせていただく機会があるが、最後は「どうしたらいいのだろうね。」と話が終わる。自分の中から変化に対応した答えは出てこないし、考えれば考えるほど負のスパイラルに陥っているように感じる。
 ある時、とあるご住職さまから、「如来の摂取不捨(えらばず、きらわず、見捨てず)を学び 真実、自分自身のしたいこと、しなければならないこと、できることを、他人とくらべず、あせらず、あきらめず、していこう」という竹中智秀先生の言葉を紹介していただいた。様々な社会の変化に「どうしたらいいのだろうね。」というけれども、それは自分がどうなりたいのかが見えていないからである。自分がわからないからこそ如来の教えを聞かなければならいことがはっきりしていく、私にとっての聞法一遇は「仏の御名をきく人は ながく不退にかなうなり」、仏の御名を聞き、半歩でも一歩でも仏道を歩ませていただくことであろう。
vol6. 圓谷淳(青少年教化部門)
私は「聞法」が苦手だ。
この文章を書くに当たって「聞法一遇」について改めて考え、思いを巡らせてみた。私はこれまで聞法の場において様々な教言と出遇わせて頂いてきたはずなのだ。自坊や組、教区など様々な場においてそのお言葉と出遇えた事に有難さを感じて何度も頷き、感謝してきたはずなのだ。
だが思いを巡らす中でまず想起することは教言一つ一つではなく、私自身に潜む「聞法」への苦手意識だった。言い換えるならば聞法の場に身を据える事への苦手意識。それが冒頭の一言である。
何がどう苦手なのか。その原因は自分でも判然としない。あえて文字にするならばご法話をしてくださる方々から放たれるお言葉が私に突き刺さる様な感覚があるからだ。お話に自分を重ね「自分もそんなことを思ったり、言ったりしているな」という客観的な事実を突きつけられる事が怖いのかもしれない。これこそが「自分自身との出遇い」というと聞こえはいいがそれほど前向きに捉える事が現状の私には難しい。また、前向きに捉えるということが聞法ということではないだろう。
ただ聞法の場に身を据えてわかったことがある。それは自分自身の人間性だ。高校や大学で真宗を学び、色々な事がわかった気になっていた私に「本当は何もわかっていないんだ」という現実を教えてくれたのが様々な聞法の場だ。今回の思索を通して、今後も一つ一つの聞法の場との出遇いを「自分自身のこととして大切にしなければ」という思いを強くした。
vol5. 池浦良敬(同朋教化部門)
娘が生まれて、どんな名前をつけたものかと悩んでいた頃、観無量寿経の定善十三観に度々出てくる「一一の」という言葉に引っかかっていました。一一の光明、一一の宝珠、一一の華葉…繰り返し一一の、という言葉が引かれていますが、これは「それぞれの」という意味と同時に、「それぞれが・一人一人が」という自立・自覚が促されている言葉だと教えて頂きました。「無上尊となるべし」と釈尊が目覚められたように、他の人や他の事と比べる必要がない、私と生まれてよかったという人生を歩んでほしいと願いを込めて、「一一のいろ」という名前を送りました。
 一遇ということを、私は「本当の自分(一・真実)との出遇い」と読みたいと思います。自分自身の眼が、他人の顔色や評価を窺い、また他者を色眼鏡で窺うという風に、比べあうことしか見ていないということは、教えられ指摘されないと気付けないことです。比べあうこと自体がやめられなくても、その有様を心底痛ましいことだと気付かせ、「それぞれのままに尊い」という世界を教えて下さるのが、法を聞くということではないかと思います。
 私たちはそれぞれに願いの込められた名前を頂いていますが、長い年月、親から子、子から孫へと願いを伝承してくる中で、人間の本当の願いを忘れて生きているのかもしれません。それは、どのような私であったとしても、私と生まれてよかったと頷いて生きていきたいということではないかと思うのです。
vol4. 阿部智(広報)
「拝み屋さん」
初めて耳にした時は何とも思わなかった言葉でも、時を経るとその心象も変わる。
「仏事・法事は亡くなった人の為にするものではありません。人の為と書いて偽りと読みます。仏事を偽りにしないで下さい」
十数年前に真宗の「し」の字も分からず、まさに「拝み屋さん」に身を置こうとする中、私の歩みの礎となったこの一言を、折に触れ思い出す。
それから月日が経ち、法務が日々の生活として馴染んできた頃に、ふと私の口からこぼれた一言。
「誰もいないお内仏の前で一人お勤めして何になるのだろうか」
主が留守にする仏間で一人、勤行することが毎月の勤めとなっていた。
私なりの「拝み屋さん」への抵抗のつもりだった。
その意図を汲んでくれた先達の言葉。
「本当に誰もいないのか」
「お前がいるじゃないか」と。
折に触れて、先達から私の「立ち位置」という事を問われることがある。
「仏事は人の為にあらず」と人には伝えながら、法を聞くことを怠る我が身を知らされる。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と宗祖はいただかれ、喜ばれた。
如来からは僧侶も門徒の垣根は無く、そこにはただ「一人(いちにん)」。
この私一人が聞法に遇うことを如来は絶えず願って下さっている。
今日も勤行を終えたご門徒のお内仏の前で、線香が燃え尽きるのを一人ただ静かに待つ。
vol3. 宮本正顕(広報)
よい言葉、よい文章は心の栄養になります。松尾芭蕉の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」や、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」などが、時代を超えておよそ全ての日本人に読まれ、その精神的土壌に影響を与えていることは、言い換えればそれらの言葉が日本国民のアイデンティティの一端を形成しているということになるでしょう。
 同様に、正信偈や御文、法話の言葉などは、真宗門徒の宗教心を育み、そのアイデンティティを形成しています。私の場合、それはお経が単なる呪文ではなく、物語性をもった記録であると知ったときの驚きや、本山の修練で受けた講話での「何のために生きるのかと悩んでいる人は、今の人生に不満があるということです。」という言葉であったりします。
 しかし、この頃感じているのは、真宗の話に限らず、小説やドラマ等の作品に触れても、若い時分ほど発見や感動を得られなくなっているということです。
 仮に、「地球上の水は太古の昔より循環しており、理論上、コップ一杯の水に紫式部の分子が1つ入っていることになります」という話を聞いたとき、物理を学んでいる人であれば、その計算式に感動するかもしれません。一方、生きることに悩んでいる人であれば、自分の命が太古の昔から流れる命の一部であることに目覚めるかもしれません。
発見や感動に至るには、問いが必要なのでしょう。裏返せば、発見や感動がないのは問いがないということになります。
寺に身を置くようになり、ご門徒との関わりの中で仏法を伝える機会が多くなった自分。正直、「分からない」とは言いにくいものです。それでも、色々と分かったことにせず、問いをいただいたら一緒に考えてみる、その中で新たな発見や感動に一遇できる自分でいられたらと思います。
vol2. 阿部信人(総務)
いまから二十年前、自坊に戻ったばかりの頃、
ある先生から「あなたは人間ですか?」と問いかけられた。
質問の意味が分からず困惑したのを覚えている。
何も答えられずにいると、先生はこう言われた。

「人間というのは間を生きている者ということです
『間』というのは間柄・関係・つながりのことです
そして、それは人だけのことではありません
様々な事とつながり、関わりをもって生きているということです
それが私たちの事実です
そのことを忘れないように、目を逸らさないように
ちゃんと向き合って生きていこうとする者を人間というのです
もし、そのことを忘れ、向き合うこともないのなら
それは『間』を見失っているということ
『間』が『抜けて』いるということです
それを『間抜け』というのです
あなたは人間ですか?
それとも・・・間抜けですか?」

あれから二十年。何度『間抜け』になっただろう。
いや、今でも『間抜け』のままか。
でも、ふとした時に思い出される言葉が有り難い。
「あなたは人間ですか?それとも間抜けですか?」
山の淡雪を眺めながら
今日も『間抜け』なわたしは『人間』でありたいとおもう。
vol1. 前田瑞人(総務)
 「人間のいない国」-かなり以前、組で推進員養成講座(前期教習)を開催した際、講師の方からいただいた講題である。私たちが日頃手にし、食するものの背景に人の存在を見て取れない現代社会の在り方や関係の希薄さを切実に語られたように記憶している。社会の現実や地域で果たす寺や僧侶の役割ということ、おそらく氏ご自身が常に考え、課題として歩んでこられたことを丸ごと投げかけられ、僧俗共に考え、確かめさせていただいたことを想起する。
 時を経て新たな教区教化テーマの検討に際し、これまでのテーマを振り返ることとなった。個々のテーマで表現こそ異なるが、教えのもとで出あいや関わり、共にという世界が願われてきた。一人一人が互いを尊重し、認め、輝き合える「人間のいる国」の実現が仏の願いであり、真宗仏教の課題であることを教区の諸先生方は常に考え、大切にしてきたのだと今更ながら思う。その願いに背き、見失ってきたことを自問自答するしかない私である。しかし組や教区の様々な出遇いがこの私を育てる法縁であると教えられる。
 昨夏、紆余曲折で開催された東京五輪。女子バスケ日本代表の躍進に引き込まれ、YouTubeでも追ってしまった。どの世界でも良い結果を生み出す集団には相応の根拠があるのだろう。差異を超えて大きな目標にチャレンジする姿は美しく、輝いていた。チーム全体が仲良く見えて心が和んだ。発する温もりに胸の熱くなる盆の一時をいただいた。

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