2025.10.31
2025年10月17日(金)14時より北海道教務所にて第2回実行委員会兼部会内学習会が開催されました。
今回は講師として中山量純師(九州教区 熊本北組 崇岸寺、解放運動推進本部本部委員)をお招きし、ご講義をいただきました。
講義は、事前に部会内で話し合われた二つの課題に対して、応答する形で進めていただきました。課題は以下の通りです。
1、「戦争で亡くなった方々の尊いいのちの犠牲のおかげで今の平和がある、だから亡くなった人を大切に祀らなくてはいけない」といわれることがあります。それが亡き人を大切にすることなのでしょうか。
2、「他の社会問題については話題にできるが、靖国の話題をご門徒や家族の前ではできない」という問題意識から「靖国神社のことを会話に出しづらい」と感じるのはなぜだろうか。
これらの課題を踏まえ、講題を「願生浄土の道-念仏に引き受けられる業縁-」としてお話しくださいました。
講師は、二つの課題に通底しているのは、日本の近代化(天皇を中心とした国家形成)の過程で靖国神社が象徴的な役割を果たしてきたことであり、それが日本に生きる民族の業に適い、自明のこととして受容されてきた点にあると述べられました。
そのため、国のために亡くなった者への讃嘆、「おかげさま」が強調され、悲しみが無化されてしまう。そこには「勿体ない(懺悔)」という視点が欠けており、靖国思想はこの「勿体ない」という心を奪う構造ではないかとおさえられました。
これらを、第17願・諸仏称名(称揚)の願成就文に引き当てて、私たちは先人を英霊として崇め、悲しみや願いを無化するのか。あるいは、諸仏として仰ぎ、悲しみや願いを教化として引き受けるのか。そのような問いがなげかけられました。
(報告者:本澤盛顕)