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公開講座

  • 7月の公開講座【終了】

    • 日時7月18日(木) 18時~20時
    • 講師古田和弘氏(大谷大学名誉教授・九州大谷短期大学名誉学長)
    • 講題「如実の言(みこと)を信ずる」

    私たちは、現代の社会において、それなりの豊かさと便利さを享受しています。
     しかし、その一方で、何とも言い知れない不安や不満を感じてもいます。
     目まぐるしい社会の動きの中で、私の人生にとって「畢竟依」(最後のよりどころ)は何であるのか、それが見えなくなっているのではないでしょうか。
     否応なしに、このような状況を生きなければならない私たちに対して、親鸞聖人は、どのようなことを教えておられるのか、人生の真実とはいったい何なのか、この機会にそのみ教えを確かめてみたいと思います。

    [ 2013.07.01 ] 

  • 6月の公開講座【終了】

    • 日時6月24日(月) 18時~20時
    • 講師白山敏秀氏(石狩市 生振寺住職)
    • 講題歎き

    私の生まれた寺の門徒の古老達は、幼き「人は何で生まれてくるの」という問い掛けに、「おれらがこの世に生まれたのは仏様になるためだ」と、自愛あふれる眼差しで私を育ててくれた。決してめずらしい言葉ではなかったが、私はその言葉を踏みつけにしてここまでいたずらに歳を重ねた。その願いとは異なった願いを主(あるじ)として魔境に身を置き続けたのだ。
     曽我先生はその著『歎異抄聴記』の中で「異なるのは自分である」と言い切られた。異なるとは信心のまこととは異質だということである。違うということなら努力も実を結ぶかもしれないが、異質という次元の違いは何ともしようのない絶望を表す。私は曽我先生のこの「自分」になり得ているか。その事実を歎く賜りたる信心の誕生こそが仏道である。信心同一の座で異質を指摘された法然の弟子達は歎き得ただろうか。私は歎き得ているだろうか。

    [ 2013.06.05 ] 

  • 5月の公開講座【終了】

    • 日時5月22日(水) 18時~20時
    • 講師酒井 義一 氏(東京教区存明寺)
    • 講題音楽が流れている

    ―歌を聴きながら、親鸞の世界へ―

    時代社会には、大きな闇が覆っているかのようです。
    人間は、苦しみや悲しみをいっぱい抱えているようです。
    大震災や原発やこの世の現実から、私たちの日常が問われ続けています。
    何が問われているのかを、自分の言葉で表現してみたいと思います。

    人間の住む街には、音楽が流れています。
    音楽には、人を目覚まし、歩き出させる力があるといいます。
    私のすがたを照らし出すような音楽には、あたたかさがあります。
    私の出会った素敵な音楽を、ご一緒に聞いてみたいと思います。

    仏教讃歌、御遠忌テーマソング、最近のお気に入りの音楽…。
    ところどころ音楽を交えながら、お話をしてみます。
    題して、「音楽法話」。もちろんうまくいく自信はありませんが、そんな試みを通して、親鸞の世界を旅してみたいと思っています。

       

    [ 2013.05.02 ] 

  • 4月の公開講座【終了】

    • 日時4月22日(月) 18時~20時
    • 講師四衢 亮 氏(高山教区不遠寺)
    • 講題「歎異の世界―宗教とは何だろう」

    日本における最も有名な宗教書の一つである『歎異抄』。「先師の口伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑あることを思うに」(序分)、「一室の行者のなかに、信心ことなることなからんがために、なくなくふでをそめてこれをしるす。なづけて『歎異抄』というべし」(後序)。

    親鸞聖人が亡くなられて、二十七・八年経った頃に成立したと考えられるこの書は、歎きの書です。教えを楯に取り、自分を正当化して、その正しさを誇ろうとする「異なり」は、自分にある問題ではないか。他の異なりを断罪し、糾し、正義を標榜していくのではなく、異なっていく人間を見つめ、なぜ異なるのか、どこにその人間の課題があるのかを深く汲み取った親鸞聖人の眼。それを伝えるからこそ、多くの人のこころをひきつけ、読み継がれてきたのでしょう。
       

    [ 2013.04.03 ] 

  • 3月の公開講座【終了】

    • 日時3月11日(月) 18時~20時
    • 講師佐野 明弘 氏(石川県加賀市光闡坊住持)
    • 講題「無碍の一道」

    私たちが聴聞していて苦労するのは「念仏」です。念仏をどのようにいただいたらいいのか、そういう発想で教えを聴いています。だんだんわかって、身に付けていく。物事を道筋で考え、そこを歩もうとします。これが「道」です。聖道という道です。この道というものを支えているのは、きっと行き着くであろうという希望と、歩もうという自分の努力です。
     しかし、信心は道ではない。心の工夫によって念仏を自分のものにしようというのではなく、念仏に頷く心を信心といいます。目覚めです。目覚めるのにだんだん目覚めるということはありません。「あぁ、そうであったか」と、瞬間に目覚める。今まで自分で考えていた世界が変わるわけです。このように世界が開くことを「土」といいます。
     念仏の教えは「浄土」の念仏です。浄土が念仏として届く。だから念仏は歩むのではなく聞くのです。念仏申せという声に頷くところに、すでに浄土が念仏として、私に届いている。これを、浄土からの無碍の一道というのです。
             ~『人間を生きる』(東京教区)より抜粋~

       

    [ 2013.03.02 ] 

  • 2月の公開講座【終了】

    • 日時2月14日(木) 18時~20時
    • 講師波佐谷 見正 氏(厚岸町 正念寺住職)
    • 講題遇法の縁-無量寿の名のりを聞きつづける人に成る

    「『龍は、私達一人一人の中にいます。龍は、自分の体験を食べて大きくなっていきます』 小さな人へのブータン国王のメッセージ こころに沁みました。祖父江美智子。あれからもう10年」この一枚の年賀状からはじまった2012年。

    私達は「ひと」「ことば」「出来事」に触れる事で変わる。それは、私達が持ち合わせている常識が一度ひっくり返る、転ずるという事である。私達は、一度その事を通さなければ決して目覚めない存在である。
    宗祖聖人と深い縁をもち、聖人のお言葉、お心を身にいただきながら歩んでこられた念仏の行人(真宗門徒)の方々を憶念する時、あらためて「自身は現に」(あなたは、今)という事が問われてくる。
    悲しく、きびしい現実の只中で「一切から見離される自分であるかもしれない。けれども一切を包んで悔いなし、人生に無駄なし」といただいていける。その様な世界に目覚め、あなたと「共に」と願いながら歩む生活者と私がなれるのか?!

     終りなき歩みに身をゆだねて

     あれからもう11年   よき人祖父江文宏さんを偲びつつ

       

    [ 2013.02.01 ] 

  • 1月の公開講座【終了】

    • 日時1月23日(水) 18時~20時
    • 講師藤本 愛吉 氏(三重教区正寶寺住職)
    • 講題「本願の心を教えてもらい」

    「悪をもおそるべからず。弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと、云々」
                        (『歎異抄』第一章)

    息子が10歳の時に、
    「お父さんはなんでお坊さんになったの?仏さんの教えってどんな教えなの?」
    と聞いてきたので、龍樹菩薩の「仏とは自利利他円満の人」(共利の人)という教えの言葉を思い出して、
    「うん。仏さんの教えは「自分を大事に、友達を大事に」ということだよ。
    その仏さんの願いを大事にしていきたいと思ってお坊さんになったんだよ。」
    とこたえたら、
    「ふうん。いいなあ。ぼくもお坊さんになるわ。」
    と言って、自分で決断して、お坊さんになっていきました。

     仏様の願いを大切にして生きる中で初めて、そのように生きられない自分に出会います。人間(自分)は怖畏(おそれ)をもって生きている者だということが自覚的になってきます。そのおそれを受けとめ、こえて生きる言葉として、「悪をもおそるべからず。弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに。」という教えの言葉を学びあえたらと願っています。   

    [ 2013.01.10 ] 

  • 12月の公開講座【終了】

    • 日時12月18日(火) 13時~15時30分
    • 講師藤田 彰美 氏(帯広別院輪番)
    • 講題「往生安楽国 - 往生極楽の道を問う」

    衆生の根本の願いは、「願往生心」とされております。人間は言うに及ばず、生きとし生けるものの真の願いは、安楽国に往生する、願生することであると教えられるのです。
     人間の願いは人間の苦悩を介して明らかにされるのです。釈尊は一切皆苦に目覚め、苦を凝視されました。苦を徹底的に見つめて、その底に自己の真の願いを見いだされたのです。苦を解消するのではなく、苦を見つめて、苦を光として受けとめたと。
     「安楽国」として示される事柄の具体性は、現代の私たちにとって曖昧なものとなっております。それを敢えて表現すると、「人間がそこから出かけ、帰ることのできる場所、そこで安らぐことができ、自己に立ち返るところ」と言えます。それは、そのまま現代の我々が見失っている居場所であり、それ故に願往生心を発起することとなるのです。
     今、ここに、われらは逃げ出さずに、住み続けることができるのかという問いが、突きつけられていると思います。住職の仕事(つとめ)は寺に住み続けることかとふと思います。 

    [ 2012.12.03 ] 

  • 11月の公開講座【終了】

    • 日時11月7日(水) 18時~20時
    • 講師清谷 真澄 氏(現地復興支援センター主任)
    • 講題「真のよりどころ」

    それおもんみれば、人間はただ電光朝露の、ゆめまぼろしのあいだのたのしみぞかし。たといまた栄花栄耀にふけりて、おもうさまのことなりというとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。もしただいまも、無常のかぜきたりてさそいなば、いかなる病苦にあいてかむなしくなりなんや。まことに、死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も、財宝も、わが身にはひとつもあいそうことあるべからず。
    (蓮如上人 『御文』一帖目第十一通)

    2011年3月11日、東日本大震災は私たちに生死無常の身の事実をまざまざと見せつけました。私たちは、いま、「真によりどころとすべきものは何か」ということが問われているのだと感じています。この『御文』で蓮如上人は「たのむべきは弥陀如来なり」と教えてくださっています。そして親鸞聖人は「火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(『歎異抄』後序)とおっしゃいました。そのおことばに共にたずねたいと思います。

    [ 2012.10.15 ] 

  • 10月の公開講座【終了】

    • 日時10月2日(火)
    • 講師赤松 雅 氏(旭川市 願船寺住職)
    • 講題「往生」

    「あなたが、この先の残りの人生をたった一人きり無人島で生きていかなくてはならなくなったとして、本を一冊だけ持って行けるとしたら何を持っていきますか?」という質問に対して多くの方が「歎異抄をもっていきたい。」とお答えになったそうであります。又、ある方は戦時中に召集され激戦地へ赴かなければならなくなった時、そっとカバンに歎異抄をしのばせて行かれたそうです。
     たった一人きり無人島で残りの人生を過ごさなくてはならないという事も、常に死と隣合わせの戦地に向かうという事もどちらも、これから大変な不安と孤独の中を生きて行かなければならないという事に他なりません。
     前大谷専修学院院長の竹中智秀先生は「浄土往生とはここで生きられるようになったということです。」と繰り返しおっしゃっておられました。このお言葉を手がかりに、親鸞聖人の求めずにはいられなかったものを歎異抄に訪ねてまいりたいと思っています。

    [ 2012.09.23 ]