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私にとっての聞法一遇

vol.1 前田瑞人(総務)

 「人間のいない国」-かなり以前、組で推進員養成講座(前期教習)を開催した際、講師の方からいただいた講題である。私たちが日頃手にし、食するものの背景に人の存在を見て取れない現代社会の在り方や関係の希薄さを切実に語られたように記憶している。社会の現実や地域で果たす寺や僧侶の役割ということ、おそらく氏ご自身が常に考え、課題として歩んでこられたことを丸ごと投げかけられ、僧俗共に考え、確かめさせていただいたことを想起する。
 時を経て新たな教区教化テーマの検討に際し、これまでのテーマを振り返ることとなった。個々のテーマで表現こそ異なるが、教えのもとで出あいや関わり、共にという世界が願われてきた。一人一人が互いを尊重し、認め、輝き合える「人間のいる国」の実現が仏の願いであり、真宗仏教の課題であることを教区の諸先生方は常に考え、大切にしてきたのだと今更ながら思う。その願いに背き、見失ってきたことを自問自答するしかない私である。しかし組や教区の様々な出遇いがこの私を育てる法縁であると教えられる。
 昨夏、紆余曲折で開催された東京五輪。女子バスケ日本代表の躍進に引き込まれ、YouTubeでも追ってしまった。どの世界でも良い結果を生み出す集団には相応の根拠があるのだろう。差異を超えて大きな目標にチャレンジする姿は美しく、輝いていた。チーム全体が仲良く見えて心が和んだ。発する温もりに胸の熱くなる盆の一時をいただいた。

vol.2 阿部信人(総務)

いまから二十年前、自坊に戻ったばかりの頃、
ある先生から「あなたは人間ですか?」と問いかけられた。
質問の意味が分からず困惑したのを覚えている。
何も答えられずにいると、先生はこう言われた。

「人間というのは間を生きている者ということです
『間』というのは間柄・関係・つながりのことです
そして、それは人だけのことではありません
様々な事とつながり、関わりをもって生きているということです
それが私たちの事実です
そのことを忘れないように、目を逸らさないように
ちゃんと向き合って生きていこうとする者を人間というのです
もし、そのことを忘れ、向き合うこともないのなら
それは『間』を見失っているということ
『間』が『抜けて』いるということです
それを『間抜け』というのです
あなたは人間ですか?
それとも・・・間抜けですか?」

あれから二十年。何度『間抜け』になっただろう。
いや、今でも『間抜け』のままか。
でも、ふとした時に思い出される言葉が有り難い。
「あなたは人間ですか?それとも間抜けですか?」
山の淡雪を眺めながら
今日も『間抜け』なわたしは『人間』でありたいとおもう。

vol.3 宮本正顕(広報)

よい言葉、よい文章は心の栄養になります。松尾芭蕉の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」や、宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」などが、時代を超えておよそ全ての日本人に読まれ、その精神的土壌に影響を与えていることは、言い換えればそれらの言葉が日本国民のアイデンティティの一端を形成しているということになるでしょう。
 同様に、正信偈や御文、法話の言葉などは、真宗門徒の宗教心を育み、そのアイデンティティを形成しています。私の場合、それはお経が単なる呪文ではなく、物語性をもった記録であると知ったときの驚きや、本山の修練で受けた講話での「何のために生きるのかと悩んでいる人は、今の人生に不満があるということです。」という言葉であったりします。
 しかし、この頃感じているのは、真宗の話に限らず、小説やドラマ等の作品に触れても、若い時分ほど発見や感動を得られなくなっているということです。
 仮に、「地球上の水は太古の昔より循環しており、理論上、コップ一杯の水に紫式部の分子が1つ入っていることになります」という話を聞いたとき、物理を学んでいる人であれば、その計算式に感動するかもしれません。一方、生きることに悩んでいる人であれば、自分の命が太古の昔から流れる命の一部であることに目覚めるかもしれません。
発見や感動に至るには、問いが必要なのでしょう。裏返せば、発見や感動がないのは問いがないということになります。
寺に身を置くようになり、ご門徒との関わりの中で仏法を伝える機会が多くなった自分。正直、「分からない」とは言いにくいものです。それでも、色々と分かったことにせず、問いをいただいたら一緒に考えてみる、その中で新たな発見や感動に一遇できる自分でいられたらと思います。

vol.4 阿部智(広報)

「拝み屋さん」
初めて耳にした時は何とも思わなかった言葉でも、時を経るとその心象も変わる。
「仏事・法事は亡くなった人の為にするものではありません。人の為と書いて偽りと読みます。仏事を偽りにしないで下さい」
十数年前に真宗の「し」の字も分からず、まさに「拝み屋さん」に身を置こうとする中、私の歩みの礎となったこの一言を、折に触れ思い出す。
それから月日が経ち、法務が日々の生活として馴染んできた頃に、ふと私の口からこぼれた一言。
「誰もいないお内仏の前で一人お勤めして何になるのだろうか」
主が留守にする仏間で一人、勤行することが毎月の勤めとなっていた。
私なりの「拝み屋さん」への抵抗のつもりだった。
その意図を汲んでくれた先達の言葉。
「本当に誰もいないのか」
「お前がいるじゃないか」と。
折に触れて、先達から私の「立ち位置」という事を問われることがある。
「仏事は人の為にあらず」と人には伝えながら、法を聞くことを怠る我が身を知らされる。
「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と宗祖はいただかれ、喜ばれた。
如来からは僧侶も門徒の垣根は無く、そこにはただ「一人(いちにん)」。
この私一人が聞法に遇うことを如来は絶えず願って下さっている。
今日も勤行を終えたご門徒のお内仏の前で、線香が燃え尽きるのを一人ただ静かに待つ。

vol.5 池浦良敬(同朋教化部門)

娘が生まれて、どんな名前をつけたものかと悩んでいた頃、観無量寿経の定善十三観に度々出てくる「一一の」という言葉に引っかかっていました。一一の光明、一一の宝珠、一一の華葉…繰り返し一一の、という言葉が引かれていますが、これは「それぞれの」という意味と同時に、「それぞれが・一人一人が」という自立・自覚が促されている言葉だと教えて頂きました。「無上尊となるべし」と釈尊が目覚められたように、他の人や他の事と比べる必要がない、私と生まれてよかったという人生を歩んでほしいと願いを込めて、「一一のいろ」という名前を送りました。
 一遇ということを、私は「本当の自分(一・真実)との出遇い」と読みたいと思います。自分自身の眼が、他人の顔色や評価を窺い、また他者を色眼鏡で窺うという風に、比べあうことしか見ていないということは、教えられ指摘されないと気付けないことです。比べあうこと自体がやめられなくても、その有様を心底痛ましいことだと気付かせ、「それぞれのままに尊い」という世界を教えて下さるのが、法を聞くということではないかと思います。
 私たちはそれぞれに願いの込められた名前を頂いていますが、長い年月、親から子、子から孫へと願いを伝承してくる中で、人間の本当の願いを忘れて生きているのかもしれません。それは、どのような私であったとしても、私と生まれてよかったと頷いて生きていきたいということではないかと思うのです。

vol.6 圓谷淳(青少年教化部門)

私は「聞法」が苦手だ。
この文章を書くに当たって「聞法一遇」について改めて考え、思いを巡らせてみた。私はこれまで聞法の場において様々な教言と出遇わせて頂いてきたはずなのだ。自坊や組、教区など様々な場においてそのお言葉と出遇えた事に有難さを感じて何度も頷き、感謝してきたはずなのだ。
だが思いを巡らす中でまず想起することは教言一つ一つではなく、私自身に潜む「聞法」への苦手意識だった。言い換えるならば聞法の場に身を据える事への苦手意識。それが冒頭の一言である。
何がどう苦手なのか。その原因は自分でも判然としない。あえて文字にするならばご法話をしてくださる方々から放たれるお言葉が私に突き刺さる様な感覚があるからだ。お話に自分を重ね「自分もそんなことを思ったり、言ったりしているな」という客観的な事実を突きつけられる事が怖いのかもしれない。これこそが「自分自身との出遇い」というと聞こえはいいがそれほど前向きに捉える事が現状の私には難しい。また、前向きに捉えるということが聞法ということではないだろう。
ただ聞法の場に身を据えてわかったことがある。それは自分自身の人間性だ。高校や大学で真宗を学び、色々な事がわかった気になっていた私に「本当は何もわかっていないんだ」という現実を教えてくれたのが様々な聞法の場だ。今回の思索を通して、今後も一つ一つの聞法の場との出遇いを「自分自身のこととして大切にしなければ」という思いを強くした。

vol.7 相河朋昭(社会教化部門)

たとい大千世界に
 みてらん火をもすぎゆきて
 仏の御名をきくひとは
 ながく不退にかなうなり
(『浄土和讃』)
 この年末になると「一年というのはアッという間だ。」という会話を毎年のように話しているように思う。違う言い方をすれば「この一年、私は何をしてきたのだろうか?」という自己への問いかけではないかと思う。朝から目まぐるしく起こってくる出来事に追われ気づけばもう年末である。『浄土和讃』に「たとえ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて」とあるように時間を割いて聞法する場に身を据えるということは、世界に満つる火をこえていく心がなければできないとうことであろう。
 報恩講を中心に寺院では、春秋永代経法要、御正忌、教区定例法座などの仏事を勤めているが、寺院の取り巻く環境が急速に変化する中で、「今まで通り」や「例年の如く」ということがまかり通ることがない。ましてやコロナの時代になり益々変化を求められるようになってきた。教区定例法座の巡回中に寺院のご住職さまや坊守さんとお話をさせていただく機会があるが、最後は「どうしたらいいのだろうね。」と話が終わる。自分の中から変化に対応した答えは出てこないし、考えれば考えるほど負のスパイラルに陥っているように感じる。
 ある時、とあるご住職さまから、「如来の摂取不捨(えらばず、きらわず、見捨てず)を学び 真実、自分自身のしたいこと、しなければならないこと、できることを、他人とくらべず、あせらず、あきらめず、していこう」という竹中智秀先生の言葉を紹介していただいた。様々な社会の変化に「どうしたらいいのだろうね。」というけれども、それは自分がどうなりたいのかが見えていないからである。自分がわからないからこそ如来の教えを聞かなければならいことがはっきりしていく、私にとっての聞法一遇は「仏の御名をきく人は ながく不退にかなうなり」、仏の御名を聞き、半歩でも一歩でも仏道を歩ませていただくことであろう。

vol.8 宮本尊文(社会問題研究部会)

今日札幌は記録的な大雪だった。早朝から雪かきをしながら「生きるって大変だ!」という思いの中、あらゆることに翻弄される自分を感じつつ、あらためて彼を偲んだ。

2021年2月滋賀県で大学時代の友人が亡くなった。死因は「自殺」。

私や他の友人に訃報が届いたのは4月になってからだった。それに至る経緯は不明であるが、コロナの影響が無かったとは言い難い。その日、数名の共通の友人と電話で話をした。私が亡くなった彼と最後に会ったのは6年前である。部活のOB会の時だった。
大学を卒業して、仕事に就き、結婚して所帯を持ちそれぞれ全く違う環境で生活をしていた。関西近郊に住み、たまに彼と会っていた友人たちは近況もある程度把握し、訃報にも悲しみを感じていた。しかし、何年も彼に会えていない遠くに住んでいる私たちの反応は若干違う様に感じた。もちろん驚きはあったが、冷静だった。中には「あいつは絶対にしてはいけない事をした」と怒りにも似た感情を持つ友人もいた。

複雑だった。

北海道でも10月より緊急事態宣言が解除され、規制緩和処置のもと様々な行事が対面で行われている。人と直接会って話をする。その必要性を改めて考えさせられた。そんな中、亡くなった友人のことが頭に浮かんだ。「会えていない」「お葬式にお参りしていない」「遺影を見ていない」「他の友人たちと直接あって偲べていない」…

「会えない」ことで彼の「死」を「死」と見ることの出来ない、「いのち」を「いのち」と見ることの出来ない私の問題が露呈された。

vol.09 鳥毛浄生(研修部会)

コロナ下になってから二度目の報恩講をどのようにお迎えするか、ご門徒さんたちと相談をして、感染対策をおこない、規模縮小、時間短縮の日程でお勤めすることになりました。報恩講をお迎えするために、ご門徒さんたちと境内清掃をしていた時の会話です。

私:コロナウイルスのせいで、いつものように報恩講が勤められなくて困りましたね。
ご門徒:そうだね。でも、やることはいつもと同じだよね。
私:・・・。

私としては、どう考えても例年通りとはいかない中、いつもと同じではないという思いのまま報恩講をお迎えしました。
しかし、結願逮夜に拝読された『御俗姓』の「毎年の例時として、一七か日のあいだ、形のごとく報恩謝徳のために、無二の勤行をいたすところなり」という蓮如上人の言辞に、毎年日時を定めて、報恩謝徳のために二つとないお勤めをしてきたのが報恩講の歴史であると知らされました。また「ただ、人目・仁義ばかりに、名聞のこころをもって報謝と号せば」と続き、さらには「水に入りて垢おちずといえるたぐいなるべきか」との言辞に、背筋が伸びる思いをしました。
以前、「報恩講というのは教えとの出会いの意味と、日ごろの生き方を毎年確かめる」最も大切な御仏事であると教えていただきました。まさに、その意味でご門徒さんの「やることはいつもと同じだよね」という言葉が、報恩講がお勤まりになり、今になって胸に響いてまいります。

vol.10 佐々木香織(企画部会)

私は現在、母校である札幌大谷中学・高等学校に宗教科担当教員として勤めています。
中学校へ進学する際に地元の公立中学校ではなく、札幌大谷高等学校附属中学校(当時)に入学し、6年間お世話になりました。そして、多くの先生や仲間と関わる中でできた夢を成し遂げるために、自分の進路を大谷大学に決めました。
大学卒業を目前にしたころ、ゼミでお世話になった先生から「いつか君の夢を実現してほしい」という言葉をかけていただきました。以前に私が母校で働きたい、そして、それを目標に大谷大学に進学したのを先生にお伝えしたことがあり、その言葉を忘れずに気にかけていただいたのだと思います。
卒業後、私はその夢を実現し、母校に勤めることができました。勤めて数年が経ち、慌ただしく過ごしている日々の中で、ふとした時にその言葉が再び目に入ってきました。改めて読み返すと、その言葉の「夢」とは単に「教師」という仕事を指しているのではなく、「なりたいと感じた気持ちを忘れていませんか」「今のあなたはどこに向かっていますか」と問われているのだと初めて気づきました。
今もその言葉は自分の目に届くところに飾っています。日々の業務に追われて大切な事を忘れてしまいがちな私にいつも問いかけてくれています。一人ひとりを大切に、これからも生徒と共に多くのことを学んでいきたいと思います。

vol.11 秦智秀(青年研修部会)

昨年、五十年以上お寺で聞法され続けてきた御門徒が御命終をなされた。物心ついた頃の記憶にも残るその方は、私にとって祖母にも近い存在であった。思えば、寺を継ぐということを嫌がっていたにもかかわらず、自坊に帰ってきてから八年が経とうとしている。ふと、私をここまで歩ませしめたものは何だったのかと思う。

「聞法とは、積み重ねるものではなく繰り返すものである」
ある先生の言葉である。この言葉に、その御門徒の方のお姿を思い出す。五十年以上の年月を、その方は繰り返し聞法され続けてきたのだろう。そのお姿を思い返すと、教えを知識として積み重ねるのではなく、教えの中で聞こえてきた問いを大切にしながら、繰り返しその問いを問い尋ねているお姿だったように感じられる。きっと私は、その聞法を繰り返す御門徒のお姿に背中を押されながら歩んできたのだと思う。その意味では、そのお姿に出会わなければ、寺を継ぐということを嫌がっていたままだったのかもしれない。教えの言葉から大切なことを教えてもらうということがあるが、きっとその教えの言葉だけでは歩むことができない私なのだと思う。

「聞法一遇」という言葉を思う時、私にとって聞法の場所は、教えの言葉に出遇う場所であるということと同時に、聞法をする御門徒のお姿に出遇わせていただく場所であった。その方が座り続けた一番左後ろの参詣席を見るたびに、そのお姿を思い出しながら、これからも背中を押していただいていくのだろう。

vol.12 小川大授(少年研修部会)

「聞法一遇」。このテーマに触れた時、私自身「聞法は大切だ」と言いながら、なぜ大切なのか、何を聞かねばならないのか、ということを確かめている
だろうかということがふと沸き起こってきた。宗祖は『教行信証』信巻において
「しかるに『経』に「聞」と言うは、衆生、仏願の生起・本末を聞きて疑心あることなし。これを「聞」と曰うなり。」(『真宗聖典』p.240)
と教説されている。我々は、本願を法蔵菩薩が立てなければならなかった所以(生起)と、その本願が成就された姿(本末)を聞くことを教えられるのである。
 北海道に帰ってきて12年になる。その間、たくさんの不可思議なる出遇いを賜り、その出遇いに促されてたくさんの聞法の場に出させていただいた。思い返せば、それらの場に伴う座談や攻究の時間には、色々な人から叱咤と激励の言葉をかけられたことである。その内容に共通することは「あなたは頭で教えを理解しようとしていませんか」という問いかけであったように思う。
「教区教化テーマについて」という文章の中で、寺澤本部長は「『聞法』は、『仏の教えを聴聞すること』です。それは、仏の智慧、つまり如来の目・耳・心によって、あらゆる事柄を、私が見・聞き・受けとめさせていただくことです」と仰られている。
「一遇」という言葉に願われるように、我々は出遇いによって聞法ということを促され「如来の目・耳・心」をいただくのである。先達の数々の言葉を顧みる時、どこまでも自らの人間心でその教えを掴もうとする無明煩悩の我が身を報らされることである。
教区教化に携わる御縁をいただいた今、改めて私の「聞」という姿勢が問われている。

Vol.13 澁谷真明(差別問題研究部会)

先日、地元の小学校の子どもたちがお寺に来てくれた。地域の気になる場所をいくつかピックアップし、グループに分かれてその場所を訪ねる、「町たんけん」授業だ。お寺の由緒や歴史から始まり、普段どんなことをしているのかといった質問を受けながら楽しいひと時を過ごした。
子どもたちからの色々な問いに答えているうちに、本山の修練で教わった金子大栄先生による住職の心得を思い起こした。それは、お寺に住まいする者にとって大切なことを順々に説くものである。
五か条あって順番に、一に早起き。二に掃除、三にお勤め、四に勉強、最後に法話だったと記憶する。
先師が教えるのは、聞法とは生活の一部の作業というようなものではなく、生活を基礎づけ、その人の生活全体の表現に直結する営みであるということだ。
冒頭に述べた「町たんけん」授業の後、小学生たちからお礼の手紙を受け取った。その一つには次のように書かれていた。

お寺を見せてくれてありがとうございます。お寺に鐘や畑があるなんてびっくりしました。これからもお寺の先生(阿弥陀さま)のため、そうじをがんばってください。ぼくもいつか手伝いにいきます。

授業の最後、小学生たちは、お寺の鐘を一人ずつ撞いた。そのどれもが、素直でまっすぐな響きで思わず合掌。ピカピカの子どもたちのおかげで、あらためて聞法の原点に還らせてもらいつつ、一期一会の出遇いを味わわせていただいている。

Vol.14 足利智文(靖国問題研究部会)

今回、教区教化テーマとして「聞法一遇」という言葉が提示されました。「聞く」ということを大学の卒業論文の主題としていた私にとって、本テーマは大変親しみを覚えると同時に、重要な問いかけを私に促してくる言葉だと受け止めています。

思えば真宗の教えに触れて以来、ずっと「聞」ということの大事さを教えていただいてきたように感じます。大学へ入学した年、自坊の報恩講に出講いただいた先生に「わかったつもりになって教えを聞いていないかい」と問われたことがありました。もう十五年以上前の出来事ですが、恥ずかしさで身の縮まる思いをしたことが鮮明に思い出されます。真宗学を聞き始めて幾許かが経ち、少しずつでもわかってきたと、大変な思い上がりをしていた私を窘めてくださった最初の問いかけでした。

また、学生生活の終わりに際し、ゼミの先生から、「法を聞きて能く忘れず、見て敬い得て大きに慶べば、すなわち我が善き親友なり。このゆえに当に意を発すべし」という『大経』の一節を贈っていただきました。私の論文テーマが「聞」だったからこの言葉を選んでくださったのかとも思いましたが、後にこの一節が先生にとって大切な意味を持っていたことを知りました。誰にとってもこの一言こそが聞法の道標になる、だからこそこの一言を大切にしてほしい。そのような重要性をこの法語から聞かせてもらっています。

「耳が二つに口一つ多くを聞いて少しを言うため」

Vol.15 畠平諭(ハンセン病問題班)

「あなたの学びは、如来・聖人から遠ざかっていく学びです」

 研修の場で、ある先生から言われた言葉です。唐突にそう言われた事に瞬間的に怒りを感じながらも、私の学びの本質を見抜いた言葉であるようにも思えました。
 私の過去を思い返してみると、中学生の頃からか、知識や経験で自分を立派な善人と仕立て上げ、一方で他者をどこかで見下しながら生きてきたように思うのです。時にはそういう自分が嫌になり、違った生き方をしたいと思うこともありました。
 縁あって僧侶となった現在も、いつの間にか仏語の知識と経験を握りしめて自分を立てる一方で、出来ない者を否定していく事を繰り返し、その為に聖人の言葉や念仏をも利用してきたのでした。その事実を指摘され、いつまで経っても同じ事を繰り返し、成長のない自分が許せず、悔しさと情けなさを感じたのでした。
 そんな私の姿勢が、きっと目に余ったのでしょう、数年後に同じ先生から言われた言葉です。

「退転しかない、そう言えるようになったら楽なんだけどな」

廊下での何気ない立ち話の中で、不意に飛び込んで来た言葉が私を捕らえて離しませんでした。自分の努力次第で何とかなるとでも思っていないか、と私の慢心を厳しく教えて下さっているように聞こえました。
 学問をして成長を続け、退転しない者に成らなくてはならないという心が、私を雁字搦めにしていたのでしょう。その事に気付かせ、そこからの解放を願って私に発せられた言葉であったように思います。まさに私にとっての「聞法一遇」の瞬間でありました。
 雪化粧をした御堂の屋根。百数十年の間、何を守り、何を荘ってきた屋根であったのでしょう。背を向ける私に「御同行」と呼びかける声が聞こえる。

Vol.16 秋山智(死刑制度問題班)

人と会うことのできる場所に身を置かせていただいている。

自分の人生の分岐点はどこにあったのか、そんなことを考えて過ごしていると言っていた青年がいた。

どれだけ悔いてもやってしまったことは消えない。人の命を奪うことは取り返しのつかないことである。しかし…真摯に反省する彼の様子を見て、また、彼の決して恵まれたとは言えない生い立ちを考えると、このまま彼を殺してしまって良いのか。私は疑問に思うようになった。

他方、先般、全く逆の、ご自身の大切な家族を殺された方のお話を聞く機会があった。人を殺すような者は特別な価値観を持っている。自分の家族を殺した者の更生を私は求めないとおっしゃっていた。あなたの家族が殺されたとしたらあなたはどう思うかと問いかけられた。

いつも私はわからなくなる。何を聞いて良いのかわからなくなる。何も言えずに、このことを口に出してしまってもよいのだろうか。それともこれは聞く人を傷つけてしまう言葉だろうか。考え込んで何も言えなくなる。

親鸞ならばなんと応えるだろうか。それとも黙って何も答えないだろうか。お釈迦様ならばどうだろうか。

私は祖師の言葉を模範解答のように出したくなる。しかし、宗教的な言説をもって先回りして解答を指し示すようなことはやめて欲しいと訴える人に出会っていたことを思い出した。

関われば関わるほど、知らずに過ごしておけばよかったと思うことが増えていく。けれども、聞くことができる場所に今、私は、いる…。

Vol.17 浅野世央(原発問題班)

私が30歳の時、一つの転機が訪れた。それは当時勤めていた寺院を辞め自坊に戻ることになったことだ。8年間お世話になった場所を離れる一抹の寂しさを感じていたそんな折、御門徒の男性から個人的に送別会をしたいとのお誘いを受けた。その方はストレートに物を言う方だったので、会食の時には新人の頃のダメ出しから、今後気を付けた方がいいと思うこと、そして少しは成長を感じたことを延々と語られた。その言葉は厳しくも新たな出発の餞として語ってくれる、このような関係性が持てたことが何よりもうれしく感じた。
2件目のお店ではその方が松山千春の「大空と大地の中で」を歌っていた。その選曲に意図があったかは分からないが歌詞の中にある「歩き出そう明日の日に 振り返るにはまだ若い ふきすさぶ北風に 飛ばされぬよう 飛ばぬよう」はその時の私の心に刺さるものがあったことを今でも思い出される。
 今回このコラムを考えるにあたり様々な過去の大事な出会いを思い返した一つであるが、今になって思うのは「状況が違っていたらどうだったのだろうか?」ということを考える。退職時ではなく普段の時のダメ出しならば私は餞として聞けただろうか?人の歌を聴きながら自分の心境に照らし合わしていただろうか?同じ言葉であっても発する人が違えば私は頷けただろうか?
 私にとってありがたく嬉しい出来事だったことに間違いはないが、あらためて深く考えると自分が問われ、今が問われる。

Vol.18 黒田覚祐(企画部会)

「かわいいよ」
この言葉に、打ちのめされた。今から十数年前、ある女性に言われた言葉である。
私は、その女性から「妊娠しているのだけど、生んだ方がいいかな?」という相談を受けていた。「生んであげられるのなら、生んであげな。」と何の気なしに言ったことを覚えている。
それから暫くして、電話で生まれたという知らせをくれた。そして、会話の最後に生まれた子が「脳性マヒ」だったことを教えてくれた。その時、私は「生んであげな。」といったことで大変な人生を歩むのではないか、自分の発言がその知人女性の人生を変えてしまったのではないかと感じ、悶々としていた。数年後、その女性に思い切って「子育てはどう?」と聞いてみた。私は心の中で「大変だよ、しんどいよ。」という言葉が返ってくると思い、身構えていた。しかし、第一声は「かわいいよ。」という上の言葉だった。その時の衝撃は今でもはっきりと覚えている。私の中にある差別心や思い込み、自分の保身という姿を突きつけられた瞬間であった。
今までさまざまな聞法の場で、話として聞くだけで自分に疑問を持たない、教えを教えとして聞かず、自分を守る矛と盾として利用している私の姿が浮かびあがった。あれから、何度、同じような聞き方をしてきたのだろう。
教えと私のあり方が一つ一つ出遇ってゆく。これを確かめながら歩んでゆきたい。

Vol.19 曽我隆信(研修部会)

先日、祖母が亡くなった。幼い頃遊びに行っては、庭で秘密基地を作って遊んだり、祖母と一緒に寝たりする事が楽しみで、よく泊まりに行っていたのだが、歳を重ねるにつれ、年に一回行くかどうかという位だんだん疎遠になっていった。
祖母が近くの施設に入ることになり、母は毎日のように会いに行っていたのだが、私は数えるくらいしか行かなかった。車椅子に乗ってつらそうにしている祖母の姿を見ることが、私は正直辛かったのである。

そんな祖母の通夜説教で御導師が、祖母は口癖でよく「ごめんなさい」と言っていたことにふれて、そのごめんなさいという言葉の裏には、ありがとうという意味も含まれていたのではないかと話された。そう言われてみると、いつも祖母が何もしていない私に対して「たかちゃん、ごめんね」と言い、そこで私は「なんもなんも」と返していた事を思い出し、同時にそのやり取りの背景など、様々なことを思い出したことである。

「ごめんね」が口癖だったことや、その言葉にありがとうという意味も含まれていたなんてことは少しも考えたことはなかったが、「ごめんなさい」の一言から忘れていた当時のことを沢山思い出し、祖母とまた出遇えたと感じたことである。

おばあちゃん、会いに行かないでごめんなさい。

Vol.20 山本了(青年研修部会)

「住職、ちょっとこれ見てくれないか」
お参りが終わってお茶を飲んでいた時、御門徒のKさんが古い木箱を大事そうに抱えてやってきた。中には神社からもらったお札が複数入っていたと思う。よく見てみるとどれも長寿という言葉が書かれていた。何故同じようなお札が何枚もあるのかと尋ねると、Kさんは末っ子で兄と姉がいたが皆若いうちに亡くなっていったという。そう話しながら嬉しそうな顔でこう言われた。

「もう確かめようもないことだけどさ、きっと亡くなった親父もお袋も願っていたんだろうな。この子だけはせめて長生きしてくれって。だとしたら、俺の人生は願われてきた人生だったんだな。それが78歳でようやく分かった」と。
その時、願われてきた人生という言葉は忘れられないものになった。

今年息子は10歳、娘は7歳になる。あっという間に2人とも大きくなった。彼らに願うことはただ自分らしくいきいきと生きて欲しいということだ。そんなふうに思われているなんて本人たちは分からないだろうな…と思ってばかりいたが、そんな私もまた願われてきたのだ。自分では気がつかなかっただけで、いつも家族や友達、先生方、御門徒さん…無数の誰かと何かに支えられながらずっと歩んできたに違いない。そう思うとなんだか胸が熱くなる。私は願いをかけられた身だということを念じながら今日も人と出会っていきたい。

Vol.21 阿知波大潤(少年研修部会)

 「聞法一遇」の「聞く」と「遇う」という語が気になり、その漢字ついて調べてみました。
まず、「聞く」という漢字を辞書でひくと、自然に聞こえてくる音や言葉を聞く、という意味があるそうです。それに対してもう一つ良く使われる「聴く」には、注意深く聞くという意味があるそうです。また、一遇の「遇う」という漢字ですが、このあうには偶然あう、たまたまあう、といった意味があるそうです。
 その上で、私自身の生活を顧みますと、法座や研修の場で聞かせていただいたお話をふと思いだし、自分の姿や立ち位置を考えさせられることがあります。注意深く丁寧に聞いた仏教の教えが生活の中で響いてくる。そして、そのことは決して必然ではなく「たまたま」出遇うことができた世界なのだと。このことを「聞法一遇」と呼ぶのではないかと思うのです。

 教区教化に携わるようになってから、よく「教化者意識」という言葉を耳にするようになりました。これは、自分が聞いてきた仏教の教えを他に押し付けるようなあり方を示しているのではないでしょうか。
 先日WEB開催された『青少年担当者研修会』の講義の中で「教化は如来に任せなさい」というお言葉がありました。私自身、悩んでいる人を見ると、僧侶として、仏教の教えを使い、救ってあげたいと思ってしまいます。
 しかし、自分が教えられた言葉を持って他者と向き合おうと思っても、寄り添いきれない私の姿が照らし出されるのです。
教化に携わる一人として、教化者としてではなく、一聞法者として歩みを進めて行きたいです。

Vol.22 岩城昌(ハンセン病問題班)

 私の聞法の歩みのきっかけとなったのは中村量空氏の著作『複雑系の意匠 自然は単純さを好むか』です。中村氏は物理学者であると同時に、印度学仏教学会の理事をされた方です。
 この書籍で私は、人知の及ばないものは無いと思っていた「人知」によって、「人知の及ばないものがある」と証明されたのが20世紀の数学や物理であった、と知りました。
 そして、この書籍の後半部分では華厳経に知見を求めており、そのことは「物理学の最先端にいる人が仏教を称讃している」と私は強く感じました。
この本に出遇うまでは、仏法とは、私にとって非科学的なものでした。しかしながら、そうではないのだという思いが起きたのです。
 さて、話は変わりますが、私が親鸞さんの教えに知的好奇心ではなく、心を寄せるようになったきっかけは、教学研究所退所式の日の出来事です。
まもなく閉校式がはじまるという時、教室に1人残っていた亀谷所長に、最終講義の時に気づいたことを質問したところ、教室の法輪(十字名号)を示しながら
「それが如来のはたらきです」
と示して下さったことは、重力を発見したニュートンのように、如来のはたらきという言葉が示す内容を知った気持ちになったことです。
 それからは、聖典を開くときには、「何を伝えようとしているのか」ではなく「これを伝えようとしているのか」という読み方になり、だからこそ「知的好奇心」ではなく「心」を寄せられているのかと思います。

Vol.23 金谷智晃(原発問題班)

 大学を卒業後、帯広別院に奉職して間もない頃の私は、何も分からないのに知ったようなふりをして周りの言うことを素直に聞かず、言い訳ばかりを繰り返していた。そんな私を見かねた先輩から一枚の紙を渡された。その紙には「人間を尊重するということは、相手の話を最後まで静かに聞くことである。」(安田理深)と書かれていた。今回「聞法一遇」のテーマを聞いたとき、ふとこの出来事が私の中で思い返された。
 人間を尊重するとは一体どういうことなのか。自己肯定の強い当時の私にとっては理解できない言葉であったが、学びの中で教行信証の一文である『「慙」は内に自ら羞恥す、「愧」は発露して人に向かう。「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧」と名づく。「無慙愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。慙愧あるがゆえに、すなわちよく父母・師長を恭敬す。』(真宗聖典p257~p258)との言葉に出あった。
 「自らを恥じ、頭が下がるところに人間同士の関係が築かれていく」というこの言葉は、他に認められたいために自分を大きく見せようと躍起になったり、人の話をしっかりと聞かず、相手を否定することで自身を正当化する在り方は、自己を顧みることなく関係を断絶し、独りよがりな生き方になるのだと教えられた。
 今では聞くことの大切さを教えられつつも、聞くことの難しさをより一層感じさせられる毎日を送らせてもらっている。

Vol.24 新保友絵(企画部会)

法話はいつも耳を塞ぎたくなる。なぜなら、取り繕っている自分を見抜かれ「あなたのことを言っているんだよ」と言われているようで、だんだんと顔を上げられなくなるのだ。けれど、私はそんな時間がなぜか心地良い。普段の生活の中で、このとんでもない私の本質が指摘される場はない。いい人に思われたい、NOと言わない、争いはしたくないなどと取り繕っているのだ。
聞法の聞というは、言葉につかまれる・身が頷くと教えていただいたことがある。法話を聞き、言葉につかまれ、いつまでも身に残る感覚が私にはあっただろうか…。思い出せないということは、おそらく、聞いているつもりで聞いているからだ。ひとたび日常の場に戻ると「わかっちゃいるけどやめられない」と、こんな感じである。教えからどんどんかけ離れ、自分自身に目を背けていく生き方をしているようで苦しい。
学生の頃、大人になったら働いたお給料で自由に楽しく暮らせるものだと思っていた。いざ大人になると、嬉しいことはほんの少しで苦しいことの連続であった。だからこそ聞くということが大切なのだろうか。いや、苦しいからこそ聞こえるのかもしれない。この苦しさが決して無駄にはならないと断言はできない。けれど、苦しいからこそ、聞こえるもの見えてくるものもある。これからも、聞法に教えられ、自己に目覚めさせていただく、出遇い続けさせていただけるチャンスを見逃さないようにしたい。