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公開講座

  • 6月の公開講座【終了】

    • 日時2016年6月30日(木) 18時~20時
    • 講師伊藤 元 氏(日豊教区京都組德蓮寺)
    • 講題故問(ことさらに問う)

    私達には教えてもらわなくても知っていることはあります。しかし、自分の力ではどうしても気づけないことがあります。なかでも日常の関心のもう一つ奥にある願いは私たちの考えではとてもとどきません。呼び覚まされることがなければ、その願いは無きに等しいものになります。もしただ生きるというくらしだけならば、どのような人生が展開されるのでしょうか。

    [ 2016.06.07 ] 

  • 5月の公開講座【終了】

    • 日時2016年5月16日(月) 18時~20時
    • 講師結城 幸司 氏(アイヌアートプロジェクト代表)
    • 講題大いなる世界をともに行く

    生かされているを生きる。
    生きるに生かされている。
    イレスカムイ(私たちを育てる神)。
    私たちを育てるものへの心のあり方を
    学び合いたいと思います。

    [ 2016.05.06 ] 

  • 4月の公開講座【終了】

    • 日時2016年4月14日(木) 18時~20時
    • 講師寺澤 三郎 氏(第13組敎證寺住職)
    • 講題浄土の慈悲

    「解決しようのない様々な人生の出来事に、わからないことだらけの人生に、“うなづく”という不思議なことが私におこる・・・」これが南無阿弥陀仏のおはたらきなのではないだろうかと考えさせていただいています。これは一つの出来事を前向きに、あるいは、後向きに受けとめていくというような単純なことではありません。喜び、哀しみ、苦しみなど、その一つ一つの出来事が道となって、今の私の姿を教えられ、私全体を包んでくださるはたらきにであうという意味です。
    「論理は頭脳から生まれるが、真理は頭脳を包む」という岩本泰波さんの言葉があります。頭脳をたよりに人生を歩んでいく私、思いもよらないことだらけの人生、そんな中にあって私とその人生をまるごと包んでくださるおはたらきを「歎異抄」においては、「浄土の慈悲」と教えてくださっています。

    [ 2016.03.13 ] 

  • 3月の公開講座【終了】

    • 日時2016年3月8日(火) 18時~20時
    • 講師講 師 知花 一昌 氏(東本願寺沖縄別院)

    沖縄のこころといえば、「命どぅ宝」(ぬちどぅたから)です。一つしかない命を大切にすることは人類普遍の願いであり、法蔵菩薩の願心そのものです。(中略)「命どぅ宝」が沖縄のこころとして自他ともに認知されているのは、地上戦という耐えがたい特殊体験・多大な犠牲を通して得た教訓だからです。(中略)沖縄の戦後はこのようにして生き延びてきた人々の精神的葛藤、後悔、慙愧、血と汗と涙によって復興されてきたのです。このような人々を親鸞聖人は「いし、かわら、つぶてのごとくなるわれらなり」、「悪人」と愛おしさをこめて表現したものだと思います。(『名古屋御坊』より)

    講師紹介 
    知花 一昌(ちばな いっしょう)。本名、知花昌一。1948年、沖縄県生まれ。1983年より下鴨哲郎氏の下でチビチリガマ「集団強制死」調査。1987年、沖縄国体で日の丸旗を焼却、1995年に懲役1年執行猶予3年の有罪判決を受ける。1998年より2010年まで読谷村議会議員を勤める。2012年、大谷専修学院修了、真宗大谷派僧侶となる。法名一昌。2014年、聞法道場「何我寺」を開寺。東本願寺沖縄別院衆徒。読谷村平和実行委員。

    [ 2016.03.08 ] 

  • 2月の公開講座【終了】

    • 日時2016年2月17日(水) 18時~20時
    • 講師照山大智氏(北第3組證真寺)
    • 講題「父母孝養」から真宗の仏事を考える

    『歎異抄』第五条には「親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず」と記されている。身近な者を亡くした遺族にとっては、非常に厳しく戸惑う言葉である。
     葬儀に始まり中陰・月忌・年忌という形式をとって仏事は勤められていくが、遺族の心情としては、亡き人に対しての追善供養という気持が仏事を勤めていくもとになっているように思われる。
    しかし一方では、真宗の教えは聴聞に尽きると先人たちは言い伝えてきた。仏事において、故人を供養したいという気持ちと、自身が仏法を聴聞するということはどのような関係になるのか。
     本講座では、浄土真宗の教えが、なぜ「聞く仏教」として開かれたのかを確かめ、その上で追善の仏事から報恩(念仏相続)の仏事への展開を考えたい。

    [ 2016.02.02 ] 

  • 1月の公開講座【終了】

    • 日時2016年1月26日(火) 18時~20時
    • 講師波佐谷見正氏(第20組正念寺住職)
    • 講題終わりなき歩みに身をゆだねて

    「婆ちゃん、孫なんぼになった?」
     「3歳だ」
     「孫って、そんなにめんこいか?」
     「そりゃ、めんこいさ」
     「こんな厄介な婆だけど、婆、婆と呼んでくれる孫はめんこいもんだ。お寺さんも孫うまれたらわかるさ」
      自身の「非」を何気なく話してくれたご門徒のお婆ちゃんに「やさしさ」と「たくましさ」を感じたことが、今でも想い出されます。

     「如来弘誓の因縁に目覚め、僧伽を生きる」
     迷いの存在(いのち)が無量寿の名のりを聞きつづけ、往生人として成仏の道を歩む、そんなやさしい生活者に私もなりたい!?
          「あなた」と「共に」

    [ 2015.12.30 ] 

  • 12月の公開講座(東本願寺会館報恩講) 【終了】

    • 日時2015年12月22日(火) 14時~16時30分
    • 講師松岡満雄氏(第12組廣圓寺住職)
    • 講題病の身を引き受けて生きる

    「 ひとのいのちは、いずるいき、いるいきをまたずしておわることなれば」(歎異抄16章)。確かにそうなのだが、平生は考えもしない。それが5年前に大腸癌を告知され、既に肝臓に転移、手術を4回も重ねながら、現在不思議といのちながらえている。突然の告知に自分の人生これで良いのか、と自問自答・悪戦苦闘の日々を過ごす。「回心ということただひとたび」(同)ともあるが、ころころ転がるおのれの心。そんなとき先人の言葉が思い起こされる。「還るところはみなひとつ」(鈴木章子)。その言葉を述べた人、聞いた人、伝えた人、その言葉を生きて人生を納得して引き受けていった人々との出会い、法縁が尊く有り難い。耳の底に留まっている言葉を皆さんと一緒に改めて味わい出会い直していきたい。

    [ 2015.12.03 ] 

  • 11月の公開講座 【終了】

    • 日時2015年11月17日(火) 18時~20時
    • 講師尾角 光美 氏
    • 講題悲しみは 人をつなぐ 力

    尾角光美(おかくてるみ)
    一般社団法人リヴオン代表。
    自殺予防や遺族のケアに関して、全国の自治体・学校・寺院等の依頼を受け、講演・ワークショップを行っている。近著に『なくしたものとつながる生き方』(サンマーク出版)。

    「人は誰か特別なすばらしい人によって救われるのではなく、自分と他者の間に生まれる関係や、つながりによって救われるのだと思います」(尾角光美)

    「グリーフケア」という言葉をご存じですか?「グリーフ」は「大切な人・ものを失うことによって生じる感情や反応」で、「ケア」は「世話・配慮」のことです。
    尾角光美さんは、19歳の時に自死で母親を亡くして以来、自殺予防や遺族のケアに関する講演やワークショップを行っておられます。僧侶やお寺との関わりも深く、宗派を越えた活動を積極的になさっています。
     
    ※同日午後2~5時まで、北海道教務所にて「葬儀」「弔い」をテーマにした対話型ワークショップを尾角さんにしていただきます(主催:教化本部・じゃがネット)。こちらは事前申し込みが必要です(参加費:無料)ので、ご希望の方は北海道教務所(℡011-511-5211担当:谷本)までご連絡ください。

    [ 2015.10.26 ] 

  • 10月の公開講座【終了】

    • 日時2015年10月19日(月) 18時~20時
    • 講師髙瀬一法氏(第4組無礙光寺住職)
    • 講題無碍の一道

    先般、親族の葬儀をお勤めいたしました。癌でしたので緩和病棟で亡くなりました。真宗には「平生をいわず、臨終をいわず。ただ信心をうるとき、往生すなわちさだまるとなり」『浄土真要鈔本』と教えられておりますが、「なんとなく生きている」自分は、親族の死に向かい合いやっと生死の問題を思い起こさせていただいたことであります。
    臨終の病室でまさに、「死に立ち向かえないような思索はすべて無用の長物」(『宗教は人を救えるのか 釋撤宗』)ということが実感されました。
    しかし、ここで「臨終の病室でひとり居る時に間に合うものを持っていなければ」「いや、生きている今、死んでいける自分にならなければ」と死に対抗するために武装しようとやっきになっている自分に気がつきます。自分の中から死に対抗できる何かが絞り出せるはずだ、そのためにはどうしたらいいのだろう?と思いは、他力の信と逆方向に暴走していきます。そういった散乱する思いの揺れを仏法にたずね、皆様の参考になればと思います。

    [ 2015.10.09 ] 

  • 9月の公開講座【終了】

    • 日時2015年9月17日(木) 18時~20時
    • 講師小町 保雅 氏(根室別院輪番)
    • 講題念仏もうしそうらえども

    「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと」(聖典629頁)、20才の時はじめて聞いた言葉でしたが、正直なところ何も感ずるところもなく素通りしていた言葉でした。親鸞聖人のお言葉を誰よりも大切に聞きひらき、行住坐臥その言葉をいただいていた聖人の弟子唯円が師へ問いかけた言葉です。
     いつの頃からでしょうか、この言葉が私を素通りせずふれるたびに言葉の方から問われるようになったのは。
     親鸞聖人ご入滅後、先師の口伝の真信に異なることを歎き、不審を散ぜんがため著わされ、「同心の者よ」と、道を歩もうとする者への呼びかけであろうと思います。その呼びかけの中の一言にポンポンと、「ちょっと待て、今のお前は?」と肩を叩かれたような、お前はお念仏と生活の乖離に痛みを感じないのかと、先の文言が聞こえてくるのです。

    [ 2015.09.10 ]