2026.06.10
2026年4月12日(日)に真宗大谷派札幌別院大谷ホールを会場として、公開シンポジウム「死刑制度の中で見落としてきたこと~死刑囚の家族と呼ばれる私~」を開催しました。
第九期の死刑制度問題班は、今まで死刑制度問題にかかわったことのない班員で構成されました。私たちは、死刑制度の賛否を問うような「単なる社会運動にしない」よう、死刑制度を通して、私たちが持つ問題を学ぶ、教えられるということを大切に取り組んできました。
今回、パネリストとして、広島連続保険金殺人の加害者家族であり、被害者遺族でもある大山寛人さん、和歌山毒物カレー事件長男(以下、仮名として「Aさん」とする)、教区の死刑制度問題班の設置から関わりのある宮本尊文さんの3名にご登壇をいただきました。
これまでの死刑制度問題班とはまた違った視点で、死刑制度の中で苦しんできた方のことや、その苦しみを産み出している源について、考えもせず見落としてきたことを確かめるため、殺人犯とされた方の家族(ただし、Aさんは、冤罪を主張)をシンポジウムのパネリストとしてお願いいたしました。
第一部では大山さんとAさんに事件の概要をお話しいただき、参加者の皆さんと事件の状況とお二人の感じたことを共有する時間としました。
第二部では大山さんとAさんと宮本さんにそれぞれ質問に応答していただきました。
私自身が班内学習に大山さんと話したことが深く印象に残っています。私が大山さんの話に対して「「親が親なら子も子」という言葉に象徴されるような決めつけは問題があり、根深いことだと思った」という趣旨のことを言ったところ、大山さんは「親が我が子にどういう子どもと関わらないでほしいか」と心配することは自然な気持ちであり理解できるし、差別と言えるかというと難しいと、決めつけや差別によって苦しい思いをした身で有りながらも、お話下さいました。大山さんが言われる親の気持ちとは、自分たちをまもるためにはたらく自然な気持ちのように思います。しかし、それによって居場所を奪われる人がいるのも、また事実なのではないでしょうか。
死刑の賛否も大事な問題です。でも、同時にそこに私たちが問題にもせずに見落としてきた問題はなかったでしょうか。死刑制度問題から私たちが持つ問題を学ぶ、教えられるということは、私たちは「こういう存在はこういうやつだ」という自分の思いの枠に相手を当てはめ居場所を奪っていく、そんな自分が明らかになるということです。
今回のシンポジウムへお越し頂いた参加者の方に少しでもこのような問題についてお考えいただけたならば、意義あるシンポジウムが開催できたことと思います。 (報告者:岩田広大)