2018.10.02
9/29・9/30の両日、足湯&喫茶のお手伝いをしてきました。
私の関わりとして、29日については片付け・準備・物品管理を。30日は29日の内容に加えて、実際に滞在者の方と足湯を通して交流させていただきました。RSY(レスキューストックヤード)・とちぎボランティアネットワーク・札幌市立大学の方々と協働し、30日は足利智文(安平町追分・法養寺若院)さんにもお手伝いいただきました!
新規・リピーターどちらもおられ、年代も小学生から80代まで幅広く、滞在者から交流の場(いい意味で気晴らし)として活用されている印象を受けます。また個人的には滞在者以外にも、ボラセン関係者(運営に携わる町職員・社協・各種団体の方々など)や北海道派遣の職員さん、全国各地のお巡りさんやボランティアさんとの交流も楽しかったりします^ ^足湯と同時に喫茶コーナーの抹茶(お薄)も好評です。
今後も継続して足湯交流は続けていきたいと思っていますが「難しそう」とか「大変そう」という声も聞こえます。
その気持ち、分かります^^;
湯加減を好みに合わせて調整し、そのお湯を張ったタライに、初対面の人に素足を入れていただき、さらには手をニギニギしながら、見つめあってお話しを伺うなんて、あがり症で人見知りで口下手な私にはハードルが高すぎでした。しかしながら、緊張しながらも実際にさせていただくと、特別な能力や知識は必要ない事が分かります。
「誰のために」(被災者の方々のために)
「何のために」(ホッと出来るひと時を感じてもらうために)
「いま私に出来る事はなにか」(目の前の人と向き合う)
以上の事を踏まえると(あくまで主観ですが)「(足湯を)する」が「(一緒に)いる」に変化していく気がしました。足湯の後のお茶のみ話しも同様です。帰るときに「またね!」と声をかけ合える関係になるのも、この流れの帰結のような気がします。専門家じゃないから感想でしかないですが^^;
触れたり話したりは、お互いに得手不得手があると思うので、足湯で触れ合う事に限らず、お話のお相手だけでも、準備や片付けだけでも、お茶のお点前だけでも、色々な関わり方があるのも足湯交流のいいところかも知れません。また、その際に聞こえてくる「つぶやき」は、その方の心の声の発露だったりします。耳を傾けて下さい。「現在(いま)」が聞こえます。
こんな流れで、こんな事をしています!という資料も添付します。ご一読いただき、興味を持っていただけると嬉しいです。「やりたい!」「参加したい!」「手伝って!」など、ご意見ご要望があればコメントやメッセージをいただければと思います?
※支援活動は押し付けにならないよう配慮が必要です。支援品の扱いなんかも同様ですが、ニーズの確認もせず、連絡も無く、思い付きで自分勝手にドヤドヤ押しかけるような行為は、単なる迷惑行為です。現地の窓口(支援者・協力者)も被災者の場合が多々あります。余計な負担をかけないよう、お互いに気遣いながら活動いただければと思います。