2022.03.10
2021年度「法話研修会」が3月1日~2日、2日間の日程で開催されました。コロナウィルス感染拡大の状況と北海道にまん延防止等重点措置が適用されていること、法話実習で出講させていただいている札幌別院「婦人会定例」が休席となったことなどに鑑み、全日程オンライン形式、Web配信(ZOOM配信)での開催となりました。
講師には南第3組開正寺、金石潤導先生をお迎えし、「南無阿弥陀仏‐人と生まれたことの意味をたずねていこう‐」(慶讃テーマ)という講題(法話実習も同じ)のもとご講義をいただきました。
講義では先生ご自身が携わる社会問題のお話から、私たちの心の中に持つ「天秤」について「私たちは自分に都合のいいことを優先していく、自分の思い、自分の都合で私の中の天秤を傾けているのではないか。一皮剥けば私の中に正しさというものはないのではないでしょうか」と、自己を疑わず、自分が正しいものとして生きていこうとする危うさを指摘されました。また、法話研修会誕生の背景から「伝道」ということを改めて考える必要があるのではないかと、「一人ひとりに伝えられた道を具体的に確かめていくことの重要性」ということから私たちが共に歩むべき道として「往生極楽のみち(聖典626頁)」にふれられました。私たちの求める「楽」として「三楽、外楽・内楽・法楽楽(聖典295頁)」の教えから、「法楽楽」は「智慧所生」といわれ、それは法を聞いて得られるものであり、法とは「教え」であるということ。その教えを宗祖は「真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり(聖典152頁)」といただかれていることを確認され、『大経』に説かれる「五徳現瑞の相」から、阿難は釈迦の仏意に目覚め、釈迦を仏と見出されたことにふれて、『大経』は凡夫を利益する教えであるとおさえられました。そして釈迦の教えとして「縁起」「中道」「四聖諦」等、また金石先生自身のご門徒さんとの出会いなど様々な観点からご講義をいただきました。
日程中、全体座談の時間は2回ありました。自己紹介、講義を受けて、法話についての課題などが話し合われ、「自分が感じたことと伝えたいことがはっきりしない」、「説明はできても法話では共感を得ることが大切ではないか」など法話をする場に立つことの不安や、自ら学ぶことの難しさなどが語られました。しかし、一人ひとりの切実な思いを話していただいたにも関わらず、その言葉に対して深めていくことができなかったことは座談会を進行していく上で大きな反省点であります。
法話実習では一人一人の真剣な眼差し、教えに向き合おうとする姿勢、不安を抱えながらも必死に紡ぎだす言葉にとても刺激を受けました。金石先生から「みなさん、言葉にならないことを、苦心して言葉にしていくことの難しさにご尽力されました」と総括の言葉をいただき、私たちがいただける時間と場、そして教えに向き合うということの大切さを確認させていただき閉会となりました。
研修会に参加すると先生のご法話を聞き、色々な人と話し、新たな仲間ができ、ありがたい場に参加できたことをうれしく思います。しかし、いつも「しんどさ」がつきまとうのです。今回当研修会に携わらせていただいて、先生の言葉、参加者、スタッフの皆様方の真摯な姿勢から「しんどさ」の原因は、自分は真剣に向き合うことを避け続け、うまくこなしていこうとする。自分は大丈夫なものとして繕おうとすることに必死になる「しんどさ」なのかもしれないなと思いました。同じ悩みや不安を抱える人との出会いから、ありのままの自分と向き合えない悲しみと難しさ、そして教えに悪戦苦闘していくことの大切さを感じる研修会となりました。
(報告者 : 畠山智光)