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公開講座

  • 11月の公開講座【終了】

    • 日時11月7日(水) 18時~20時
    • 講師清谷 真澄 氏(現地復興支援センター主任)
    • 講題「真のよりどころ」

    それおもんみれば、人間はただ電光朝露の、ゆめまぼろしのあいだのたのしみぞかし。たといまた栄花栄耀にふけりて、おもうさまのことなりというとも、それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。もしただいまも、無常のかぜきたりてさそいなば、いかなる病苦にあいてかむなしくなりなんや。まことに、死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も、財宝も、わが身にはひとつもあいそうことあるべからず。
    (蓮如上人 『御文』一帖目第十一通)

    2011年3月11日、東日本大震災は私たちに生死無常の身の事実をまざまざと見せつけました。私たちは、いま、「真によりどころとすべきものは何か」ということが問われているのだと感じています。この『御文』で蓮如上人は「たのむべきは弥陀如来なり」と教えてくださっています。そして親鸞聖人は「火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」(『歎異抄』後序)とおっしゃいました。そのおことばに共にたずねたいと思います。

    [ 2012.10.15 ] 

  • 10月の公開講座【終了】

    • 日時10月2日(火)
    • 講師赤松 雅 氏(旭川市 願船寺住職)
    • 講題「往生」

    「あなたが、この先の残りの人生をたった一人きり無人島で生きていかなくてはならなくなったとして、本を一冊だけ持って行けるとしたら何を持っていきますか?」という質問に対して多くの方が「歎異抄をもっていきたい。」とお答えになったそうであります。又、ある方は戦時中に召集され激戦地へ赴かなければならなくなった時、そっとカバンに歎異抄をしのばせて行かれたそうです。
     たった一人きり無人島で残りの人生を過ごさなくてはならないという事も、常に死と隣合わせの戦地に向かうという事もどちらも、これから大変な不安と孤独の中を生きて行かなければならないという事に他なりません。
     前大谷専修学院院長の竹中智秀先生は「浄土往生とはここで生きられるようになったということです。」と繰り返しおっしゃっておられました。このお言葉を手がかりに、親鸞聖人の求めずにはいられなかったものを歎異抄に訪ねてまいりたいと思っています。

    [ 2012.09.23 ] 

  • 8月の公開講座【終了】

    • 日時8月7日(火)
    • 講師古卿 誠幸 氏(勇払郡安平町 光專寺住職)
    • 講題「浄土真宗」

    平成23年3月11日に起きた、古今未曾有の東日本大震災、そして人類史上初めての原発災害は最悪の事態となり、現在もその状況は依然と続いている。
     その中で昨年3月から5月まで「被災者と共にある御遠忌」として「宗祖聖人750回御遠忌」11月には「御正当報恩講」が厳修された。それは、被災された方々に思いを馳せ、悲しみ痛みを共にし、親鸞聖人の御真影の前に身を据え、親鸞聖人の名のもとに於いての、お念仏の教えから自身が問われつづけ、人間として生きることの尊さを、さらに親鸞聖人の教えをその生涯から教えられていく者として、自身が生きていくことを証ししていく事であった。
     50年を節目とする御遠忌は、その御遠忌を勤めさせていただいた一人いちにんが自身の自己を省察し、更に念仏道に立ち帰るものとなっていかなければならない。その御遠忌は、毎年の報恩講を勤めるところにあり、その原点は毎月の「宗祖御命日」にこそある。
     その「宗祖御命日」をして、もうすでに「宗祖800回御遠忌」への歩みは始まっている。

    [ 2012.08.04 ] 

  • 7月の公開講座【終了】

    • 日時7月18日(水)
    • 講師嶋地 正孝 氏(石狩市浜益区 天正寺住職)
    • 講題「この私を押しいただく」

    『歎異抄』第一章に「弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず」と教えられています。どんな者にも選びなく届いている願いがある。それが十八願の「十方衆生よ」と呼びかけ「もし生まれずは、正覚をとらじ」とはたらいているこころなのでしょう。しかし私達はみんながいただけるものは安物にしか思えません。逆に自分が苦労して得たものは宝物のように大切にします。安田理深先生は「念仏を安物と思ってないか?」とおっしゃったそうです。念仏だけでは物足りなくて、そこに自分がいかにお念仏から問われているか、気づかされたか、と真摯な姿を現そうとしている私達を指摘されているのでしょう。えらびなく届いているお念仏を申しながら、自分を何かで飾りたくてしかたない自分がそこにいます。
     浅田正作さんは「人生に花ひらくとは、この私が押しいただけたことです」といわれます。念仏申すということは自分を飾り、他を選んでいく自分に出会い続けていくことだと教えられているのでしょう。
     ある方が「仏様は立ってるだけで役立たず」と言いました。それは同時に私の見方であります。しかし、何の飾りもつけず無条件にここにあることはすごいことだと教えて下さっているのが仏様なのでしょう。如来の恩徳をいただいていきたいと思います。

    [ 2012.06.24 ]