- 日時6月22日(金)18時~20時
- 講師新保 宗之 氏(第9組不退寺住職)
- 講題「人間に生まるる事」
昨年(2017年)は、真宗七高僧の第六祖・日本浄土教の祖といわれる恵心僧都(源信)没後一千年に当たりました。その源信は、横川法語(念仏法語)の冒頭、「それ、一切衆生、三悪道をのがれて、人間に生まるる事、大なるよろこびなり」と言っていますが、一体どういうことなのでしょうか。 一般常識からすれば、オギャーと生まれた時から、すでに人間として、人間と成って生まれてきたのではないでしょうか。しかし、源信は、人間に生まれた事(過去形)とも、人間に生まれん事(未来形)とも言わず、人間に生まるること(現在進行形)=人間に成りつつはあるが、成りきれてはいないのではないかと、問うて下さっているように思えるのです。 故林竹二先生(教育者・宮城教育大学第二代学長)の著作「授業・人間について」からの問い掛けや、インド・ベンガルでの野生児アマラとカマラのことが思い合わされてきます。 さらに、キリスト教と仏教の人間観の違い、三悪道とは等、限られた時間ではありますがみなさまと共に聴聞してまいりたいと思います。