2021.11.28
11月12日、「是旃陀羅」問題についての公開学習会事前会議①が行われました。
協議事項は「2020年度公開学習会のアンケート集計結果について」と「2021年度公開学習会開催要項について」でした。
アンケート結果については、実行委員一人ひとりが結果に対しての所感を述べました。中でも話題にあがったのが、観無量寿経に説かれる差別語の部分の読誦をどうするかという設問でした。設問の回答の約半数を占めたのが「そのまま読誦した方がよい」という選択肢であり意外な結果だったという声もあがりましたが、差別問題は差別語の読誦をするかしないかという単純なことで解決するものではなく、私たちが抱えている差別心を今一度見直すこと、またその差別語が経典の中でどのような扱われ方をしているのか理解を深めることが大事ではないかという話になりました。
2021年度の学習会については日程の確認をした後、参加対象について議論がありました。「公開学習会」と案内を出すのであれば広く御門徒及び一般の方を含んだ方がいいのではという意見と、経典中の差別語についての学びであることから、まず学ぶべき者は僧侶であるとして、あくまで対象は僧侶・寺属に限定した方がよいという意見があり、後者のように決まりました。また、当学習会の名称について、経典中の言葉とはいえ差別語であることから、『「是旃陀羅」問題学習会』等に改めた方がよいという意見があり、次年度に向けての検討課題となりました。
私は、昨年一年間この差別語を学び、改めて差別問題を学ぶことの難しさを感じました。観無量寿経に説かれる差別語の読誦について、「痛みを感じる」とおっしゃっている方に対しての実効的な取り組みは不読をおいてほかにないと思う一方で、「本山から読むなと言われて読まなければ解決するというわけではない」との小森龍邦氏の叱咤を聞き、その語について学びを深めていかなければならないとも思います。そのうえで、単なる不読は解決の方法ではないが、他の実行手段がない以上、不読がこの問題に向き合うスタートラインだという思いは変わりませんでした。学習会で講義を受け、また各実行委員と意見交換をする中で、この問題に対する思いや意識が変わることはあれども、そのことが「読誦されると痛い」という人に対して何の解決にもならないのではないかと考えると、やはり一人ひとりが差別している側として何らかの手段を講じなければならないと思いました。将来的に宗派の指針により実効的な取り組みがなされた時に、ただそれに従うだけではそれこそ問題を深く考えることがなくなるような気がします。唯一、今が学び取り組む機会だと感じました。
(報告者:辻内野悠)