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公開講座

  • 2月の公開講座【終了】

    • 日時2月14日(木) 18時~20時
    • 講師波佐谷 見正 氏(厚岸町 正念寺住職)
    • 講題遇法の縁-無量寿の名のりを聞きつづける人に成る

    「『龍は、私達一人一人の中にいます。龍は、自分の体験を食べて大きくなっていきます』 小さな人へのブータン国王のメッセージ こころに沁みました。祖父江美智子。あれからもう10年」この一枚の年賀状からはじまった2012年。

    私達は「ひと」「ことば」「出来事」に触れる事で変わる。それは、私達が持ち合わせている常識が一度ひっくり返る、転ずるという事である。私達は、一度その事を通さなければ決して目覚めない存在である。
    宗祖聖人と深い縁をもち、聖人のお言葉、お心を身にいただきながら歩んでこられた念仏の行人(真宗門徒)の方々を憶念する時、あらためて「自身は現に」(あなたは、今)という事が問われてくる。
    悲しく、きびしい現実の只中で「一切から見離される自分であるかもしれない。けれども一切を包んで悔いなし、人生に無駄なし」といただいていける。その様な世界に目覚め、あなたと「共に」と願いながら歩む生活者と私がなれるのか?!

     終りなき歩みに身をゆだねて

     あれからもう11年   よき人祖父江文宏さんを偲びつつ

       

    [ 2013.02.01 ] 

  • 1月の公開講座【終了】

    • 日時1月23日(水) 18時~20時
    • 講師藤本 愛吉 氏(三重教区正寶寺住職)
    • 講題「本願の心を教えてもらい」

    「悪をもおそるべからず。弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと、云々」
                        (『歎異抄』第一章)

    息子が10歳の時に、
    「お父さんはなんでお坊さんになったの?仏さんの教えってどんな教えなの?」
    と聞いてきたので、龍樹菩薩の「仏とは自利利他円満の人」(共利の人)という教えの言葉を思い出して、
    「うん。仏さんの教えは「自分を大事に、友達を大事に」ということだよ。
    その仏さんの願いを大事にしていきたいと思ってお坊さんになったんだよ。」
    とこたえたら、
    「ふうん。いいなあ。ぼくもお坊さんになるわ。」
    と言って、自分で決断して、お坊さんになっていきました。

     仏様の願いを大切にして生きる中で初めて、そのように生きられない自分に出会います。人間(自分)は怖畏(おそれ)をもって生きている者だということが自覚的になってきます。そのおそれを受けとめ、こえて生きる言葉として、「悪をもおそるべからず。弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに。」という教えの言葉を学びあえたらと願っています。   

    [ 2013.01.10 ] 

  • 12月の公開講座【終了】

    • 日時12月18日(火) 13時~15時30分
    • 講師藤田 彰美 氏(帯広別院輪番)
    • 講題「往生安楽国 - 往生極楽の道を問う」

    衆生の根本の願いは、「願往生心」とされております。人間は言うに及ばず、生きとし生けるものの真の願いは、安楽国に往生する、願生することであると教えられるのです。
     人間の願いは人間の苦悩を介して明らかにされるのです。釈尊は一切皆苦に目覚め、苦を凝視されました。苦を徹底的に見つめて、その底に自己の真の願いを見いだされたのです。苦を解消するのではなく、苦を見つめて、苦を光として受けとめたと。
     「安楽国」として示される事柄の具体性は、現代の私たちにとって曖昧なものとなっております。それを敢えて表現すると、「人間がそこから出かけ、帰ることのできる場所、そこで安らぐことができ、自己に立ち返るところ」と言えます。それは、そのまま現代の我々が見失っている居場所であり、それ故に願往生心を発起することとなるのです。
     今、ここに、われらは逃げ出さずに、住み続けることができるのかという問いが、突きつけられていると思います。住職の仕事(つとめ)は寺に住み続けることかとふと思います。 

    [ 2012.12.03 ] 

  • 11月の公開講座【終了】

    • 日時11月7日(水) 18時~20時
    • 講師清谷 真澄 氏(現地復興支援センター主任)
    • 講題「真のよりどころ」

    それおもんみれば、人間はただ電光朝露の、ゆめまぼろしのあいだのたのしみぞかし。たといまた栄花栄耀にふけりて、おもうさまのことなりというとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。もしただいまも、無常のかぜきたりてさそいなば、いかなる病苦にあいてかむなしくなりなんや。まことに、死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も、財宝も、わが身にはひとつもあいそうことあるべからず。
    (蓮如上人 『御文』一帖目第十一通)

    2011年3月11日、東日本大震災は私たちに生死無常の身の事実をまざまざと見せつけました。私たちは、いま、「真によりどころとすべきものは何か」ということが問われているのだと感じています。この『御文』で蓮如上人は「たのむべきは弥陀如来なり」と教えてくださっています。そして親鸞聖人は「火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(『歎異抄』後序)とおっしゃいました。そのおことばに共にたずねたいと思います。

    [ 2012.10.15 ] 

  • 10月の公開講座【終了】

    • 日時10月2日(火)
    • 講師赤松 雅 氏(旭川市 願船寺住職)
    • 講題「往生」

    「あなたが、この先の残りの人生をたった一人きり無人島で生きていかなくてはならなくなったとして、本を一冊だけ持って行けるとしたら何を持っていきますか?」という質問に対して多くの方が「歎異抄をもっていきたい。」とお答えになったそうであります。又、ある方は戦時中に召集され激戦地へ赴かなければならなくなった時、そっとカバンに歎異抄をしのばせて行かれたそうです。
     たった一人きり無人島で残りの人生を過ごさなくてはならないという事も、常に死と隣合わせの戦地に向かうという事もどちらも、これから大変な不安と孤独の中を生きて行かなければならないという事に他なりません。
     前大谷専修学院院長の竹中智秀先生は「浄土往生とはここで生きられるようになったということです。」と繰り返しおっしゃっておられました。このお言葉を手がかりに、親鸞聖人の求めずにはいられなかったものを歎異抄に訪ねてまいりたいと思っています。

    [ 2012.09.23 ] 

  • 8月の公開講座【終了】

    • 日時8月7日(火)
    • 講師古卿 誠幸 氏(勇払郡安平町 光專寺住職)
    • 講題「浄土真宗」

    平成23年3月11日に起きた、古今未曾有の東日本大震災、そして人類史上初めての原発災害は最悪の事態となり、現在もその状況は依然と続いている。
     その中で昨年3月から5月まで「被災者と共にある御遠忌」として「宗祖聖人750回御遠忌」11月には「御正当報恩講」が厳修された。それは、被災された方々に思いを馳せ、悲しみ痛みを共にし、親鸞聖人の御真影の前に身を据え、親鸞聖人の名のもとに於いての、お念仏の教えから自身が問われつづけ、人間として生きることの尊さを、さらに親鸞聖人の教えをその生涯から教えられていく者として、自身が生きていくことを証ししていく事であった。
     50年を節目とする御遠忌は、その御遠忌を勤めさせていただいた一人いちにんが自身の自己を省察し、更に念仏道に立ち帰るものとなっていかなければならない。その御遠忌は、毎年の報恩講を勤めるところにあり、その原点は毎月の「宗祖御命日」にこそある。
     その「宗祖御命日」をして、もうすでに「宗祖800回御遠忌」への歩みは始まっている。

    [ 2012.08.04 ] 

  • 7月の公開講座【終了】

    • 日時7月18日(水)
    • 講師嶋地 正孝 氏(石狩市浜益区 天正寺住職)
    • 講題「この私を押しいただく」

    『歎異抄』第一章に「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」と教えられています。どんな者にも選びなく届いている願いがある。それが十八願の「十方衆生よ」と呼びかけ「もし生まれずは、正覚をとらじ」とはたらいているこころなのでしょう。しかし私達はみんながいただけるものは安物にしか思えません。逆に自分が苦労して得たものは宝物のように大切にします。安田理深先生は「念仏を安物と思ってないか?」とおっしゃったそうです。念仏だけでは物足りなくて、そこに自分がいかにお念仏から問われているか、気づかされたか、と真摯な姿を現そうとしている私達を指摘されているのでしょう。えらびなく届いているお念仏を申しながら、自分を何かで飾りたくてしかたない自分がそこにいます。
     浅田正作さんは「人生に花ひらくとは、この私が押しいただけたことです」といわれます。念仏申すということは自分を飾り、他を選んでいく自分に出会い続けていくことだと教えられているのでしょう。
     ある方が「仏様は立ってるだけで役立たず」と言いました。それは同時に私の見方であります。しかし、何の飾りもつけず無条件にここにあることはすごいことだと教えて下さっているのが仏様なのでしょう。如来の恩徳をいただいていきたいと思います。

    [ 2012.06.24 ]