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宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要特設ページ

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南無阿弥陀仏
人と生まれたことの意味をたずねていこう

教区テーマ

共なる世界を願って
─ 北海道開教の歴史をかみしめ、
一人ひとりの立教開宗へ ─

お知らせ

参拝・参加する

お待ち受け大会について

日時
2022年12月3日(土)13:00 帰敬式
2022年12月4日(日)13:00 お待ち受け大会

日程
(準備中)

会場
真宗大谷派(東本願寺)札幌別院

サテライト会場

  • 函館別院
  • 江差別院
  • 旭川別院
  • 帯広別院
  • 根室別院
※各会場の住所・連絡先はこちら

帰敬式


ポスター・チラシ

ライブ配信について

(準備中)

現如上人百回忌法要について

法要日程・記念品
本年2022年4月より道内の各別院にて現如上人百回忌法要が勤修しております。
法要中の起立散華に使用する葩(はなびら)を記念品といたします。ぜひご参拝いただきますようご案内申し上げます。

帯広別院 4月6日(水)※厳修済
江差別院 5月21日(土)
旭川別院 5月28日(土)
函館別院 6月13日(月)
札幌別院 7月22日(金)~24日(日)
根室別院 9月21日(水)~22日(木)
※詳細は各別院にお尋ねください。


法要次第
(準備中)

本山団体参拝

知る・学ぶ

教区テーマについて

共なる世界を願って
―北海道開教の歴史をかみしめ 一人ひとりの立教開宗へ―
このたび、北海道教区として「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要並びに現如上人百回忌法要」を迎えるにあたり、当準備委員会といたしましては「共なる世界を願って―北海道開教の歴史をかみしめ 一人ひとりの立教開宗へ―」を教区慶讃テーマとして掲げ、事業内容を検討・企画いたしました。教区慶讃テーマ策定の願いと趣旨を表明することをもって基本方針といたします。

テーマ「共なる世界を願って」
「浄土真宗」は、親鸞聖人が主著『顕(けん)浄土(じょうど)真実(しんじつ)教(きょう)行(ぎょう)証文類(しょうもんるい)』において「真実の教 浄土真宗」と標挙(ひょうこ)の文に掲げたように、末法五濁の世に生きる煩悩具足の凡夫が歩むべき唯一の仏道を世の中に広く標榜した名です。
親鸞聖人は、よきひと法然上人との出会いによって「南無阿弥陀仏の御名を聞き、摂取不捨の阿弥陀如来の本願に出会い、いつ、どこの、誰においても、煩悩を具足しながら救われる仏道」を歩む身となりました。後にその出会いの感動を、「源(しょう)空(にん)光明はなたしめ 門徒につねに見せしめき 賢哲(けんてつ)愚夫(ぐぶ)もえらばれず 豪貴鄙賤(ごうきひせん)もへだてなし」とご和讃に詠まれています。そのご和讃から推察するに、法然上人のみもとをたずねられた親鸞聖人が出会われたのは、念仏の教法だけではなかったことがわかります。そこには身分・年齢・能力などの違いを超えた、ありとあらゆる人たちが、親鸞聖人と同じように法然上人に救済の道をたずね、念仏を申しておられたのでした。その一人ひとりの聞法・念仏の姿を通して、阿弥陀如来の本願が、各個の欲求を超えて、人と生まれたもの全てに通底する志願を呼び覚ますものであることを感得されたに違いありません。
親鸞聖人の立教開宗の精神とは、法然上人との出会いを原体験として、人間の自己中心的な欲望を満たそうとする価値観・生き方の中から、様々な価値観・生き方の違いを超えて、浄土(共なる世界)を願って生きんとする道を共に聞き開かんとしたその後のご生涯そのものに見ることができます。まさに越後・北関東でのご事績からは、文化・生活習慣を異にした「いなかのひとびと」と共に「われらなり」と言い切れるような同朋関係が生み出されていった出会いの中に「教化」の具体性が現れています。そのような親鸞聖人の歩みを念頭に、北海道教区における慶讃テーマを「共なる世界を願って」と掲げることにいたしました。

サブテーマ「―北海道開教の歴史をかみしめ 一人ひとりの立教開宗へ―」
私たちは、北海道という地で念仏のご縁をいただいております。この私たちが申す念仏の背景には、無数の方々の念仏相続のご苦労の上に成り立っていることは言うまでもありません。しかし同時に、この北海道に私たちの生活が根付くまで、様々な痛みや悲しみを積み重ねてきた中に現在が成り立っていることも忘れてはなりません。そのことを併せ持って考える具体的な課題として、「北海道開教」についての教区としての位置づけを明確にすることが必要となってまいりました。
当準備委員会では、付託された事業名称についての協議のため「北海道開教」に関する諸問題を確認し、「北海道開教百五十年」に関連した記念慶讃事業を執り行うか否かを協議いたしました。もとより北海道教区では、現如上人北海道渡道による新道切開事業、及び札幌別院の創立を教区における「開教元年」と位置づけ、1969(昭和44)年には「開教百年」と銘打って慶讃事業を盛大に行ったことにより、「開教百五十年」についても同様の節目として慶讃事業を行うことが必然であるとの見方もございます。
しかしながら、1977(昭和52)年に起きた「大師堂爆破事件」の決行声明より、それまで偉業とされてきた北海道開拓・開教を「東本願寺は日本国家と共にアイヌモシリを侵略し」という衝撃的な言葉によって指弾されたことは、私たちが慶事としてのみ位置づけていた「北海道開教」を捉え直す契機となりました。北海道近代化の背景には、住む土地を奪われ、生活習慣・文化をも否定された先住民族「アイヌ」の存在があります。その存在を素通りし、宗門における「北海道開教」が一面的に讃美される中に閉鎖性・差別性が潜んでいることを、初めて知らされたのです。また、主に道南地区においては明治以前から寺院が建立されていたことに鑑みると、現如上人を中心とする「開教」史観では北海道教区としての公平性が保てないとの意見も上がりました。
「開教」という言葉には、国家と教団が繋がって「皇民化」「植民地支配」という実態と共に使われてきた背景があり、移住・入植者をルーツとする私たちの歴史観においては、その問題意識と重要性がしっかりと認識されていないという大きな課題があります。このことを重く受け止める時、北海道教区としては「北海道開教」という歴史観を、今まで位置付けてきた「慶事」としてではなく、「課題」としてその意味合いの受け止め直しを行うことといたしました。
真宗寺院は「念仏の道場」をその原型としているように、あらゆる人に開かれた求道の場であると共に、一人ひとりに念仏が相続されるところに存立の願いがあります。しかし、私たちはその本義をいつでも見失う存在でもあります。そのような私たちだからこそ、「開教」の言葉そのものが本来持つ「立教開宗」としての意味を一人ひとりにおいて回復していくことが、いつの時代においても願われているのでありましょう。これらの課題の具体性を示すために、サブテーマを用い「―北海道開教の歴史をかみしめ 一人ひとりの立教開宗へ―」と表現させていただいたことであります。

終わりに
近年、多くの人たちがこころを揺さぶられた法語として「これからがこれまでを決める」という藤代聰麿氏のお言葉が流布しております。まさにこの「現如上人百回忌法要」から「御誕生八百五十年・立教開宗八百年」へと続く慶讃事業を迎える私たちが教えに身を据え、力を尽くしてこれからの北海道教区教化の方向性を共に考え、寄る辺なき現代社会のただ中において教えに出あう場を確保し創造していくことが、私たちにおいての「立教開宗」であると同時に、先人の労苦に報いることとなっていくのではないでしょうか。

教区テーマインタビュー

―2017年より桂井議長が就任されてから、基本理念策定委員会・慶讃法要準備委員会で各委員会の長として教区の議論を取りまとめていただき、今年の2月に慶讃テーマを基本方針とした慶讃法要委員会が発足しました。その経緯を振り返りながら、どのようなことを教区の方々に発信し共有したいという願いがあるのか、お聞かせください。

私が議長に就任した当初、2年後の2019年に現如上人が北海道へ来られて150年の節目、あるいは2022年には現如上人の百回忌が控えており、それらをどのようにお迎えするのかということが大変大きな課題でした。本山では2023年の慶讃法要に向けてすでに動き出していましたが、北海道教区においては、この150年と、現如上人の百回忌をしっかりとお勤めすることが、慶讃法要の願いにも叶うのではないかと考えていました。
約50年前、北海道開教百年記念事業の時の先輩方の取り組みがどうであったのかと考えると、確かに北海道の明治初頭を彩る大偉業であったという受け止めでこの北海道開教百年記念法要が勤まったのですが、その後大師堂爆破事件をきっかけとして、北海道開拓・開教ということがアイヌ民族の方々にとって、実は大変な痛みや悲しみを伴うものであったということ、また決行声明の中にもあったように、国策に乗じて東本願寺がそのことに加担してきたのではないかということ、それらのことを先人のご苦労と共に問題点としてしっかりと受け止める150年にしなければならないと思っておりました。
先人のご苦労と一言で言いますが、幕末から明治にかけて宗門が取り潰されるかもしれないという危機の中で、先人たちが大変なエネルギーを持って、念仏の法灯を絶やすことなく私たちに伝えねばならないという使命の中で取り組まれたのでしょう。まずは、その先輩方のエネルギーをしっかり私達も受けとめることから始まり、同時に私たちのもたらした負の部分、アイヌ民族に対する差別に繋がるようなことにも広く皆さんに関心を持っていただき、それをさらに深めていくことが大事です。そして、宗門も含め人間の社会というのは常にどんどん新しい人が生まれていきますから、継続していくということがとても難しいことだと思うのですけれど、それをやり続けるきっかけとなるような150年、あるいは現如上人百回忌を迎えなければ、ということが最初の思いでありました。そのことをテーマの中で、あるいは実際の慶讃事業の中でしっかりと表現していくということを考えました。また、開教に関しては150というその数字を、私は自明のことのように認識していたのですけれど、北海道教区としての総意を取りまとめるにあたって、道南地方の方々にとっては現如上人の来道が開教ではないのだというその受け止めを初めて知るということにもなりました。

―桂井議長が「北海道開教150年」にそこまでの思いを持たれたのは、帯広別院の開教百年記念法要での平野修先生の記念講演を契機に始まった17組・帯広別院の学習会の参加や、第4期教化本部の時に差別問題研究部会の部会長をされたということがあるのだと思うのですが、その中でどういうことを学んでいかれたのでしょうか。

私たちは指摘されなければ、自分にとって都合の悪いことには関心を寄せないといいますか、まず、自分の意思では自分の抱えている問題性、差別性に気づくことはないことを学びました。今、宗門では「是旃陀羅」の問題もありますけれども、本当に考えてみれば大変なことを見過ごしてきたということですね。だから差別性というのは、あからさまに誰を差別するとかということよりも、無知であり無関心であるというところが実は差別を助長しているのだということを知らされました。今知らされてすぐに何ができるっていうことではないのですけれど、まずは関心を寄せるということです。
例えば十勝では、浦幌のアイヌ協会の方が、道や国に鮭の漁業権の回復を求める訴訟を起こしていることであったり、各地のコタン近くの埋葬場所から大学の研究者たちによって無断で持ち出され保管されていた遺骨を、元々住んでおられた方の所に返還するという取り組みもありますけど、そのようなことがどういうような動きになっているのかということに関心を寄せるというところから始まるのだと思います。『共なる世界を願って』の冒頭に、あるアイヌの方から「東本願寺は、明治政府の同化政策と一緒になって、北海道に一番乗りしたのであったら、今度は、北海道が、本当に人と人とが尊重し合って生きられる人間の大地=アイヌ・モシリとして回復されていくことの先頭に立ってもらいたい」という言葉が紹介されていますが、そういう私にさせてもらうことが150年前に来られた先人の方々のご労苦に応えていく責任だと思っていますので、そのことをこれから慶讃法要のテーマ「共なる世界を願って」ということで全てを通して、その意思を貫いていきたいと考えています。

―今ほど「是旃陀羅」の課題をおっしゃいましたが、北海道開教ということで言えば「錦絵」についても同じように教団の教化の現場において差別的な構造を受容する形で用いられた責任というものがありますね。

「錦絵」のことで言うならば、現如上人五十回忌の時にも広く東本願寺の偉業を称えるために「錦絵」が再版され、寺院に記念品として何枚か配られたということを聞いていますけれど、その絵を見て本当に傷ついたり、悲しみを感じたり、なんとも居たたまれない気持ちになる人の存在があるっていうことに思いが至らなかったということですね。私は当初「錦絵」について、確かに跪いたり土下座をしたりという構図もわかっていましたけれど、これは歴史の事実としてこういうこともあったということなのだから、何が問題なのかということが実はよくわからなかったのです。頭の中ではアイヌの人もたくさんの人が暮らしているということは頭ではわかっているつもりなのですけれど、実際にその人たちに思いが至らないということですね。「是旃陀羅」のことも全く同じだと思うのですけど、無関心であることが人をどれほど傷つけているのか、そういうことに気づいてくれよということが教えに出遇うということなのではないのかなと思っています。

―教化の差別性ということを共有しようとする時に、「自虐史観」という言葉もありますが、いわゆる「開拓民」としてやってきた自分たちの先祖を含む人たちに「侵略者」という汚名を着せて、今の価値観で批判的な位置づけをするというのは抵抗があるというような声もよく聞かれます。

特にご門徒さんにとっては、そのような感覚をお持ちの方は多いと思います。この慶讃事業は僧侶だけじゃなく、ご門徒さんと共に考え、共にお勤めしていくものですから、いかに課題を共有し、ご理解いただけるのかということについては、当初から苦労がありました。けれども、「自虐史観」と「自尊史観」という形で二元化するのではなく、アイヌの方々から「あなたがたにビルを背負って、北海道から出ていけ、と言っているのではない。共生の世界を一緒に実現させていきたいのだ(『共なる世界を願って』巻頭文)」という、そこに僕はやっぱり願いがあると思うのです。過去を否定することではなくて、過去を担う人になるということが、自虐的なものを超えていくということだと。ちょっと難しいですけれども、そういう感覚に陥らないように、本当の未来志向といいますか。まず立ち止まって自分を振り返って、無関心であったということに気づく所からしか始まらないのですよね。常に私たちはそういう感覚を保つような場所、つまりアイヌの人たちとか、様々な人たちとの関わりの中を生きなければ、そういうのを保つことすらもできないと思います。

―そういう意味で今回のテーマに戻りますけれども、資料集のタイトルにもなっている「共なる世界を願って」という言葉をずっと北海道教区は大事にしてきました。それを今回の慶讃法要のメインテーマとしたうえで、「北海道開教の歴史をかみしめ一人ひとりの立教開宗へ」というサブテーマにはどのような思いが込められているのでしょうか。

150年という数字は今回掲げることはなかったですけれども、「北海道開教」という言葉がここにちゃんと刻まれて、そしてこの「開教」というのはまさに「立教開宗」であると。一人ひとりの為に宗祖がお生まれになり、ご苦労があり、それがこの私一人の為であったのだというそういう受け止めですよね。今まで私たちは「開教って何だったのかなぁ」ということを「近代初頭の偉業」とか「侵略だった」とか、あるいは「教線拡大のため」という言葉として捉えていたけれど、そうではなくて、本当に教えによって自分たちが閉じていたものが開かれていくということに繋がるということですね。改めてサブテーマを通してこの「開教」と「立教開宗」ということがリンクするということを、私ははじめて気付かされました。私たちは真宗の教えをいただいて「本願を信じ、念仏申し、浄土に往生する」、それが本当に私の願いになっているかということが問われるのですけれども、まさに生きている今において他者との間に「共なる世界」が開かれているのかということが問われていくテーマとして教区の皆様に受けとめていただければいいなと思っています。

―次に具体的な作業部会の取り組みについて、特にこれから慶讃法要に関する様々なご案内が教区内に発せられると思うのですけれども、各部会の見どころといいますか、注目していただきたい所をお聞かせください。

まず今のテーマに関して言えば、お待ち受け大会(2022年12月3、4日開催)の記念講演を楠信生氏(第17組幸福寺・教学研究所長)と結城幸司氏(アイヌアートプロジェクト代表)にお引き受けいただきました。楠先生には「開教」の本義としての「立教開宗の精神」について、また結城氏には「共なる世界を願って」というテーマのもと今までの大谷派との関りを含めての率直にお考えになられていることをお聞かせいただきたいと思っています。また、北海道開教学習教材作成部会というのがありますけども、全三回の特別公開講座の冊子化の他、北海道内のアイヌ関連地域と大谷派に関する史跡をフィールドワークする時に、学びの案内となるようなガイドブックを作成しています。
それから慶讃法要の団体参拝(第1期2023年3月25日~4月8日、第2期4月15日~29日)ということに関して言うならば、北海道教区では単に団体旅行・観光だけではなくて、ここでもしっかりと仏法聴聞していただくということで「宿所伝道」を先の御遠忌でも行ってまいりました。今回もコロナ禍の中で様々な配慮をしながら、「宿所伝道」が実現できるよう取り組みが企画されています。団体参拝というのは、お寺とご門徒さんを繋ぐと言いますか、そこでより絆を深めるようなこととして今までも取り組まれてきました。今回コロナ禍の中で、どの程度できるのか、多くの人が不安を抱いていると思いますが、今現在旅行ということも少しずつ解禁されはじめた中で、何とかこの団体参拝へのお声かけをきっかけに、ご門徒さんとの距離を縮め、関りを深める手立てにしたいと思っています。
それから、記念事業部会では、比較的若い方々が実行委員となり、公式LINE・インスタグラム・FacebookなどのSNSを活用した情報共有や出会いの場を提供するようなコンテンツを模索しています。これからの北海道教区が寺院関係者のみならず、一般の方々にもアプローチを広げていくことも視野に入れつつ、その中で本当に一石を投じるような取り組みといいますか、どんなことができるのかなと…僕もそういうことに疎いからよくわからないのですけど(笑)。とても面白い取り組みですので、若い方々のいろんなアイディアを吸収しながら、これからの北海道教区に資するようなものを作りあげてほしいですね。

―まずは団体参拝が一つの核となって、お待ち受け法要やテーマ学習会がそれをサポートし、課題を共有していけるような体制を作られているということですね。あとは慶讃法要にどれだけご門徒さんにお声かけをして、一緒に上山するということが実現できるのかということですが…

このことについては、全国正副議長会の中でもハイブリッド型の団体参拝ということを要望しています。それが実現できれば、実際にご本山に行けない事情を抱えている方でも、慶讃法要にお会いいただくことができますし、お待ち受けの取り組みが上山される方だけのものではなく、広くご門徒さんにもお声掛けをしていけるのではないのかなと思います。現在は特にコロナ禍の中で、色々なものが制約を受けている状況ですよね。寺の色々な清掃作業とか、草取りとか、あるいは賄いのことも、去年1年間、今年に至ってもできないという状況の中で、本当に今までの通りご門徒さんとの繋がりというのが持てるのだろうかという危機感を多くの方が持っておられます。まさにご門徒さんに慶讃法要の周知をするということが、今までできなかったご門徒さんとの関わりを少しずつ回復していく大事な取り組みになればと思っていますし、自分自身もそうしていきたいと思います。

―最後に、この度お迎えする慶讃法要を通して、これからの北海道教区、組、また各寺院にいたるまで共有すべき課題と方向性というものを今、議長としてお考えになられていることがございましたらお願いします。

たまたまこの慶讃法要と軌を一つにしたのですけれども、ちょうど今程言いましたコロナ禍という状況に加え、ご門徒さん達も世代交代する中で、本当にお内仏を中心として親から子、子から孫へと受け継がれてきた真宗の教えの相続が難しくなってきたと感じています。あるいは人口減少・産業の衰退ということで、過疎も進む中で、お寺の存在意義とか、僧侶の存在意義とか、宗門の存在意義というものが問われています。例えば私が自坊に帰ったのは平成元年、今から33年前ですが、月忌参りもその頃に比べると半分以下になりました。ちょっと前までは法務の件数の多さを競うような風潮もありましたけど、現在では法務が少ないのならば、今までできなかったことをきちんとお一人お一人の御門徒さんと丁寧に向き合っていくということが求められるのだと思います。忙しくなくなったからこそ、積極的に地域社会に根ざして、そこで共に生きていくということが意思表示として伝わるような行動が必要となりますし、強いて言えばそのような公性を持った活動が、北海道の寺院や僧侶が当初から担っていた役割の一つでもあったと思います。今でもお坊さんの振る舞いとか発言というものは、影響力を持っていると感じています。その関わりの中で、テーマ「共なる世界を願って」という言葉が自然と伝えられていくことが大事になってくると思います。ですから、これからの私達のすべき方向性とか課題といいますのは、特別なことではなく、地域社会の中で親鸞聖人の教えを大切しながら丁寧に生きていくということではないのかなと思います。
宗門では「一ヵ寺の活性化のために」「一人の念仏者の誕生を願う」という一貫したテーマがありますが、そこで本当に丁寧に生きていく人を生み出していけるように先輩方が築いてきた北海道教区のあり方ですね。具体的に言えば、一人の念仏者の誕生を願って今もそのことを願いとしている教研ですとか、教化本部の事業に道内各地の若い人に来てもらい、一緒に学び、色々な課題を持って地元に帰ってもらうというような教区の役割をしっかりと受け継いでいくこと。そのようなことを、この教区の慶讃法要の中でしっかりと確かめていけるような機縁にしたいと思っています。

  • 桂井智善教区会議長
    桂井智善教区会議長
  • 東本願寺北海道開拓錦絵
    東本願寺北海道開拓錦絵
  • 宗祖御遠忌の宿所伝道
    宗祖御遠忌の宿所伝道

―今回は慶讃テーマインタビューの第二回目といたしまして、長年教化本部にお関わりになり、慶讃委員会でも記念事業部会主査を担っておられます金石潤導さんに「開教」と組織教化についてお聞きしたいと思います。
 「開教」という言葉には多様性がありまして、なかなか一口で語ることは難しいのですが、私たちの宗門が時代に応じて時代社会の要請に応えてきた「組織教化」という側面がございます。たとえば北海道開教とか明治以降の海外開教、戦時布教、そういうものは当時の時代の要請、また国家との関係の中で、宗門がそれに応えるようなかたちで組織的に動いていったような背景がありました。また、戦後においては「純粋なる信仰運動」という形で発足した同朋会運動が日本の民主化と軌を一にしています。そして今に至っては「地方創生」と言われる時代にあって、「寺院活性化支援室」が宗門の教化施策の中心に据えられているところであります。そういうところで、「開教」という言葉を念頭に置きながら、現在の宗門としての「組織教化の課題」というものを切り口にお話をいただければと思っております。

 以前、「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要の基本計画に関する委員会」という宗務審議会に関わらせていただきまして、そこでの出来事から少しお話をさせていただきます。
 それは、慶讃法要をどのように宗門として迎えていくのかというようなことを内局に向けて答申する委員会なのですが、そこで私は「教学・教化に関する小委員会」に所属をいたしました。全教区とまでは言いませんけども若い人たちが招かれて、その中にまじって若干年配だった私が主査代理のようなかたちで、若い人たちの意見や話を聞くような立場で関わらせていただきました。そこには、この宗門として御誕生八百五十年・立教開宗八百年というものを、ある種ゼロベースとまでは言いませんけれども、若い人の意見を聞きながらお迎えさせていただきたいという願いが、内局はじめ本山サイドにはあったんだろうと思います。そこでは、五十年前の御誕生八百年慶讃法要の経緯、教学会議における中島岳志先生、安冨信哉先生、一楽真先生が提起された「是栴陀羅」の問題も含めて、慶讃法要に向けて深められた内容を私たちの議論のテーブルに載るように、レクチャーをいただいたということが始まりでした。そのうえで、それぞれ関わる若い人たちというのは、あくまで宗門人であるということと同時に、各教区とか現場でさまざまな課題を持っているということの中で、慶讃法要をどう迎えようかというような話し合いが持たれていくのです。
 そのなかで何がおもしろかったかというと、通常こういった大きな法要を大きな組織を挙げてやっていく場合には、基本的な理念をみんなで語り合い、その理念が固まったうえで教化施策を打ち出していくというのがセオリーだと思うんですね。たとえば理念が「一」だとしたら教化施策は「多」です。その「一」が「多」を開き、そして開かれた「多」が「一」に収まっていくような教化施策というものを立案していくということがおそらく通常でありますが、それが小委員会では理念からは議論しなかったということがありました。というのは、「まずもってどんなことがしたいですか」ということから、みんなで議論を始めていくということが起こったのです。いわゆる、理念から具体的な施策を考えていくのではなく、具体的な施策から理念に迫っていこうというような試みをしました。そういう意味では、通常の議論とは全く逆転した形で議論展開をしたということがあったというのが、とてもおもしろかったと思っています。
 それをあらためて考えてみると、たとえば私たちは北海道のさまざまな町に暮らしております。わたしは黒松内という町に住んでいますが、「あなたの暮らす町はどんな町ですか」と聞かれたときに、町民憲章とか市民憲章を持ち出す人はほとんどいらっしゃらないと思うのです。たとえば「うちの町はこんな歴史をもっていますよ」とか、「こういう福祉施策をしていますよ」とか、「こんな人たちがいますよ」というかたちで、とても具体的に自分の暮らす町というのを表現していきます。ですからいわゆる町民憲章などという、その理念をもって町そのものを語ろうということはないわけです。むしろその具体的なあり方、姿を通して表現しようとするのが、われわれのひとつの伝え方です。
 では、私たちの属する宗門というのは「どんな宗門ですか」と聞かれたときに、大谷派宗憲を持ち出して説明する人はほとんどいらっしゃいません。具体的に、「こういう人がいて、こういう歴史があって、こういう取り組みをしていますよ」というかたちでお伝えするだろうと思います。ですから小委員会で語られたのは、全国におられる若い人たちが、宗門人でありそれぞれの地域で課題を持って生きる者として、自分たちがどんな宗門でありたいかということを具体的な施策をもって表現したいと。もっと言えば、「こういう宗門になっていきたい」ということを施策の中で表していこうという取り組みを、その時にさせていただきました。つまり、この小委員会では、理念と教化施策というものを同時に、並行的に議論を重ねていったという意味で、非常に新しい取り組みではなかったかなあということを思います。
 それで、北海道教区としての慶讃法要の準備委員会、もっと言えば準備委員会の準備委員会から関わらせていただきましたが、そのときに北海道教区では基本理念から考えていくという従来の手法をとったのですね。それは従来の手法ですから違和感はないのですが、やはり理念から入ると非常に狭い感じがありまして、われわれが今後どういった教区像を描いていくのかというときに、議論が狭くなってしまったのではないかということを自身の反省も含めて思います。まず基本理念を策定し、それに資する施策というものを考えていこうということが順繰り行われていったという意味では、基本理念ありきで議論していますので、発想がその枠から出ることのない中で施策の議論が進められたのではないかということを懸念しています。

―基本理念を議論・検討し打ち出すまでに時間と労力が割かれ、打ち出された理念に施策が限定されたり、上意下達的になってしまうことがひとつの課題であって、組織教化の活性化ということを考えたときに、それは現代社会・現場の課題を肌で感じている若い方の発想とか直感というところに可能性を見出すということですね。

 そうですね。私自身教化本部に長いこと関わらせてもらいましたが、諸先輩から「やりたいことをやりなさい」「やらなければならないと思うならやらないでください」「せずにおれないことをしなさい」と、こうずっと言われてきました。そういう意味では、教化本部には教化本部の理念があってその中に閉じこもっていくのではなくて、結果的に踏襲事業になったとしてもかまわないから、本当に腹の底からわき起こってくるようなエネルギーをもとに教化施策というものを立案し、思い切って実施しなさいということであったと思います。当時マンネリという問題もありまして、マンネリの打破という中で、若い方も含めて閉塞感というものをどう突破していくのかと。それは、一面的に理念とか、あらかじめ枠組みをどこかに決めて、その中でやりなさいというのではなくて、枠組みには執らわれずに発想しなさい、動きなさいということを言われていたような気がします。

―本山の慶讃テーマは「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」ですが、そのテーマを協議する委員会も若い方々が議論し合って生み出したものでしたね。施策の生み出し方について、宗門自体もひとつの転換期にきているということでしょうか。それに対して教区もどう反応し、アクションを起こしていくかということが今後課題になってくるのではないかということを聞きながら思いました。
 そういう中で、北海道教区の教化ということになった場合には、具体的にどういうこととして見られているでしょうか。

 当初この北海道の慶讃法要は、「開教百五十年」というような名称の中から議論が始まっていくのです。私は北海道教区に戻って30数年になりますが、いわゆる「北海道教区の歴史というのは、150年前に現如上人の渡道を持って開教された」というふうに一応は言われてきました。しかし私の場合、そこからは北海道教区がどのような教化の歩みを進めてきたのかということを、肌感覚として受けとることはできませんでした。
 それでは、どこで感じてきたのかといいますと、私の場合は北海道教区に戻ってきた30数年間に、出会った先生や先輩たちの声・歩みであるとか、力動性みたいなものによって教区教化というものを感じてきたということが一つあります。先ほどの話で言うと、「北海道教区はどういう教区ですか」と聞かれたときに、私であれば「教研と教化本部のある教区です」そして「青少年教化を一生懸命やる教区です」と、こうお伝えいたします。歴史伝統のある教学研鑽の場というものを持ち、教区教化は教区人の手で行っていく。そのような「教研」「教化本部」そして「青少年教化事業」を立ち上げていかんとした先輩たちのエネルギー・精神というものが北海道教区の開教のこころであり、宗祖の立教開宗の精神が北海道の地に届き、根差し華開いたのではないかと思うのですね。

―そのように聞かせていただくと、このサブテーマから受ける印象が大分変わってくるような感じがしますね。

 親鸞聖人の立教開宗の精神とは何であろうかと改めて思ったときに、「浄土真宗という教えは、痛ましい世の中にあって痛ましい生き方をしていく者にお念仏が届けられている」と、私はこのように考えるのですけれども、その痛ましいと言ったときに、それは「昔が痛ましかった」という話ではないのですね。
 たとえば、私の暮らす黒松内町の隣は寿都町がありまして、今まさに核のゴミの最終処分場の問題で、町が分断されつつあるということがあります。推進派もいれば反対派もいる中で、町が分断されていくのですが、きっとお互いがふるさとを思って、そして未来を案じて、推進すべきだとか反対すべきだという議論の中で、分断を起こしていくということがあります。それが引き金となりマイノリティ、貧困、弱者、誹謗中傷といった問題が惹起していきます。こういう現実に対して「痛ましいな」というような、人のあり方というものが映ってくるんですよね。この痛ましさには、当然核ゴミの問題ですから国策というものに翻弄されていくという現実もあります。
 そういう意味では痛ましい現実が今、目の前で繰り広げられているということを思うと同時に、過去においても常に真宗という教えが時代社会に届けられ続けていったということがあると思います。宗祖の教行信証執筆をもって立教開宗というならば、その痛ましい世にあって痛ましい生き方をするところに、浄土真宗を顕現せんという願いがあったのだと思います。
 北海道教区においても、いわゆる開拓開墾において非常に苦労された先人、そして先住民族、そして渡道して来た人々等、その歴史の中で「虐げられた人も、虐げた人も痛ましいのだ」というようなところに宗祖の立教開宗の精神・浄土真宗が届けられてきた。そこに「開教」という意味を見いだしていきたいと思うのです。歴史をどこから区切るかということではなくて、常に痛ましい世にあって痛ましい生き方をする者に教えが届けられ続けている。そして、そのときの人々がどういう場を開き、どのようなアクションを起こしていったのか。そのアクションのもとになる精神、それこそが宗祖の立教開宗の精神でなかったかということを一つ考えさせてもらっています。
 ですから、「開教の歴史をかみしめ」というのは、連綿と続く「開教」です。その中にあって、先人たちがどういう現実を身に受けながら、どう立ち上がってきたかというようなことを一人ひとりが今かみしめて、これからどういう北海道教区像というものを描いていけるのかということを考えていく。そういうテーマなのかなということを思います。
 30年ほど前でしょうか、イラク戦争が勃発したときに、我々は初めてテレビで映像として戦争というものを目の当たりにしました。映画でもドラマでもない、まさに本当の出来事として地上を無差別に爆撃していくというさまを見たときに、衝撃を受けるわけですよ。こんな悲惨なことが起こってはならないということで、シュプレヒコールをやろうかとか、何か訴えようかとか、署名活動しようかとか、当時の青少年のメンバーが集まってそういう話題を語り合うのです。すると、当時の青少年指導主任が「子ども会やろう!」と、こう言うのですね。そのときに、説明はいらなかったですよ。カクカクシカジカだから子ども会をやるというわけではなくて、自らに起こったその痛みとか、平和への希求とかですね、それが「子ども会やろう!」ということに直結していくのです。
 だから、皆で理屈を練って「こうやりましょう」というよりは、ぱーんと「子供会やりましょう」ということで、そこにみんな納得していくというか、腹に落ちていくということがありましたね。それが何かとても私にとっては印象的な、北海道教区に青少年教化が根付いていくような精神の発露というものがそこにはあったということを覚えています。

―ありがとうございます。私たちが歩むべき道を、本願念仏の仏道というところに見いだされた宗祖の立教開宗の精神というものが、いつの時代であっても、そこから一歩を踏み出すはたらきとなるところに今回のサブテーマの示唆をいただいたと思います。
 最後に記念事業部会について、現時点で取り組んでおられることをお伝えいただけますか。

 そもそも「記念事業部会」が設置された経緯としましては、この慶讃法要が終わると、おそらく蓮如上人の五百五十回忌まで25年間隔が空くのです。若い方々が今回の慶讃法要を経験しないままでいると、大きな法要というものを未経験のまま蓮如上人の五百五十回忌を迎えてしまうということになります。そこでぜひとも慶讃法要を経験してほしいという意味で、若い人たちによって何かできないだろうかということで「記念事業部会」が設置されました。それでいざ「今どんな記念事業をやりたいか」というようなことを語り合っていったときに、北海道教区の若い方も「お寺やご法座はこれからどうなっていくのだろうか」とか、「人が少なくなってきた。お寺に多くの人たちが集ってくれるだろうか」というような、お寺の未来に対する不安を抱えているわけですね。
 そういう中で、「お寺がどうなっていきたいか、どうありたいか」ということを真剣に考えつつ、その方途として現時点で検討しておりますのがSNSの活用法であります。現在コロナ禍ということもありますし、その教化活動の一助として、若い方のまさに豊かな発想の中でSNSを駆使して、浄土真宗の教えを広くお伝えし、本当にお寺が人の集うことのできる場所になっていくことを具体化していこうという取り組みをしております。その他にも、記念事業という意味では、今後20年残っていけるようなレガシー(遺産)というようなものを何か表現できればと思っています。いずれにしましても、時代は若い人によって切り開かれていくという意味では、その若い人たちに大きな期待をかけて一緒に取り組ましてもらえたらなと考えています。

  • 金石氏
    金石氏
  • 教研
    教研
  • 青少年教化
    青少年教化

―2008年に『アイヌ民族差別問題に関する学習資料集 共なる世界を願って』が発刊され、2009年度から2年間にわたって、その学習資料集を用いた学習会「アイヌ民族差別問題に関する特別伝道(アイヌ特伝)」が全組で実施されました。名畑さんには、特伝の大谷派講師としてお関わりいただいた他、慶讃委員会の前身である基本方針作成委員会から始まり、準備委員会の委員を経て、慶讃委員会では開教学習資料作成部会の主査を歴任いただいております。
 まず、教区の慶讃テーマ「共なる世界を願って」についてお聞きいたします。学習資料集の書籍名としてこの言葉が掲げられたのが初めてだったと思うのですけれども、それからもう10年以上経ちました。これまで北海道教区では、この「共なる世界を願って」の言葉のもとに種々の取り組みがなされてきましたが、逆にこの言葉が今回の慶讃テーマとなったときに、非常に馴染み深い言葉になっているだけに、何かそこに危うさといいますか、具体的に言えばこの言葉が私たちの「問い」というものになるのかと。一つの答えとしてこの言葉を掲げているのではないのかと。そのようなことが自分の中で起こってまいりまして、まずは今一度、このメインテーマ「共なる世界を願って」という言葉の根源的な意味合いというものをいただき直さなくてはいけない状況なのではないかと思っているのですが、名畑さんはどのようにお考えですか。

 今、そういう「馴染んでしまう」という事柄についての問題提起をしていただきましたけれど、その言葉を聞いていろいろと考えさせられたことがありまして、私が専修学院の職員をしていたときに、信国淳先生が「人間は言葉を殺す存在だ」と本の中で言われていたのが非常に印象深く残っています。「言葉を殺す」ということは、「馴染んでしまうことによって、その言葉の響きを失ってしまっている」という問題提起でもあります。今回のテーマを策定するときにも、いろんなテーマが出されたのですけど、その中でご門徒さんが、「ありきたりだな」という言葉を言われたのですよ。つまりいろんなテーマを出されると、出したそのテーマが、聞き慣れてしまっていくという問題があるのだなと思いながら、ご門徒さんの「ありきたりだな」という言葉を聞かせてもらいました。もう一つ昔から言われていることなのですけど、蓮如上人の『御一代記聞書』に「おどろかす かいこそなけれ村雀 耳なれぬれば なるこ(鳴子)にぞのる」(聖典886頁)という、あの短歌が「言葉を殺す存在」という問題なんです。つまり、聞き慣れてしまうという問題がそこにはあって、今回もう一度テーマとして「共なる世界を願って」を提出したときに、学習資料集の題名にもなっているし、聞き慣れてしまっているものだから、それと向き合うことができないという問題でしょうね。
 「慣れる」「わかる」ということは、「もうこれは問わなくていいのだ」ということになってしまうという人間の資質・知性の問題がそこにあって、逆に言うと「村雀~」もそうだし「人間は言葉を殺す存在だ」といった言葉も、みんなそういう人間の知性の正体を暴いたような言葉、教えであると思います。ですから、改めてこの「共なる世界を願って」という言葉を提出したときには、もう一度この言葉の意味とか願いというものを考えてほしいし、それから向き合ってほしいという、そういう意味合いで提出させてもらったわけです。
 この「馴染む」という問題で少しヒントを得たのですが、自分たちがお坊さんの生活の中で「馴染む」という問題を考えるときに、「儀式と教学」という問題に発展していくと思うんですよね。「儀式」というのは「馴染ませていく」ようなものです。「正信偈」や「和讃」もそうだけれども、「馴染ませていく」というのが一つの儀式のあり方でもあるし、馴染まなければ中々その言葉について考えることがないものだから、とにかく最初は馴染んでいくことから始まります。「大乗読誦」と言われる「誦」ということが「声に出して読む」という、「馴染ませていく」ということでしょう。「教学」というのは逆に言うと馴染んでしまった言葉をもう1回掘り起こしていくような、新たな響きを持って聞こえてくるようにという形で、「教学」というものが位置づけられるのだと思います。七高僧の教学もそういう響きを回復せしめた歩みと言っていいでしょう。そういった意味では、今、提起された問題というのは幅広く考えると「儀式と教学」の問題ということに関係してくるのかなと思います。僕もそうなのですけれど、毎日毎日月参りで正信偈をお勤めするでしょう。ほぼ考えないけれど、時々言葉が頭に引っかかったときにお勤めを間違えることがありますよね(笑)。それは馴染んでいる事柄を、もう1回掘り起こしていこうとしたときに、「これはどういうことなのだろうか」と考えて、それがまた学びに繋がるというか、後で意味を調べてみたりとか、いろんな先生の本を読んでみたりとかして、自分が疑問に思ったことをもう1回こう考え直すということがその中で開かれていく。疑問が関心になり、その関心が学びを求め深めていく。そのようなことが、いわゆる「儀式と教学」というものの関係だろうと思っています。

―ある意味、馴染んでいくということがなければ、それを深めるということはできないということですね。

 特に現代は、新しい言葉の方が刺激があるものだから、とにかく「新しさ」というものを求めてしまうけれど、馴染んだ言葉の中に生き生きとした言葉の響きがまた新しく蘇ってくるということが大事なことなのかなと思っています。それは清沢満之がそうなのですよね。清沢満之は、ある意味では西洋近代の思想の中で、もう一回古い言葉を読み直していったという作業をしてくださった方ともいえますが、そういうことを考えるとそんなに古い言葉ではないけれども「共なる世界を願って」という、1回使われた言葉をもう1回使い直すというところに、実は大事な事柄があることを表現したかったということもあります。

―では、この「共なる世界を願って」という言葉について、耳慣れた馴染んだものから、もう一度言葉の響きを取り返していくことが今まさに必要とされている中で、「共なる世界」というものに漠然としたイメージを当てはめながらこの言葉を読んでしまうということがあるように思うのですが。

 大事なことは、「世界を願う」という表現ですよね。お気づきになったかもしれませんけれども、蓮如上人の御遠忌のテーマが「バラバラでいっしょ 差異を認める世界の発見」というものでした。「世界」と「発見」という言い方で、非常に大事なことを表現しておられます。「違いを認め合いましょう」ということは常に世の中でも言われますけど、真宗大谷派は「世界の発見」という形で提出したわけです。「お互いの違いを認めましょう」というような事柄で言うと、そこに「誰が誰を認めるのか」という関係が生まれてきます。「世界の発見」ということになると、「誰が誰を認める」という人間関係の中の事柄ではなくて、「世界と出遇う」という形の表現をしているということが非常に大事なことなのです。「世界を願う」なら「誰もが出遇う世界」として表現されている。だから今回も「共なる世界を願って」と、願う世界として表現しているということは非常に大きなことかなと思います。ただ、その「願う」という言葉にも馴染んでしまっているという問題もありますが。
 「願う」というのは、課題が見えたときに「願う」ということが始まるのであって、課題が無かったら願わないのですよ。それと同時に「願う」ということには、我々の理想の中から願いを出発させるのではなくて、どうしようもない現実から出発したということが「願う」という言葉にはあります。その辺のところが、大谷派の中で「願う」という言葉がよく使われるものだから、意味合いが曖昧になってしまっているかもしれないですけれども。教学的に言うと「衆生の志願」という言い方になりますね。「行巻」に「しかれば名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたまふ」と出てくるところの「衆生の志願」というものが、この「願い」という事柄だと思います。その「衆生の志願を満てたまふ」というときに、「満ている」は満足するということですけれど、普通の世間の考え方から言えば願いが満足するときは願いが実現したときだけですよね。願いが消えるときです。しかし「衆生の志願を満てたまふ」というときには、志願そのものにその人がなっていくことによって満足するという意味であって、決して何か実現したことによって満足するという意味ではないのです。
 大谷派の中で「願う」という言葉が盛んに使われたり、それが一つのキーワードみたいな形になったりするときに、軽々しく使うべきではないとは言いませんが、「衆生の志願を満てたまふ」というところまで意味を開いていくことが大事なのです。如来の本願は衆生の志願を開く。それが如来の本願の目的であって、衆生の志願と如来の本願を混同してはならない。衆生の願いというものは最終的には「いのち終わってもなお願う」ということでしょう。梶原敬一先生が、こういった言葉で表現していたのですけれど、「可能性を持っていのちを終わっていく」ということがある。人間死ぬときは可能性が全くない状況でしょう。可能性を持っていのちを終わっていくという言葉で表現されたので、これは非常に面白くて、いろんなことを考えさせられます。

―「世界を願う」ということと、何かそこで繋がってくるような感じですね。

 ですから、その先輩先人の生き様を見ていたら、最後の最後まで願いを持って生きてこられたというものが伝わってくるのであって、自分には全く願うものがないのだけれども、そういう人たちによって自分自身の中に引き起こされてくるものがあるという。しかしそれは、「理想的な世界」というものではないということだけは注意しておかなければならないと思います。仏様の世界、浄土の世界と言ってもいいのだけれども、それは決して理想化された世界ということではなく、むしろ現実にはたらき続けてくる世界だと。その現実は、やるせない現実とか悲しい現実でもあるのですけれど、そのことをある意味で糾されるようなはたらきとして、「共なる世界を願って」ということがあるのだということです。それと、現実の問題というものと全く切り離して言ってしまうと、まず理想化されてしまう。しかも心の問題に矮小化してしまう。教行信証で言うならば「自性唯心に沈みて、浄土の真証を貶す」ということでしょう。そこが「願う」という言葉の中に、私たちの大谷派の現実であるとか、そういうものがそこから課題としてスタートしていくということだと思います。

―サブテーマの「北海道開教の歴史をかみしめ一人ひとりの立教開宗へ」については、どのような願いから作成されたのでしょうか。

 サブテーマを作成するときに、この「かみしめ」というのは、金石潤導君が作ってくれた言葉で、非常に面白い言葉だなと思っています。最初聞いたときは「かみしめる」ってなんだろうかと思いましたが、『教行信証』の中で言えば、「謹んで浄土真宗を案ずるに」の「案ずる」という言葉と一緒だなと思って聞いていました。あるいは『歎異抄』の「ほぼ古今を勘うるに」という言葉がそれにあたると思います。
 ですから、「歴史をかみしめる」ということの中に、私たちは過去の歴史についていろいろと価値判断をしてしまうわけですが、「歴史を判断するということを一旦保留する」という意味合いがあるのかなと思うのです。だから、よくよくかみしめるということは、自分のところにまでなってきた歴史というものを、判断や評価を越えて、そのことをもう一度受けとめ直していくということだろうと思います。
 そして「一人一人の立教開宗へ」という言葉に続くのですが、今回の慶讃法要は「御誕生八百五十年」と「立教開宗八百年」が併催される中で、できれば「立教開宗八百年」の方に重きを置いていきたいと思っていまして、それは今「立教開宗」という事をもう一度いただきなおす時に、どうしても『教行信証』に学ぶことが必要になっていくということがあるからです。同時に「立教開宗」という言葉は、親鸞聖人が立教開宗されたというだけはでなしに、私たちのところに本当に教えが立っているか、そして宗が開かれているかという問題がそこに引き起こされるのです。だから「一人一人の立教開宗」という時には独り立ちしていくような、そういうものが私たちの「立教開宗」でなければならないと思います。
 また、それと共に「立教開宗」の中に「開」「教」という言葉が入っていますが、「開教」という言葉をもう一度、現代的な意味で蘇らせていくような意味として考えていかなくてはならないと思います。「開教」ということを定義した時に、誰でも前提として「場所」をイメージするでしょう。全く浄土真宗の土壌のない場所に入っていって「開教」をするという、いわゆる未布教地に対して布教していくという意味が、「開教」という言葉の定義なのですけれども、それが非常に政治的な意味合いで使われてきましたし、今も使われているのです。それを、もう一度「開教」という言葉を生き返らせるという意味で「立教開宗」という言葉を置き直したということがあります。
 ですから、「北海道開教の歴史をかみしめて」そのことを通して「一人一人が立教開宗していく」という、そういう事柄をつけなければ、「開教」という言葉が、今まで私たちが持っている問題点みたいなものから超えられないという様なことがあって、このようなサブテーマにしたわけです。その「かみしめる」という言葉が面白いのは、味が出るまでかみしめるということですよね。スルメをかじっているような。鵜呑みにしない、味が出るまでかみしめる。その味は一人一人に味が出てくるということですよね。そういうことも含めて、もう一度そのテーマを考えていただけたらいいと思うのです。
 『月刊同朋10月号(2021年)』にも書いたのですが、違星北斗という大正時代のアイヌの歌人がいまして、僕が北海道に来る前にその方の『コタン』という歌集を持っていたのですが、こういう言葉を言われているのです。

   耳朶(耳たぶ)を破って心臓に高鳴る言葉が「アイヌ」である。言語どころか「アイヌ」と書かれた文字にさえハッと驚いて見とがめるであろう。(中略)かかる気づかいを起こさしめた(中略)第一義は何であろう?―アイヌでありたくない―と云うのでない。―シャモ(和人)になりたい―と云うのでもない。然らば
何か「平等を求むる心」だ、「平和を願う心」だ。(アイヌの姿)

 偉星北斗が訴えたのは、自分がアイヌを嫌いなわけでもなく、和人になりたいわけでもない。「アイヌ」という言葉を聞いて耳が突き刺され鼓動が高鳴るのは、「平等を求むる心」「平和を願う心」と言われたことに、当時ものすごく衝撃を受けました。また最近は、その違星北斗の本のサブタイトルに「アイヌと云う新しいよい概念を」という言葉が付されたものがありました。つまり、「アイヌ」という言葉が差別的な形でずっと使われてきたということがあります。たとえば、朝の情報番組でアイヌ女性の活動が特集された際に、「アイヌ」という言葉にかけて、非常に差別的に使われてきた「あ、犬だ」という言葉を使われたということがありました。このような形で、「アイヌ」という言葉を聞いた時に感じるネガティブなイメージから、「新しい良い概念に」という。つまり言葉そのものを変革させようとされたのが、違星北斗の願いであったのかと思います。そういう願いに従って、ずっとアイヌの方々は「アイヌというのは誇りうる人間である」という意味をもう一度回復することによって差別そのものを超えていこうとされたということです。それと同じように、私たちは「開教」という言葉の持っている多様な問題を自覚化した上で、もう一度その言葉を蘇らせるという意味で「立教開宗」という言葉が存在すると思うのです。

―馴染んできた言葉を、今一度掘り起こして受け止めなおすということは、言葉自体を自分の中で生まれ変わらせるという能動的な作業なのですね。どうしても「共なる」とか「違いを認める」という方に目が行きがちなのですが、「世界を願う」背景として破闇満願の文章を引かれたように、「衆生の志願を満たす」というところに主眼が置かれることによって、このテーマの持っている意義が明確になると思いました。

 現実的に世の中に、それこそ生き難いと感じているたくさんの人たちの一番奥に「世界を願う」ということがあると。そういう言葉に触れない形で、自分のつらさとかその悲しさとかいうものを、なんらかの形で自分が壊れるぐらいになってしまっているけれど、こういう言葉が世の中に出ていったときに、そういう人たちに何か響くものがものすごく強くあるのではないかなと思っているのです。馴染んでいる方は全く響かないけ
れど。
 そういった意味では今回の「共なる世界を願って」という言葉も、そんなに温い言葉ではないはずです。本当に厳しい言葉なのだと思うのです。その厳しさを感ずるようなものが私たちの生活実感の中にあるかどうかということだと思うのですよ。とても厳しい言葉だということを同時に言っておかないと、「共なる世界」という言葉から、ものすごく夢見る世界をイメージしてしまう。現実に根ざした言葉から「願う」ということが生まれてくることがあって、そこからいろんな人と共有できることがあるのだろうと思うのですよ。厳しさの中に温かさを感じるのであって、最初からぬるま湯に浸ったような言葉ではない。智慧と慈悲の関係がそうですよね。智慧の厳しさの中に慈悲の温かさを感じるのであって。

―いわゆるそこから出てくる「願い」というのは個人の何かを満たすような「願い」ではなくて、「世界を願う」というところに繋がってくるような「願い」だと。

 現在、北海道開教学習教材作成部会の主査をさせてもらって、そこで「フィールドワークガイドブック」というものを作成しています。アイヌ民族差別問題を学ぼうというときに、基本的には「人」「もの」「場所」というコンセプトがあるのですけれど、「人」「もの」「場所」を紹介するという形で何か導入するようなものがなかったら、知識だけでは学びが個人的になってしまいます。そのガイドブックの構想自体は、「アイヌ特伝」の後に何らかの形でこの教区・宗派全体にそういう問題を開いているようなものがなければ、個人的な繋がりの中で物事を考えたりしてしまうので、それだけで終わってはいけないということから生まれてきました。そのような取り組みの中で、北海道教区では「北海道開教」の問題は「北海道の人間の問題だけではない」ということが自覚化されてきて、これは「教団問題」だということを主張してきました。つまり「教団問題」だということは、「教団全体の問題として共有しよう」ということです。そういうものの手がかりになるようなものが必要だということで企画されたのが今回のガイドブックで、ある意味では僕の置き土産みたいなものだろうと思っています。
 それと同時に「アイヌ特伝」のころから、「大谷派とアイヌ民族の出会い直し」ということが提唱されつつあります。この「出会い直し」という言葉は、最初はおそらく講義の中で僕が言ったのではないかなと思うのですけれど、そのときに結城幸司さんが聞いていて、「出会い直し」ということをさらに取り上げてくださったのです。「出会い直す」という言葉も本当に面白い言葉で、今まで出会ってきた内容というものを課題化していって、その中で「もう1回出会い直していく」ということだから、未来的な事柄にもなりますよね。それは今まで自分たちが作ってきた歴史というものをもう1回かみしめて受け止めて、これから自分たちがアイヌ民族の人と共にどういう歴史を作っていくかという問題です。僕は生まれが北海道の人間ではないですが、北海道に来てわかったのですけれど、私たちの歴史観は根本的に和人史観で語られているということがあります。よく私たちは「北海道は歴史が浅い」という言い方をしますが、「北海道は歴史が浅い」ということは、その言葉の中に北海道にずっと住んでこられた人のことが全く頭の中に入らないような言葉としてあるのです。そうすると、北海道の人たちが北海道の歴史を知らないということになります。これは琉球沖縄もそうですけど、沖縄は沖縄で独自の歴史があるわけです。沖縄も北海道も同じようにそれぞれの時代区分みたいなものがあって、明治以前にも北海道の歴史があるのだけれども、それを学び知る機会はほとんどありませんでした。だから今まで自分が北海道に住んでいるにもかかわらず、北海道の歴史を知らないということは、逆に言うとその歴史から自分が疎外されてしまっているということです。結城幸司さんは、小学校へ行って話をするときに最初に何の話をされるかというと、一番身近な地名の話をされるそうです。いろんなところにアイヌ語の地名が残っているということを手がかりにしながら、誰が最初に住んでいたのだろうかというところから入っていくと言うのです。そうすると、そういうことが「北海道の歴史を考える」ということの大きな手がかりになってくると思うのです。そう言った意味でいうと、市町村合併でだいぶ名前が消えてしまいましたけれど、身近にアイヌ語の地名が残っているということは、そこに間違いなく人がいたということです。アイヌ語の地名の特徴っていうのは、誰が行ってもそこに行って生活できるようなナビゲーションみたいな言葉です。ここには何があるとか、ここは恐ろしいところとか。たとえば旭川の「神居古潭」はアイヌ語で「カムイの村」という意味ですけど、「神聖な場所」という意味もありますが、別の意味で言うと「行ってはいけない場所」ということにもなります。「神居古潭」は急流だから、「あそこに行くと危ないよ」という指標となる言葉でもあるのです。このように、いろんな地域の残っている言葉を日本語ではなくて、アイヌ語で読み直したときに、ある意味ナビゲーションみたいな生活のはたらきがその地名の中にあるので、もう1回それも呼び起こしたら面白いと思うのです。

―「出会い直し」ということで言いますと、今後の課題として「謝罪」ということについての問題提起があったかと思うのですが。

 私たちが「謝罪」という言葉を聞いたときに、何か屈服しているようなイメージがある。しかし本来謝罪するということは、上に立っていたものが同じ場所に立つということなのです。同じ大地に立つということが謝罪であって、決して屈服することではありません。これも結城幸司さんから1回聞いたことがあって、本当に「国家に謝罪してほしい」というふうに言われたのです。先住民を支配してきたという問題について国に謝罪してもらえると、自分たちのやってきたことが生き返ると言われた。「これまでのアイヌ民族が何百年という形で虐げられてきて、それにずっと抵抗してきたような歴史が、謝罪してもらえることによって全部生き返る」という表現をされたときに、ものすごく面白かったのですよ。
 自分たちは謝罪するかしないかだけを考えるのだけれど、謝罪するということがどういうものをもたらすのかということも考えなければなりません。謝罪することは同時に相手を尊敬するということです。尊敬することがなかったら謝罪ということは絶対ありえないのです。奨励内局巡回で、「何年かかってもいいから大谷派はアイヌ民族に謝罪すべきである」と問題提起したことがあるのですけど、何年かかってもいいからというのは、その事柄が本当に浸透していって、誰もがみんな納得する形で謝罪してほしいということを言ったこともあるのです。大谷派とアイヌ民族との出会い直しというときに、普通はものすごく非対称な事柄でしょう。大谷派は北海道開拓開教を率先してやってきたということがあって大谷派とアイヌ民族の出会い直しと言っているのだけど、実は一番根っこに隠れているものがあります。それは大和民族とアイヌ民族の出会い直しです。ウポポイ(民族共生象徴空間)の基本方針を見てみたらわかるのですが、大和民族という言葉は一切出てきません。「民族共生象徴空間」といいますが、大和民族といった時点でもう批判が間違いなく出てくるから、そのときにこちら側の位置みたいなもの全く出していないのです。共生するということの具体的な内容は、民族同士が共生するということです。でも本当に共生するという意識がこちら側にはない。だからアイヌ民族だけに焦点を当てて、アイヌの自然の共生というものを取り上げたり評価したりするのだけれども、根本的には民族同士が共生するというものが日本人の中には全くないということが問題なのです。
 以前、秋辺デボ(日出男)さんが「日本人は民族を失っている民族喪失病だ」と言われていたのですが、つまり、自分たちが普段何民族であるかを意識することはないでしょう。「民族を意識することがないから、民族のことがわからないのだ」と言われたのです。すごく衝撃的な言葉でした。日本人というのは民族を失ってしまっている。なぜ失っているかというと、事柄にすると明治から昭和にかけての戦争があったからだと思うのです。日本は民族主義みたいな形でずっと戦争をおこしてきたということが背景にあるから、民族ということを言えば、何か戦争と繋がってしまっている様なところがあって、それで民族ということを失ってしまっている。しかし、アイヌ民族・先住民族の立場ということを考えたときに、どうしても「大和民族」のところに戻らなければ解けないのではないかと思うのですよ。

―失っているというのはある意味、意識化されていないということですね。

 「意識化されていない」と言うとやわらかく聞こえますけど、それを「失っている」と言った方がきつい言い方になるのですが、だからこそいろんなこと考えさせられるということがあります。たとえば、コマーシャルとか報道とかの中で「日本人」という言葉が出てくると、この「日本人」の中に「アイヌ民族」が入っているだろうかと考えるようになりました。そのように意識して聞いていくと、大きな枠組みの中ではほとんど入っていないのです。「日本人」というと、ほとんど「大和民族」を内容にしていることがわかります。「日本人はすごい」と言ったり、「誇らしい日本人だ」と言った時にはアイヌ民族は入っていない。大和民族だけのことを考えているのだけれども「日本人」と言ってしまうことも問題があるかなと思います。

―知らず知らずのうちにマジョリティの立場に立っているということが常識化されている。つまり、「日本人」の中に「アイヌ民族」を入れないことによって、「共にあり続けてきた歴史」、それは「痛みを与え続けてきた歴史」というものになりますけれど、その歴史が隠される、もしくは対立しか生まないような、未来を開くものになっていかないということがあるのですね。それに対して結城幸司さんが、それを「生き返らせる」と表現されたということがこれからの課題ですよね。

 ですから、これからの課題は「出会い直し」の歴史を作っていくということです。それは今までの歴史を深くかみしめなければ作れません。目の前の人、ご門徒さんと一緒にずっと北海道で暮らしてきたっていう歴史を掘り起こしていかなければならないということでもあるのです。
 うちのご門徒さんが書いたもので、生まれてから明治44年ぐらいまでの日記があるのですが、その中にアイヌ民族の人がたくさん出てきて、「どれだけ助けられたか」ということが書いてあります。古屋達三という人ですが、その人が開拓に入っているときに旭川のアイヌの家に泊まったり、その旭川のアイヌの紹介で、名寄のアイヌに本当にお世話になった、という文も出てきます。実際には開拓に入ってきた人の中に、アイヌ民族にお世話になったということがすごくたくさんあるのですけれど、それはあまり表に出ていないものだから、1回そういう歴史を掘り起こしていくことによって、むしろ「一緒に生きてきた」という部分もピックアップしていかなければならないかなと思うのです。それが、もうほとんどそういう感覚が失われてしまって、意識されなくなってしまった。これは非常に差別的な事例ですが、うちの町でアイヌの人がおられるのだけれども、その人がちょっと事件を起こしたことがあって、そのときにうちのご門徒さんが「ああ、あれはアイヌだから」と言われたのです。そのときに「アイヌ」が出てくるのですよ。アイヌだからという言葉の中に何かの意味を込めて言っている。「ああ、ここに出てくるのか」と思いました。全国各地にアイヌ人はおられるのだけれども、それがほとんど表に出てこなくて、密かに暮らしておられるということですね。無理やり表に出すということではありませんが、それこそ最近では「サイレントアイヌ」と石原真衣さんが表現されたような、そういう人たちまで意識できるかどうかということは非常に大事なことかなと思います。



ポスター・チラシデザイン画インタビュー

 2022年12月3日・4日に開催される教区お待ち受け大会の広報にあたり、慶讃法要委員会広報部会はポスター・チラシに使用する絵画を道内各大谷学園に募集した。厳選なる審査の結果、このほど札幌大谷高校美術科1年生(中高一貫のため厳密には4年生)の竹内優希さんの作品が最優秀作品として選ばれ、12月1日(水)に札幌大谷高校において授賞式が行われた。
 作品名は「花笑い」。色とりどりの花々に囲まれた少女が、何色にも染まらない中で一点を見つめている表情が印象的な作品。「花をいっぱい描きたかった。周りをカラフルにして花に眼が行った後で、女の子に焦点を当ててくれたら目が合う感じでいいかなと思って」と竹内さん。一つとして同じ色がない花たちと中央モノトーンの少女との対比が、「共なる世界を願って」という教区慶讃テーマを想起させる。
絵が好きなお母さんの横で一緒に描くようになったのが美術を志したきっかけ。色づかいはすべてお母さんから学んだ。昨年、今年と2年連続で有島武郎青少年公募絵画展の北海道新聞社賞を受賞するなど、美術科でも期待を集める注目株だ。
慶讃法要お待ち受けポスターは2022年1月の『北海真宗』に訂正に同封しています。

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