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公開学習会『是旃陀羅』

5月21日に公開学習会「是旃陀羅」が開催されましたのでご報告いたします。

当初予定では集会型+リモート参加型と併せての開催予定でありましたが、感染拡大により全てリモート形式で行われました。昨年度に引き続き鶴見晃先生より「『観無量寿経』の教えー「是旃陀羅」の語に注目してー」という講題のもと講義を頂戴いたしました。
 
先生は冒頭に「是旃陀羅」の問題を通して自らの生活がどのようなもののうえに成り立っているのか改めて考えることになっていただければと述べられ講義が始まりました。「是旃陀羅」という語について善導大師の領解をもとに「人間でないもの」、「排除すべき存在」として押さえられ、私たち人間存在は「智愚の毒」によって秩序や規制という枠を形成し、その枠を犯すものをタブー視し続けてきたということを聞かせていただきました。

また、『観無量寿経』(以下『観経』)の教えということから韋提希夫人の求哀懺悔の内容を通して「智愚の毒」によって成り立つものが「悪声」、「濁悪処」であり、仏智に照らされることによって「畜生」としての目覚めに立つことこそが求哀懺悔の内容であると押さえられ、『観経』は私たち人間の罪業によって再生産され続ける世界の根本的な問題性が差別や排除を伴うところにあると焦点を当てており、浄土を願うとは世界を差別や排除を伴う「穢土」として厭う心であると教えていただきました。

最後に先生から六道の「畜生」と「人」という問題から、仏道を歩む者になるのか、仏道を捨てる者になるのかということが大きな問題であり、『観経』における厭い懺悔するというところに私たちにおける回心ということが指し示されているのではないだろうかと述べられました。
私の所感といたしまして、私たちの日常生活そのものが常に誰かを抑圧し排除を伴い、差別を生み出しそれを助長していくものであると知らされました。また、そのようなあり方であることを知らず他者の存在を踏み続け、「痛い」という声に気付かず平然として生きている自身の罪業性を、この度の学習会を通して考えさせられました。教区や組の教化事業に携わらせていただく中、自らがどこに立ち、何者として聞いていくのか、そのことを改めて確かめていく必要性を感じました。
感染拡大により集会型で行えなかったことは残念でありますが、多数のご参加をいただき誠にありがとうございました。

(報告者:奥村翔)

[ 2021.05.31 ] 研修部会